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2014年12月 7日 (日)

ほんの少しの力でも、私たちに出来ることを

私が、「散歩道プロジェクト」を始めたころに強く感じて、散歩道日記に書いたこともあったエピソードをふと思い出した。それは、近所の自然の中を一緒に歩いた友人が何気なくこういった。

「ここにこんな自然があったこと、あと何年かしたら誰も信じなくなるかもなあ」

友人には特に意図があったわけでもなく、心に浮かんだことを単に発しただけなのだろうと思う。しかし、私にとっては衝撃的な言葉だった。私たちが大好きなこの自然。それが消えてなくなることは、ごく当たり前の世の中の流れであって、私たちはそれに逆らうことも出来ないのか?それでいいのだろうか?

Sabaku2010031403


私たちの世代(昭和30年代~40年代生まれ)は、子供の頃に身の回りにあった豊かな自然がどんどん消えていく中で育ってきた。だから、世の中というものはそういうものだという感覚が根底にある。いままでの人生を振り返ってみても、自然はどんどん消えてなくなるというのが当たり前であり、自然を守る、自然を残すというのは、世の中の流れに逆らう、とてつもなく大きな労力を要することのように思って育ってきた。そして、そのように世の中の流れに逆らうことは、まるで「悪」のように思って育ってきた。慣れ親しんだ自然は、どこかはかないもの。いずれなくなっていくもの、という感傷を伴った感覚で見てきた。

そんな中で「自然を大切にしたい。守りたい」というと、よく、「でも、人間が生きていくためにはしかたない....」という反論をされたものだ。果たしてそれは本当にそうなのだろうか?そんな疑問を持たずに育ってきたのだ。

だが、よく考えてみたら、まったくそんなことはないことに気付く。今、身の回りで行われている大規模な自然破壊は本当に私たちが生きていくために必要なのだろうか?誰も通らない道路、自然を破壊して更地にして作られる「公園」。数年で廃墟になるテーマパーク、ちょっと見れば、そんなものがいたるところにあることに気付く。人間が生きていくには自然はどんどん破壊していくしかないのだというのは、作られたイメージでしかないのではないかと思う。

よく、「自然を守れというのなら原始時代の生活に戻る必要がある」というような暴論をきく。その暴論があたかも正論のようにきこえてしまうのは、私たちがずっと「人間が豊かな生活を送るには自然はどんどん破壊していかなければならないのだ」という根拠のないイメージを生まれてからずっと刷り込まれているからだろうと思う。そんな中で、心の奥底では、とても嫌な感覚をかかえてきた。本当は、豊かな自然の中で暮らしたいのに、それはどこか世の中の流れに逆らう悪いこと、自然とともに暮らしているのは、古臭いダメな人、などという刷り込みの中で、何か矛盾したものを心に抱えてきた人が多いのではないか?

 なにも自然のことだけではないのである。世の中で語られている様々なこと、たとえば、原発問題にしても、防衛問題にしても、格差社会の問題にしても、「世の中の流れなんだからしかたない」「それを変えようとするのは世の中の流れに逆らう悪いこと」ということが刷り込まれている。本当はそんな世の中で暮らしたくないのに、そんなことをいうことは「悪」のイメージがあり、だからそんなことを表だって言えないし、だから、意思表示も出来ない。しかし、私たちはそれでいいんだろうか?

 私自身を考えてみると、私は今、とても幸せに暮らしていると思う。自然に親しみ、仲間がいて、楽しく過ごせている。私自身はそれでいいかもしれない。だが、子供や孫の世代にどんな世の中を残していくか。そういう責任を負っているのは私たちだと思う。それが、「世の中の流れだからしかたない。世の中そういうもんだ」という刷り込みにまどわされて、何一つ、世の中の「あるべき姿」にむかって、力を発揮しないのであれば、それは無責任というものだ。別に誰もが困難なことをやり遂げる必要はない。選挙にいって一票を投じるという本当に簡単なことでさえ放棄するというのであれば、本当に無責任だと思う。

 以前、身の回りで嫌なことが立て続けにあった年の初詣で、神社でおみくじを引いた。そこにあった言葉が私には忘れられない。こまかいことは忘れたが、それはおおよそ次のような意味であった。

「美味しいものが食べられないとか、よい服が着れないとか、そんな不満ばかり言うのではない。神はこの地上に理想の地を作るために人をこの世に住まわせた。だから、それに向かって一生懸命に働くことが人の生きる意味である」

私はこの言葉にひれ伏しそうになった。自分に出来ることは少なくとも、自分の力は小さくとも、少しでも、良い世の中になることに力を発揮するならば、自分自身が生まれてきて、こうして生きている意味がある。そう思う。

それすら思わない人は本当に無責任だと思う。まわりを見渡すと、なんだか、そんな人ばかりだと思って絶望したこともあった。しかし、人は善良な部分を必ず持っているのだということも、最近よくわかってきた。ただ、おかしな刷り込みでまどわされていたり、自分の力ではどうしようもないと思っているために、自ら蓋をしているのだと思う。少しでも力になるなら、出来ることをやるしかないではないか!やろう!

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