「つり禁止」の意味
前にも書いたことがあったが、近所の公園にこんな看板がある。 この看板を作った人は、まさか、私がこんなにあちこちで「悪い例」として紹介することなんて考えたこともなかったろう。
まず、「自然観察のできる公園に整備」とあるが、その実態は次の写真の通りである。 これを見て「なんだこれ?」と思ったあなたの感覚は正しい。ここにはもともとメダカもドジョウもいたのだ。それをこんな風にコンクリートで固め、なんだか知らないけれど、渓流風の石を並べた。たぶん、これを作ろうと思った人の自然のイメージなのね。しかし、底はコンクリートに石が敷き詰められており、これは私は「露天風呂」と呼んでいる。こんな風にして魚が棲めるわけがない。当然ながら、ドジョウもメダカも絶滅した。さらに、この周辺に落葉樹があったりするから、そうすると、落葉の季節になると落ち葉が水路に落ちる。すると、コンクリートの底にたまった落ち葉は分解されないから、やがてヘドロのようになる。そうすると、ここをドブサライをやろうということになる。ドブサライをやって綺麗になったら、「ああ、綺麗になった。環境が良くなった。」と勘違いも甚だしい人々が出てくる。なんてこった!
だけど、ここにはカワセミが来るという。何故か?魚を放流する人がいるから。魚を放流して、ああ、魚が棲める水辺が出来た、よかったよかった、となる。それ、どこが自然なの?魚を放流して餌付けをする人がいるからカワセミもどこかから来るでしょう。カワセミみたいな綺麗なものがやってくると、都会からやってきたなんにも知らない人々は「ああ、素晴らしい自然がある」となる。それを見て「自然観察」という。あなた方、「自然」を見たことがないのだね。
まあ、「自然観察が出来る公園」を目指すなら、自然とは何?自然観察って何するの?くらいはちゃんと勉強してからやったほうがいい。まあ、もっとも、そんなことはこれっぽっちも考えないでやったのだろうけど。
さて、最初に紹介した看板、よく見ると一文字消してある。これが笑える。
「釣や自然観察が出来る公園に整備....」
と書いているのに、「釣」という字が消えている。なぜならば、この看板を見て、後ろを振り返るとこんなだから。 ここの池は「つり禁止」なのである。
なんだそりゃ?池があったら釣りしたくなるでしょう。普通に鯉やフナなどが棲んでいたら、釣りたくなるでしょう。大丈夫、大丈夫、どんな小さな池でも多少釣ったくらいで魚は絶滅したりしないよ。だって、俺、子供の頃、ここより小さな池でしょっちゅう釣りやってたもん。同級生の友達も釣り竿もってフナ釣って、学校に持って行って、解剖したり、焼いたりしたもん。でも、ここは「禁止」なんです。
何故か。
理由は二つあると思う。
その1.釣りする人が釣るためにブラックバスなどの魚を放流したりするからさ。
放流した魚を釣って嬉しいの?よくわからん。よくわからんけど、そんなものを「釣り」だというなら、釣りという文化が悲しいよ。釣りってそんなもんなの?
その2.たぶんだけど、「善意」でメダカとか鯉とか放流している人がいるんじゃないかな?と思うよ。だから、ここはもともとメダカが普通にいたんだって。それを「整備」して絶滅させておいて、放流はないでしょう、もう何やってるの!ってことですよ。でもって、それを釣ろうとする人がいるもんだから、「おいこら、俺が放流した大事な魚を釣るな!」となる。困った人たちだ。
実際のところ、この周辺が大規模に開発されるずっと前に、この池を見て「素晴らしい」と思っていた人は沢山いる。そして、現状をみて悲しむのですよ。そういう人が沢山いる。その反面、なんだか田舎臭くてきたなかった池を「綺麗にした」と思っている人もいる。「もっと綺麗に、もっと綺麗な魚」なんて思っている人も沢山いる。さてさて、あなたはどちらの人々なのか?
「生き物を大事にしよう」ということと「自然を大事にしよう」ということは、似ているようで大きく違う。放流した鯉やメダカを大事にしても、自然を大事にしたことにはならないどころか、むしろ害になる。自然を大事にするということは、そこの環境がどんな環境であれ、そこで暮らす生き物の生活を大事にし、そこの生き物たちのつながりを大事にし、尊重するということである。綺麗な鯉は大切にするが、汚い魚、ヘビ、虫、ムカデ...そういう一般に気持ち悪いものは絶滅させるというのであれば、一から出直した方がいい。そういう考えでもって「自然観察の出来る公園を整備」というなら、即止めたほうがいい。自然に対して何もよいことはない。そのことがわからなようなら、そもそも、何もしない方がいい。
水辺があって、「釣り禁止」になっている時点で自然環境としてはもうダメでしょう。子供たちが虫を追いかけたり、水辺で釣りをしたりする環境をちゃんと残して大切にするってことが、自然を大切にして、後世に残していくということではないのですか?自然観察が出来る場所が欲しいなら、そういう場所をそういう風に大切にすべき。いまだにそんなことが考えられん人がいっぱいだよね。だから私は繰り返し「そりゃあイケン!」というのです。
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