まともに環境教育なんて出来もしないんならするんじゃない!
テレビのニュースでどこか都心で子供たちに環境について考えるイベントを云々というのを見た。「おおっ、また意味のないことやってるな」と思ったら案の定だった。たんなるフリーマーケットみたいなもの。子供たちが不用品を持ち寄った子供たちのフリーマーケット。たったそれだけのこと。これでどうして環境について考えることが出来るというのだ?「ゴミを減らすから環境にいいことをするということになるだろう」ということを言うひとがいるかもしれない。じゃあ、それでどうしてどうやって環境が守られるのか?具体的に述べよ。実際に参加した子供たちにどういう環境をどんな風に守る意識ができたのか?という問いにちゃんと答えられるのならね。それで、どこのどういう環境がどんな風に守られたのですか?
だいたい、ほとんどの大人が環境教育なんて出来っこないんだよ。だって、環境なんて考えたこともない奴ばかりだもの。とってつけたような環境教育。それで、何がどう役に立つのか?実際にそういうことをやっている人自身、自問自答してごらん。ちゃんと、具体的に何がどうなって環境を守るとか、環境について考えることにつながるのか答えられますか?ただ単に、ゴミを減らしたり、リユースすれば環境に優しいのだと思いこんでいるだけでしょう。そんなもの百害あって一利なし!なぜなら、単に不用品をリユースするだけで環境に良いことをしたと錯覚をすることになり、本当に今、自然環境がどんな状況にあって、その環境のためにやらなければならないことは何なのか?ということをまったく考えなくなってしまうからだ。
はっきりいって、リサイクルやリユースは思考停止のためのツールでしかないのだよ。だから、前にも言ったけど、「牛乳パックからうちわを作る」というようなむしろ害になる(リサイクルされるべき牛乳パックが余計な加工されて新たなゴミを増やすし、牛乳パックを全部うちわにしたら、不用品を増やすだけ)ということなんて考えもしないことになる。(それが、国家的一大イベントの愛知万博なんかで堂々と展示されているんだから、この国の環境意識の低さを示して世界に恥をさらしている)。
自然環境を守ろうというならば、その自然環境は具体的にどこにどんな風に存在しているもののことをいうのだろうか?そして、それは今現在、どんな状況にあるのか?それにこたえられないままに環境教育なんて出来るわけがない。そういうと「いや、答えられる」という人がいるかもしれない。「それはどこですか、何ですか?どうすれば守られるのですか?」といった途端、99%笑っちゃうような馬鹿な答えが返ってくる。「CO2の排出が増えて地球が温暖化してホッキョクグマが絶滅....」馬鹿いってんじゃないよ!それは何を根拠に、どういう論理でそうなるのか説明できますか、アナタ!それで、あなた、身近に生息しているカエルがいつのまにか絶滅したりしてるのよ。知ってる??それ、どうよ?それで環境にやさしいの?
丁度、ホタルの季節だけどさ、ホタルを見て、環境を大切にする心を云々。そこまではいい。これは、リサイクルよりも少しだけ進歩だね。さて、ホタルを大切にするにはどうすればよいでしょうか?それを考えないで、単に「綺麗だね。」で終わり。だから、見せる方も「より綺麗に、より沢山のホタル」と考えて、ホタル「だけ」を大切にして、そのことで他の生き物が酷い目にあっていても知ったこっちゃない。それじゃあイケンと私はいっているのです。
だいたい、「環境教育」という言葉が間違っている。環境教育という言葉には、人間が環境をうまく制御できるかのような錯覚がある。だから、リサイクルなどして、環境を良くすることが出来ると誤解してしまう。
本当に必要なのは自然教育である。ありのままの自然を見て「へえ~、こんな風になっているんだ」と驚く。ほんのちょっと、確かな目で覗いてみるだけで、いろんな生き物が物凄く複雑な関係性をもって、私たちの考えも及ばないような凄い営みが広がっている。足元を見れば、そんなものがいくらでもあり、私たち人間は本当に無知で、無知ゆえに、大きな間違いを次から次へと行っていることを知る。そうして自然は複雑で、その複雑さは私たちがとても全てを理解して制御できるものではないと知る。そして、その営みをもっと知りたいと思う。その様々な複雑な営みの中で、人間も生きることが出来ているのだと知る。こういうことを教えないで、何が環境教育やねん!責任者出てこい!!(怒)である。
まあ、もっとも、そんな自然の営みなんか、生まれてこの方いちども目にしたこともなければ、そういうことを自らみて感動を覚えたこともない大人たちが、何故か「大人は環境教育が出来る」と勝手に思いこんでいる人たちが環境教育といって勝手なことをやっているのだから、おかしなことになるのだよ。
あなたの守りたい自然はどこにありますか?それはどんなものですか?あなたはそれを愛することができていますか?そして、その愛するもののために、あなたは何をすればよいですか?何ができますか?
まずは、これにみんなが答えられるようになることだろう。それが「自然教育」であると思う。
私には、私の愛する自然がある。それは私にとって家族と同様に大切なものだ。それを大事にするとともに、もっとよく知りたいと思う。そして、そういう自然とともにずっと暮らしたい。子供たちにも、さらに孫たちにも、ずっと伝えていきたい。だから、これは私のライフワーク。
リサイクルは決してライフワークにはならないし、そんなものを最初に「環境」という言葉に触れる子供に教えるんじゃない。本当の自然なんてこれっぽっちも見たこともない大人が、環境教育なんて出来るわけないんだから、やるんじゃないんだよ!余計なことをするんじゃない。そりゃあイケン!
« ホタルの季節に考えたいこと | トップページ | 自分で見て、自分で考えること »
コメント