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2012年4月 5日 (木)

人間の感覚尺度を越えるものは正しく認識できないのか?

2012040514440000東京都内、ようやく桜が咲き始めた。今週末には見ごろになるだろう。去年もだいたい同じだったが、平年にくらべると随分と遅い。そういえば、我が家ではようやく梅が散った。それ以外にも、ニホンアカガエルの産卵、アズマヒキガエルの産卵、などなど、私が定点観測している色々な生物季節の進行が普通の年より2週間から一月近くも遅い。春の訪れが遅かったのだ。

 数年前までは、どちらかというと春の訪れが早い年が多かった。年々、早くなるような傾向があったこともあり、これは温暖化が急速に進行しているのでは?と思わせる傾向だった。私自身も、なんとなくそんな気がしていたものだ。しかし、わずか数年の動きで判断するのはいささか早合点であろう。その後の数年の季節進行は実際そうではなかったわけだ。

 非常にあいまいな記憶で漠然とした話しで申し訳ないが、およそ10年ほど前、地球温暖化についてのある学者が雑誌に投稿していた記事に「あと10年待てないか?」というものがあった。CO2温暖化説が急激に騒がれるようになり、京都議定書が制定されたりと、急速な動きのあった頃のことだ。その頃騒がれていた、温暖化予測シミュレーションは不確かであり、すぐに行動にうつるのではなく、あと10年まってじっくり研究し、見定めてはどうか?ということだった。それがどう違約されたのか、「あと10年も待てない」という日本語タイトルで紹介されたこともあったと記憶している。

 今の世の中、CO2が増える=地球温暖化=環境破壊という風な理解がもう地動説のごとき明白な事実だとして認知されているようだが、実際のところ、アヤシイと私は思っている。そんなことをいうと、最近は地球温暖化の言論統制にひっかかってバスターズさんたちにやっつけられる傾向すらある。ただ、言えることは、私にとって今のCO2温暖化説は自分自身を充分に納得させられないままである。さらに、CO2温暖化説は世の中に悪影響さえ与えていると思う。少なくとも、CO2排出を減らしさえしていれば、どんなに悪いことをしていても地球環境に良いから善だとされるのは大きな間違いである。

 普通の人間は、地球規模の環境なんて想像出来ないし、CO2が増えている実感なんてないし、でも、なんとなく暖かくなっている気がするし、それで、ちゃんと説明できもしないのに、CO2=地球温暖化=悪という。少なくとも、CO2温暖化論の基礎になっている、温暖化ガスの放射強制力とか、大気の短波放射の透過性、長波放射の非透過性、といったことを説明出来る人がどれだけいようか?それは、「だれかがCO2排出増加=地球温暖化といっているから、そうなのだろう」という漠然と信じているだけであって、それは「偉い人が言っていることは正しい」ということに他ならない。だから何度もいうように、世間一般がほとんどそんなことだから洗脳だって簡単なのだ。簡単に「原発は必要不可欠」と誰かが言えばまんまと騙されることになり、なんの根拠も知識なく「○○なのだ」と偉そうに断定しまくって、なんの恥とも思わないことになるのだ。

 じゃあ、考えてみようといっても難しいかもしれない。けれど、物凄く乱暴に大雑把なたとえ話をしよう。今、一年という単位で季節がめぐってくることはみんなよく知っているし、誰も異論を唱える人はいない。これは当たり前だ。なぜなら、一生のうちに何十回と同じことが繰り返されて、同じように季節が進行することが経験出来るからだ。これがもし、季節が1年でめぐってくるのではなく、1000年だったらどうだろうか?たとえば、地球が1年で太陽のまわりを一周するのでなく、1000年で一周するとしてだ。そうすると、冬だけで250年くらいあるのだ。そうすると、冬の始めころに生まれた人は、世の中はどんどん寒くなって、植物がどんどん枯れていくという悲惨な状態だけ体験して一生が終わる。逆に冬の終わりころに生まれた人は世の中はどんどん暖かくなって、いろんなものが芽生えてくるような状態だけを体験して一生を終る。生まれた時期の違う二人が考える「世の中はこんな風なもの」というのは全く異なる。いくら、1000年の間に春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るんだよ、といっても実感できる筈がない。そんな世の中でも、ガリレオやケプラー、ニュートンくらいに賢い人がいて、太陽や星の動きを調べて、1000年の間に春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る、それは地球が傾いて自転しながら太陽のまわりをまわっているからだ、と説明して初めて納得出来る。でも、多くの人は自分が体験している一生の間にそんなことはまるで経験し得ないから、感覚的に納得できる筈もなかろう。冬の終わり頃の時代に、誰かが、「今、どんどん暖かくなっている。このままいけば地球は灼熱地獄になっていずれ生きていられなくなる。」といったら、そっちを信じてしまうだろう。さらに、「生き物がどんどん増えてくるから、そいつらが活動してCO2を出しまくるから、そのせいだ」といったらもっと信じるかもしれない。それよりも、地球が太陽のまわりをまわっているから季節が生じているんだ、ということを誰が信じようか?

そんなことでは、やはりガリレオの宗教裁判とたいしてかわりない。人々はそんな程度にしか賢くなっていない。そりゃあイケンじゃろう!と私はいつも言っているのだ。これを乗り越えなければ人類は進歩しない。そこが今の世の中には足りない。情報が氾濫する世の中の危うさ憂う人が、本当に心配すべきはそこだと思うのだが。

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