カエルを駆除しようと思う前に考えることはないのか?
散歩道プロジェクトに「そんなにカエルを駆除したいのか?」という記事を載せて、一躍有名になったのが2008年のことだった。それから、毎年、この季節になると出てくる出てくる。「カエル 駆除」で私のブログを検索してやってくる人々。何らかのワードで検索して私のブログにやってくる人の上位はこの時期になると「カエル 駆除」「カエル駆除方法」「かえるうるさい」などで占められることになる。このことをどう思うだろう?あなたはどう思うのか?
2009年には「それでもカエルを駆除したがる人々に告ぐ」という記事を書いたし、2010年にも「カエルの駆除方法を調べて、結局どうした?」という記事を書いた。いずれもかなりのヒット作になった。
それだけ多くの人の目にとまる記事となれば、色々なご意見をいただくようになるが、的外れなものも多い。「外来種のオオヒキガエルなどの駆除はむしろするべきだ」とか、「人に危害を加える生き物を駆除しないのか?」などが代表的なものだろうか。私の文章をよく読んでいただければわかるのだけど、別に外来種であったり人に危害を加えるような状況があったりして、駆除が必要な場合の駆除をこれっぽっちも否定していない。しかし、考えて欲しいが、そもそも、人や生態系に害を及ぼすほどのカエルとか、外来種カエルに悩まされている地域が日本の何パーセントの地域なのだろう?それは例外というでしょう。そんなことに対して言っているわけではありません。わかるでしょう。お願いしますよ。ホント。
何度も何度も繰り返し言わなければわからない人がいるから言うが、私が問題にしているのはずっと一貫して、「カエルの声がうるさいとか、カエルが気持ち悪いとか、そういうだけの理由で、駆除剤のようなものを撒いたりしてカエルを駆除したいと考える人々」のことだ。これについてあなたは「問題ない」と言えますか?
中には、「カエルを見ただけで気絶しそうになる程カエルが嫌い」という人もいた。そんなにカエルが嫌いだったら、それはそれで日常的に困るだろうとは思いますよ。でも、だから「カエルを駆除する」のですか?むしろ、気絶しそうになる程カエルが嫌いなことが問題なのでは?そっちをなんとかしようと思わないのですか?
まあ、実際には稀なケースで、カエルが嫌いでもなんでもないのだけれど、カエルが寄りつくと日常生活などに支障をきたす場合もあるようなので、それはそれで理解しましょう。そういう悩みをもった人がカエルを寄せ付けなくする方法を考えるのであれば、カエルの生態に詳しい立場から一緒に考えて差し上げますよ。
で、前置きが長くなってしまったのだけど、(そもそも、なんでここまで説明せにゃならんのか。今の日本のクレーマー感覚は深刻だね)その、何にも考えず、「カエルがうるさいなあ。駆除できないのかなあ。駆除剤みたいなの売ってないのかなあ」みたいに考える人がいるのだよ。それも大勢。「庭に嫌いなカエルがいて困る」というふうに、意味不明に「困る」人がいるのだよ。その感覚はどうかしていると思う。私はその感覚を問題にしている。その狂った感覚に、もっともっと問題意識を持ってもらいたいと思って挑発しているのだ。
その前に、今の日本のカエルが置かれている現状に目を向けて欲しい。私の散歩道フィールドでもここ数年の間に1/10にも数を減らすニホンアカガエル。ごく普通に身近にいたカエルが、もはや絶滅の危機に瀕している。これが現実。
ところで、先日から、トキの雛が自然の中で孵ったといって話題になっているが、トキは私たち日本人が絶滅させてしまったのだ。今、保護されているトキは中国からもらってきたものを繁殖させたもので、日本のトキは日本人が絶滅させたんだ。そのことの認識が甘すぎる。絶滅した生き物をあとになって復活させようと思ったって、そう簡単にはいかないということだ。
気付かないかもしれないが、日本には絶滅寸前のカエルが多数いる。なにも大自然の中で暮らすカエルではなく、ごく身近にいる里のカエルがである。私の身の回りを見ても、ニホンアカガエルとアズマヒキガエルはごく普通の身近なカエルから、絶滅寸前のカエルになってきている。それが現実なのだ。カエルを保護しようとする人々は、それを何とかしようと、ああでもない、こうでもないと、色々頭を悩ませているのだ。
カエルだけではない。ごく普通に身近にいる生き物がどんどん姿を消している。だいたい、そのような場合、ある地域でどんどん数が減り、その地域で絶滅し、絶滅した地域がどんどん増えていき、最後に「ああ、もう、ここにしかいないじゃないか!」という状態になる。たいてい、世間一般の人々はその最後の「ああ、もう、ここにしかいないじゃないか!」の状態になってようやく騒ぎ出すのだ。実際には私はカエルをずっと見てきたので、身近なカエルが、今まさに、その順番に絶滅への道を歩んでいることがよくわかる。
それが現実なのだ。それなのにあなたは「カエルがうるさいのぅ。薬でも撒いてカエル全滅させちゃろうか」と思って、ネットで「カエル駆除」で検索している。その安易な感覚。それ、問題ないですか?
別なパターンもあった。都会の公園の池でシーズンになるとカエルが鳴く。そうすると、近所の人が「カエルがうるさいからなんとかしろ!」と公園管理事務所に怒鳴りこむ。そうすると、公園管理者もめんどくさいから「駆除」する。たまたま、ヒキガエルの卵があったから、「ああ、こいつがいけないんだ」と思って卵を取り除いて、捨てる。これ、どうですか?問題ないですか?
それでいて、「地球にやさしい」とか「エコ」とかがいいのですか?あなたの生活を「地球にやさしく」したいのですか?おかしいでしょう。CO2排出を減らしたから、カエルは駆除してもいいのですか?おかしいでしょう。
おかしいのです。日本人の自然に対する感覚が狂っているのです。それは、身近な自然を見て、身近な生き物と接し、日常的に身の回りの生き物を感じて、生き物とともに生きる感覚がなくなっているからです。それは、生き物を遠ざけること、自然と切り離された生活こそが進歩だと思いこんでいるからではないですか?自然を破壊しないと人間は生きていけない、進歩がない、と思いこんでいるからではないですか?いつからそんな風に思うようになったのでしょう?それは、そのように思いこませるように仕込まれているからなのではないですか?もし、身近な自然に色んな生き物があふれていて、それを感じながら生きることが幸せだと思っていれば、その身近な自然を守ることを考えるのではないでしょうか?身近な自然を感じたり、守ろうとしようとしたら困る人々もいるでしょうね。そこには、今、みんなが電気を節約したら原発が要らなくなって困る人がいて、必死こいて人々を洗脳しようとしている人々がいるのと同じ構造が見えます。そんな風になっていいことがありますか?あなたはそれでいいんですか?
何の関係もないホッキョクグマを守るためにCO2減らすことに必死で、身近なカエルは皆殺しにして絶滅させるような人々が日本人の姿だとしたら、そりゃあイケン!
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