2016年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月29日 (日)

安全意識が低すぎる人々

 先週、首都圏は久しぶりに積雪した。雪は夜中に大量に降ったので、朝はあちこち路面が凍結して転倒する人続出、交通事故も続出であった。

 雪に弱いといわれ続ける首都圏。それでも何年に一度は積雪するのだから、この程度の雪で毎回怪我人続出というのは、学習能力がなさすぎるのか、それとも、数年前のことは忘れてしまうのかと思う。

 テレビのニュースで中央高速で大型トレーラーが横転して道路を完全にふさいでいる映像をみた。それとは違うが、私も大型トレーラーが反対車線まではみ出して立ち往生している現場を目撃した。どちらも一歩間違えば大惨事である。私が目撃した場所は、普段私がよく歩いている場所であり、身の危険を感じた。スリップして歩道に突っ込まれたりしたら大変である。その程度のことも想像できないような安全意識の低すぎる輩が、あんな危険な大型車を運転しないでほしい。そんな安全意識の低すぎるドライバーは危険運転罪で即刻逮捕、免許取り消しにして欲しいものだ。Kiken2012012901

 さて、昨日の夕方車を運転していると、日が暮れてきてもライトを一切つけない車がいて迷惑した。車体が黒い上にライトも点灯しないから、闇にまぎれて見えなくなる。そんな奴の近くにいると危ないから、そいつを追い越したが、バックミラーでみても、車の存在すらわからない状態だが、あんな状態でよく運転できるものだと思う。若い男性が運転していたようだ。若くて眼がいいので前方は見えるのかもしれないが、それではイカン。たまに、街灯が明るい街中で夜でもライトを点灯しない輩がいるが、それはライトの機能を理解していない。自分が進行方向を見やすくするためにだけライトがあるのではなく、他人に自分の存在を気付いてもらうためにもあるのだから。

 まだ、夜間ならば一切点灯しない車は少ない。しかし、これが土砂降りや、濃霧の中となると、点灯しないヤツのなんと多いことか。立派なフォグランプが備えてあるにもかかわらずである。そのフォグランプは単なる飾りかい?Kiken2012012903

 私の住んでいるあたりは、丁度、東京湾側の空気と太平洋側の空気のぶつかる位置にもあり、霧が発生することが多い。視界が数十メートルということもある。そんななかで、霧の中から突如車が現れたら身の危険を感じるだろう。昼間の濃霧は特にである。運転者からみたら、フォグランプを点灯しようがしまいが、自分の視界はたいして変わらないから点灯しないのかもしれないが、前述のように、ライトというのは他人に自分の存在を気付いてもらうためにもあるのだ。特にフォグランプというのは。

 安全意識の欠如は、想像力の欠如でもあると思う。今、自分が運転している車が他人にどう見えるか。自分がここを走っていることが相手にどう見えているか?それが危険なのかどうか?そういう想像力の欠如である。

 見渡してみれば、車間距離をギリギリまで詰めてくるヤツとか、人通りの多い商店街のある狭い道路を猛スピードで駆け抜けるヤツとか、日々、車を運転していると、安全意識の足りない、つまり想像力の足りない、つまりは、頭の足りない奴がいっぱいいる。安全意識の足りなさで、自身だけが酷い目にあうだけならいいが、まわりをまきこんだりしないでもらいたい。

 そういえば、ある人が言っていたが、最近は週刊誌などで「放射能」のことをとり上げてもウケがよくないのだそうだ。飽きたのか?忘れたのか?そんなことだから、東京はちょっとした雪でも毎度混乱するんだよ。そんなことではイカン!

2012年1月22日 (日)

帰化植物

Kika2012012201 「日本帰化植物写真図鑑」という本を買った。全2巻。決して安い本ではないが、身近な生き物のことを観察、記録している私にとって、どうしても必要だからだ。

 帰化植物というのは、物凄く大雑把にいえば、本来日本に生息していなかった外国産の植物で人為的に日本に持ち込まれ、野生化したもの、といえる。ただ、歴史をさかのぼれば、稲作文化が渡来してきたのと同時に渡来してきた植物もあるが、確かな記録がないため帰化植物なのかどうか実際のところ判別出来ないようなものも多数ある。おおよその帰化植物というのは明治以降に渡来したものをいうようだ。

 この全2巻に収録されている植物の種類はなんと1100種にも及ぶ。そんなにも多くの帰化植物があったのかと思おうが、実際にページを開いてみると、ほとんど見たことのある種である。Kika2012012202 さらに、毎年、数十種類もの帰化植物があらたに「発見」されているというのだから、日本はすでに帰化植物だらけなのである。

 日本は島国なので、固有の種も多くあるが、身の回りを見渡してみても、どれが日本古来からの植物で、どれが帰化植物なのか、もはやわからない状態であり、日本古来からの植生なんてものは、もうほとんど残っていないというのが現実だろう。

Tampopo2011040202 身近なものではセイヨウタンポポがある。これは明治の頃に野菜として持ち込まれたものだといわれるが、いまや、道端に普通にある。コンクリートの隙間などの過酷な環境でも生えている。

 一方、在来種のタンポポが生える環境というのは、日当たりのよい田んぼの畦などのやや湿った場所に限られるということは、観察してみればすぐわかる。Tampopo 在来タンポポの中にセイヨウタンポポが混じって生えているということはほとんどない。

 過酷な環境にも生息できるセイヨウタンポポが在来タンポポを駆逐するなどとよく言われることだが、実際に観察してみると、物事はそんなに単純ではないことがわかる。私の住んでいる周辺では、昔ながらの環境が残っている場所では在来のカントウタンポポがほとんどであり、都市化が進んだ場所でみられるのは、ほとんどセイヨウタンポポである。

 最近の研究では、セイヨウタンポポといっても、純粋なセイヨウタンポポはごくわずかであって、都会にはびこっているタンポポのほとんどは在来タンポポと交雑した雑種であることがわかっている。しかも、そのほとんどがクローンで、同じ遺伝子を持つという。おそらく、在来種と交雑して、ある時にたまたまコンクリートの隙間のような過酷な環境でも生息できるような種が出来た。そして、それが単為生殖でどんどん増えていった、というシナリオではないだろうか?

 いまや帰化植物だらけになった日本の植生は、在来種との関係も一方が一方を単純に駆逐するといった単純な関係ではなく、それぞれに色んな事情があり、複雑に入り組んでいるのだろう。そうなってくると、一旦それが環境に蔓延してしまうと、駆除することは大変困難になってくる。

 最近、どこをどう勘違いしたのか、「河原を花でいっぱいにしよう」などといって、コスモスなどを植えるという人々がいる。どうしてそんな外来種、しかも園芸種のコスモスを、普通の自然の環境に放散させるなどといった馬鹿げたことをやるのか。見た目、花でいっぱいだとしても、その花がどれだけ環境に悪影響を与えるかも知らずに、そんなことをやるのは許し難い行為に思える。しかも、それをどう勘違いしたらそうなるのかわからないけれど、「良い環境を作る行為」だと勘違いしている人が大量にいる。花が咲いて綺麗なら良い環境だというのなら、勘違いも甚だしいというものである。

 このことに限らず、今の日本人の自然感というのは、その程度なのだから、そこから啓蒙していかねばならないだろうと思う。

2012年1月18日 (水)

サルでもわかる似非エコに騙されるな

何年か前に、「愛・地球博」というおかしなイベントがあった。私は当時、大変批判的であった。散歩道プロジェクトでも散々批判していたのだけど、そうすると、「身内に関係者がいる」とか、「尊敬している人が一生懸命携わっている」とかで耳を貸さない人がいて、大喧嘩もした。まあ、その時思ったのだけど、「何が本当に正しいか」よりも「間違っていても身内が大事」という人も沢山いるんだね。考えてみれば、原発問題も一緒だな。

さて、その「愛・地球博」でも、市民展示とやらは最悪だった。今でも思い出すのだけど、廃品を利用してわけのわからんオブジェを作って、ゴミからさらに大きなゴミを作りだして、なにが「エコ」なのかと思った。

今でもはっきり覚えているのに、「牛乳パックからウチワを作りましょう」というエコ教室?があった。しかも、その様子を愛・地球博のテレビで放映してんのよ。アホか?と思った。

考えてみたら、ウチワって一度も買ったことないのだけど、夏になると、あちこちでウチワをもらってきたり、街頭でも配っていたりするので、うちには大量のウチワがある。探してみたらこんなにあった。Uchiwa2012011801 でも、こんなに要らないんだなあ。それに、夏の間、ちょこっと使うかな、というくらいで、一年のうちほとんどはウチワなんかいらない。だからワザワザ牛乳パックで作っても、ゴミになるだけ。

それに、牛乳パックって、年に1枚しか使わないってことはなくて、我が家の場合、だいたい1.5日に1パックくらいだから、そんなもん、全部ウチワにしていたら、家中ウチワだらけになるわい!Uchiwa2012011802 それより、普通、牛乳パックって、こんな風に分解してリサイクルに回すでしょうが。それをウチワにしたら、リサイクルさえも出来なくなるよ、単なるゴミを増やすだけ。

どこがエコなんじゃ!(怒)

ってか、こんなもんサルでもわかるわい。

学校なんかでも、廃品で工作なんかして「エコ」っていわないで欲しいと真剣に思うね。何が本当に環境にやさしいのか?そこを考えずに、単に、ゴミを意味もなく利用すりゃエコだと考えることがおかしい。まあ、CO2減らしゃあエコだと思っている人も多いけど、似たようなもんじゃわい。

そもそも、「環境にやさしい」とか言って、それっていったいどうなんだ?サルより賢かったら、まず、そこを考えようよ。だいたい、自然環境のことがこれっぽっちもわからなくて、優しいもクソもないでしょ。本当に優しいのかどうか?考えてみたことある?調べてみたことある?

2012年1月15日 (日)

トイレと原発

Toilet20120115 正月に帰省した時、実家で何度か思わぬ時にブレーカーが落ちた。特に何かしたわけでもなく、何故だろう?と不思議に思っていた。

朝、私がトイレに入って便座に座った途端、ブレーカーが落ちた。「ははあ、これだな」と気付いた。便座ヒーター付き、洗浄機能付きトイレである。便座に座ると、なにやら脱臭のためかファンが回る音がする。おそらくヒーターも余熱状態から一段スイッチが入るのだろう。だから、私が便座に座った途端に消費電力量が跳ね上がり、それでブレーカーが落ちたのだ。そこで、便座ヒーターだけでもスイッチをOFFにしてみたら、それ以来、ブレーカーは落ちなくなった。

ところで、駅のトイレというのはかつて、出来るだけ使いたくないトイレであった。汚い、臭い、おまけにトイレットペーパーもない、というところが多かった。ところが、最近、特に地下鉄の駅などはどんどん改修されて綺麗になっている。改修されて綺麗になったトイレは、このような便座ヒーター付き、洗浄機能付きであることが多い。まあ、それで喜ぶ人もいるだろうが、日本人はまたしょーもないところにエネルギーを使うものだなと思う。

便座ヒーターというものは、便座に座った瞬間にスイッチが入るのではない。常に入っている。これは常に入れている必要があるのだ。普通のヒーターなしの便座で、便座が冷たいと感じるのは便座に座った瞬間のわずかな時間であり、しばらく座っていれば自分の体温で便座が暖められて、暖かくなる。だから、便座ヒーターがあって便座が冷たくなくてよかったと思うためには、誰も座っていない間に暖めているという、信長の草履をあたためておいたという秀吉のような気配りが必要なのである。

ところでところで、一日のうち、トイレに座るのは合計何分?と、考えた時、一回わずかに数分、一日分を合計して長くても数十分だと思う。割合でいうと5%未満だと思う。そのたかだか5%のためだけに、便座はずっと暖め続けられているのである※。

さて、便座ヒーター付きのトイレの消費電力はどのくらいかと調べてみたら、機種にもよるが最大300W~1300Wくらい。便座だけだと50Wくらい。温水ヒーターなどで、数百W。もっとも、メーカーではタイマー機能などの節電機能を設けて、年間消費電力量がいくら、という計算方法で出しているようだ。それによると、200kWhくらいのものが多いようだ。

日本の一般家庭の年間消費電力の平均はおよそ4000kWhである。したがって、便座ヒーター付き洗浄機能付きトイレを導入すると、消費電力がおよそ5%増えることとなる。

こういったトイレを使っている家庭が使用をやめれば、それだけでその家庭の消費電力は5%程度は減る。また、こういったトイレの普及率は70%程度だとのことだから、今使っている家庭の洗浄機能付きトイレを全廃すればおよそ3%程度は消費電力を減らすことが出来るのである。これを大きいとみなすかどうか?というところだが。少なくとも、いざとなればこの程度の努力で(トイレの電源切るだけで)消費電力は抑えられるということだ。

いまだに、豊かな生活か?それとも原発か?のような究極の二者択一のような言い方しかできない人がいる。自然環境に対して理解ありそうな作家の大先生でさえ、そういうような発言をされていて、ホントにガッカリだ。電力を無駄に使うのが豊かな生活ではない。逆に、原発から自然エネルギーへの転換を図っていくことのどこが豊かな生活を犠牲にすることになるというのだろう。そんなことすらわからなくなっているのなら、これはもはや老害である。

今後、さらなる省エネ技術の開発、さらなる効率的な発電方法、蓄電方法の開発、やろうと思えば出来ることはいくらでもある。技術者は今まで出来なかったことを可能にしていく技術開発をしていくことが使命なのだから、きっと出来る。出来るまでの間、ほんのちょっと我慢する。そうすれば、素晴らしい未来が見えてくるのではないか?若者たちにはそういう未来を夢見て、頑張ってほしいと思う。新しいことについていけなくなった年寄りが、従来の概念だけで未来を語ってはいけない。年寄りの語る未来が、どっちに転んでも暗いというような究極の選択の末の未来であるなら、夢も希望もないだろう。そんなことを言う年寄りには未来とは死んでいくだけの世の中だからいいかもしれんが、そんなこと、これから社会に出ていく若者に言うべきことでもなかろう。

逆に、これからどんどん新しいことを生み出そうとする若者は、もっと発信しないといけない。便座の暖かいトイレに座っているわずかの時間でも、人々が安心して、豊かな生活を送れる輝かしい未来を想像してみてはどうだろう?本当の豊かな生活とは何か?そういう概念も変わるかもしれない。さて、そこに、古臭い原発は必要なのだろうか?

トイレにはそれを教えてくれる神様がいる。

※実際には、座っていない間の消費電力を抑えるべく、ある時間帯は電源を入れないタイマー機能などがあるようです。

2012年1月14日 (土)

そりゃあイケン開始にあたり

散歩道プロジェクトのブログとは別に、TAGAの様々な意見を書くブログとして設定しました。

トップページ | 2012年2月 »