散歩道プロジェクトの20歳の誕生日
散歩道プロジェクトは2003年2月16日に生まれた。その頃、趣味のホームページを作っていたのだが、いつも歩く散歩道への熱い思いから、特別なページを作ろうと思ったのがきっかけだ。。
それは、大好きな自然の中の散歩道が消えてなくなるんではないかという危機感からだった。その頃、どんどんと住宅街が進出していた。まだ、ちはら台が今の半分くらいの広さしかなかった頃、延々と連なっていた里山がどんどん消えていき、やがて私の大好きな散歩道周辺の里山も消えると思われた。実際そう思っている人も少なくなかった。
その前に、この散歩道周辺の里山の自然の中の出来事をしっかり記録して、多くの人に見てもらおうと思ってカメラを持って家を出た。これが、その頃の写真だ。
2003年当時の「くねくね峠」だ。「くねくね峠」という名前は私がその時に勝手につけたが、いまや、それで話しが通じる人が多くいる。
そこから「アカガエルの沼」「くねくね主」「コナラの木の想い出」「黄金色に輝く林」など、様々な出会いと出来事があった。それはいつしか私の人生の主要な部分を占めるようになってきた。
変わっているようで、それほどかわっていない散歩道だ。20年前の同じ場所はどうだっただろう?
変わっているようで、変わっていないようでもある。
しかし、大きく変わったこともある。その一つはイノシシが出るようになったことだ。
いまや、イノシシだらけで、あちこちで道がズタズタに掘り返されている。
もう一つは、休耕田だらけになったことだ。かつて、歩けば踏んづけてしまいそうになるほどのアカガエルの楽園だった田んぼも、随分前から休耕田になり、風景はまったく変わった。
そして、残土埋め立ての危機があった。残土埋め立ての計画は現在は止まっているようだが、その計画が持ち上がった時は、自分の身が削られる思いでなんとかしようと一生懸命だった。
そして、休耕田が増えたことで、かつての道を誰も歩かなくなり藪に覆われて歩けなくなったところがあったことだ。
去年の2月16日、私は「散歩道プロジェクトは第二章へと向かう」と書いた。それは、私自身の生活が第二章へと向かい、それは今まで以上に、この地域の自然と直接向き合う生活をすることにしたからだ。
藪に覆われて歩けなくなったところは、先日、みんなで通れるようにした。
もう何年も忘れかけていた風景が蘇った。
くねくねの主が棲んでいた穴も、まだしっかり残っている。
そしてまた、今年から新たに始まることも色々ある。
私は、散歩道プロジェクトを始めた時、「沢山元気をもらった散歩道への私のささやかな恩返しのつもりです」と書いていた。まさに恩返しのつもりで20年間やってきた。でも、恩返しどころか、この20年間で、散歩道が私に色んなことを教えてくれたし、いろんな人との縁を繋いでくれた。さらに感謝することが増えた。
私は、今年からはまた新たなことをやっていく。それは将来、散歩道がまたかつての輝きを取り戻すことに繋がればと思っている。実際、そこまでの道のりはとても長いが、今、なんとなく、出来そうな気がしている。そして次の世代へとつなぎ、100年後も腐らない美しい散歩道をつくることが出来たら、それが本当の私の散歩道への恩返しになるだろう。
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