2003年の2月16日。何を思ったのか、カメラを持って家を出た。雨が降る日だったが、散歩道の周辺の写真を撮りに行った。最初にとった写真がこれだ。
私が大好きな瀬又の谷津田の反対側は、丁度宅地開発が始まっていた。今はもう完全に住宅地になっている。最後に残された谷津田。もしかしたら、何年か後には消えてなくなるかもしれない。その前にとにかくそこの自然を私は写真にとって記録し、見たこと感じたことを多くの人に知ってもらいたいと思ったのだ。
そして、私の人生は大きく変わる。やがて、私が散歩道として愛していた瀬又の谷津田を通して、多くの人との繋がり、谷津田に生きる多くの生き物たちと心が繋がってきた。
ある日突然舞い降りて私の手にとまったオオムラサキ。
何年もの間、心を通わせたヒキガエルの「くねくねの主」。
「帽子を落としたよ」と教えてくれたコナラの木。
様々な出来事が私の中に物語を作る。
2018年の2月17日、つまり、散歩道プロジェクトの誕生日の翌日、私はいつものように散歩道の谷津田で写真を撮っていたら、杖をついて歩く一人の老人に出会った。
その老人は「ここは良い湧き水が湧いて流れているから、この水を田んぼに引こうと思う」という。その田んぼがどこの田んぼなのかわからなかったから色々たずねてみたが、よくわからなかった。そして、「榊を探しているんだが、なかなか良いのがなくて」という。そして、しばらく一緒に探した。そして「まあいいか、このくらいで。飾るだけだし」といってその老人は谷の奥へと消えて行った。
不思議な体験だった。
そして、この谷津田に昨年、残土埋め立て計画があることがわかった。それから自分が散歩道プロジェクトをやってきた意味はなんなのだろう?と自問する日々。でも、今、私が何か動かなければ長年こうして「散歩道プロジェクト」を続けてきた意味はいったいなんなのだろう?
そんな気持ちに突き動かされて、そうして、色んなことをやってきた。そして、さらに新たな人との繋がりができた。それは私の使命なのではないか?そんな気持ちになる。18年前、何かに突き動かされて、「散歩道プロジェクト」を始めたこと。そのことが私の人生の答えそのものになってきた。
埋立予定地の谷津田の奥から、こんこんと湧き水が流れるのを見て、かつて、長い年月、ここで稲作をしてきた人のことを思う。その多くの人々の気持ちを無にしてはならないのだろうと思うのだ。
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