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2020年5月17日 (日)

小さな水たまりのヒキガエルたち

その水たまりは休耕田のそばにある長さ1.5m、幅60cmくらいの本当に小さな水たまりだ。その水たまりにヒキガエル(アズマヒキガエル)の卵を発見したのは3月15日のことだった。

Tamago2020031501_20200517165101(ヒキガエルの卵2020年3月15日)

それから、散歩のたびにその水たまりを覗く日々が始まった。

3月20日にはさらに卵が増えていた。本当に小さな水たまりなのだが、かなりの蛙合戦がくりひろげられたのだろう。

Tamago2020032004_20200517165401(2020年3月20日)

小さな水たまりだから心配した。特にここに水路などから水が供給されているわけではないし、晴れの日が続くと水が涸れるのではないか?そう思いながら、この水たまりを覗く日々だった。

今年の3月の終わり頃は雨が多く降った。大雨の日もあった。そんな天候に恵まれて、小さな水たまりの水は涸れることなく沢山のオタマジャクシが孵った。

Hikigaeru2020040401(2020年4月4日)

それにしてもこの場所に産卵したのは奇跡かもしれない。というのも、ここは、すぐ南側にこんもりとした丘があり、ほとんど一日中日陰なのだ。なので、晴れの日が続いても、それほど水位が下がることもなく、水があり続けた。すぐ近くの水たまりは涸れることがあったが、ここは何故か涸れることがなかった。

やがて、水たまりのまわりは草が生い茂り、遠くから見ると水たまりがあることがわからないほどになってきた。

Hikigaeru2020050301(2020年5月3日)

ヒキガエルのオタマたちは、真っ黒くかたまっていることが多い。いくつかの塊になって、くねくねと動き続けている。卵の様子からすると、数匹のメスが生んだと思われるので、親が違うヒキガエルも混じっていると思うのだが、一つの塊になっているのだろう。

そして、やがて後ろ足が生えてくるものがちらほらとみられるようになってきた。産卵された時期も一週間くらいの差があったはずだから、成長も違うものが色々混じっているだろう。

Hikigaeru2020050502(2020年5月5日)

ここまできたら、あと少しだ。一週間もすれば前足が生えてくる。そして、しだいにしっぽが短くなってカエルの形になるだろう。

そして、今日、5月17日。無事カエルになった姿を見ることが出来た。もう大丈夫だ。ヒキガエルのオタマジャクシは本当に成長が早い。産卵から1ヶ月半から2ヶ月でカエルになって上陸するのだから。

Hikigaeru2020051702(2020年5月17日)

そして、上陸したばかりのヒキガエルは本当にちっちゃい。おそらく、初めて見る人はビックリするだろう。こんなちっちゃいのにちゃんとカエルの形をしているなんて。

Hikigaeru2020051701

手に載せてみると、本当にちっちゃなちっちゃな手足の感覚を感じる。まるで、ハエトリグモが手に乗ったくらいの感覚だ。けれど、それが手の上で歩いたり跳ねたりすると、しっかりと命の感覚を感じる。しっかりと生きている。なんとも愛おしい感覚だ。

真っ黒くかたまっていた彼らは、上陸すると散り散りになっていく。こうして卵から上陸するまでを見ていくと、本当に我が子のように愛おしい感覚になる。これは一度経験しないとわからないだろう。

そうして何年かして、大きくなった彼らがまたここにやってきて、蛙合戦を繰り広げる。そうして命が繋がっていく。ここの環境が激変して彼らが棲めなくならないことを祈る。

毎年こうやって卵から上陸するまでを見ていると、彼らの存在を知らない人間たちが、好き勝手に環境を改変したり破壊したりして、彼らが棲めない環境が出来上がっていくことは、本当に悲しく思う。それは理屈ではなくだ。カエルが水たまりに卵を産んで、それがオタマジャクシになり、やがて足が生えてカエルになる。そんなこと当たり前と思うかもしれないが、それを最初から最後まで自然の中で見たことのある人はどんどん少なくなっているだろう。そうした身近な自然を点ではなく線や面としてみるという体験が、人々の心と自然を繋ぐんだと思う。そういう経験のない人々が平気でカエルを駆除しようなどと思うんだろう。それは悲しいことだ。そんな人々の言動に接するたびに悲しくなる。だから、私はこうやって自ら自然を見て、それを伝えたいのだ。

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