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2018年3月25日 (日)

局地的絶滅ということを実感としてとらえる

 杉花粉症の季節はそろそろ終わりだが、ここにきて花粉症が酷くなった。くしゃみを連発し、目を真っ赤にさせながら、それでも散歩道に行く。何故そこまでして行くんだろう?と自分でも思う。だが、この10年ほどやってきたアカガエルの産卵記録を途絶えさせるわけにもいかない。もし、途絶えさせてしまったら、記録によって知り得ることを失うかもしれない。そう思う。
 かつてのニホンアカガエルの楽園、かつては1シーズンに400個ほどの卵塊があった田んぼ。しかし、なんどもいうように、ここでは産卵された卵塊が一つも生き残ることが出来ないほど、乾燥化がすすんだ。産卵された卵塊から一匹のカエルも育たない状態が5~6年繰り返されて、昨年はわずかに数個の卵塊を見るだけになった。その数個もほぼ全滅した。
 だが、今年は状況が異なる。その田んぼがずっと水を蓄えているのだ。もしかしたら、劇的に回復するかもしれない。そういう期待を持っていた。しかし...
Tambo2018032501 どう考えても、アカガエルの産卵に適した環境がそこにある。適度の浅さの水。そして、流れのまったくない水。それがそこにあるというのに、いまだ1個の卵塊も見ることが出来ない。
 ついに、この場所のニホンアカガエルは絶滅したのかもしれない。そう思う。このところの暖かさで季節は確実に進んでいる。ここ数年遅かったアズマヒキガエルの産卵もとっくに終わっている。
 ここはかつて、私が水が涸れて死にそうになっている卵塊を持ち帰り、水が安定するまで自宅の水槽で育て、放流するということもやってみた。それほど思い入れのある場所なのだが、いまだに1個の卵塊も見ることが出来ないということは、かなりの絶望感がある。
 田んぼだけではない、その周辺の水路でもまったく卵塊がないのだ。Suiro2018032501 こうして局地的絶滅ということが起きているんだなと感じるのだ。
 おそらく、ニホンアカガエルは種として絶滅することはないと思う。なぜなら、各地で、この絶滅に瀕したカエルをなんとか守ろうという動きが活発だからである。しかし、その一方で、まるで誰にも見向きもされない場所のニホンアカガエルはこうして局地的にいなくなっている。
 私は長い間、この実態をうったえてきた。人々にいろんなところで伝えようとしてきた。だが、それをなんとかしようという人は皆無に等しい。一方で、逆に局地的に意識の高まりがあり、守ろうとしている人々が各地にいる。だが、だからといって、その人々が、ありとあらゆる生息地にでかけていって何かするわけでもないし、実際不可能だ。
 さらに言えば世間一般の方々は、こういう身近な自然環境には見向きもせずに温暖化でホッキョクグマが、など見た元もない遠い地のことを、心配しているのか、なんとかしようとしているのかさえもわからない。
 くねくね谷の奥が、少しかすんでみえるのは、小さな虫が沢山飛んでいるからだ。春霞というのは、こういう虫たちが飛ぶことによる霞というのもあるかもしれない。Kunetani2018032501
くねくね峠を下っていくと、黒っぽい蝶が飛ぶのが見えた。ミヤマセセリだ。
Miyama2018032501 この時期にだけ飛ぶ蝶。飛んでいる場所は限られる。くねくね谷の奥にいけば、毎年見ることができる。千葉県レッドデータブックでカテゴリB,重要保護生物に指定されている蝶。
 これも、かつては、もっと広範囲に飛んでいたのかもしれない。そして、いつのまにか、飛ぶ場所が限られてきているのかもしれない。
 貴重な生物というと、どうしても、今あるその生息地をなんとかしようという話になりがちだ。実際に生息環境が微妙であり、そういう微妙な場所でしか生きられない生き物も多いとは思う。たとえば、高山に生える植物などはそうだろう。高山という限定的な場所でしか生息できないのだから、その場所の環境破壊がもろに影響してくる。
 しかし、ニホンアカガエルやこのミヤマセセリのように、それほど特殊な環境を必要としない生き物が数を減らし、生息地が限定されていくというのは、知らないうちに、局地的絶滅が進んでいき、そして、気づけば、特定の場所にしか生息していない状態になったということだろう。
 こういう局地的絶滅を防ぐには、単に特定の生息地を守るのではなくて、もっと広く、生息環境の実態をしる必要があるのではないかと思う。その視点が必要だろう。
 Tamago2018032501 かつてのアカガエルの楽園のように数百個の卵塊があるわけでもなく、毎年数個の卵塊があるだけの場所、だが、そこは、確実にアカガエルが育っている場所、そんなところに行ってみると、ちゃんと少ないながらも卵塊がある。それは逆に驚きでもある。わずかな数だが、確実に命がつながれているのだ。局地的絶滅は、必ずしも、今、数が少ないところから起きるわけではない。大量に生息していても、大量に死んでいくならば、一気に局地的絶滅が起きるんだなということを、ここ10年の私の観察は教えてくれた。

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