季節の終わりと新しい季節の始まり
今は丁度、季節の底だ。一年で一番寒い時期だ。ほとんどの昆虫たちは命が絶えるか、冬眠しているかである。草は枯れ果てている。そして、これから新たに芽を出すものがいる。落葉樹は次の春にそなえて冬芽を少しずつ膨らませている。昨年からの全てのサイクルが終わり、また新たなサイクルが始まろうとしているのだ。
そして、この時期になると、ニホンアカガエルの事が気になり始める。全国あちこちからニホンアカガエルの産卵の知らせが届き始めている。ただ、散歩道のニホンアカガエルは関東でもかなり遅い方で、産卵が始まるのは、まだ一カ月ほど先だ。しかし、その産卵場所の状況について、私は毎年今頃から気にし始める。
かつて、この田んぼ周辺はニホンアカガエルの楽園だった。毎年、数百個の卵塊が見られ、多くは生き延びた。だが、ここ10年ほどは、以前より水はけがよくなり、水が涸れて死ぬものが多くなった。カエルの子供はオタマジャクシ。オタマジャクシは水がないといきていけない。田植え前の田んぼの水たまりに産卵されても、田んぼに水が入る田植え頃までに水が涸れてしまったら、生きることが出来ない。そうして、水が涸れて死ぬものが増えたことで、ニホンアカガエルの数は激減した。今は、水が涸れない水路に10個程度の卵塊が見られる程度になった。ニホンアカガエルの数はかつての1/10以下になっているだろう。
ところが、今年はどうも状況が異なる。この田んぼは結局、昨年から休耕になった。ここの田んぼは谷から湧き出てくる水を水路に流し、その水を出し入れしている。だが、休耕になってその水の出し入れをしなくなったことで、放置された田んぼに水が湧いて出るようになったようなのだ。
特に、昨年12月頃からは、明らかに水が張った状態になっていて、涸れない。乾いた地面に生えていた草は枯れ果てているが、もともと乾いた場所を好む草であったはずだから、春になっても、同じ草が芽を出すことはないだろう。もっと湿地を好む草にかわっていくはずだ。
かつて、ここの田んぼの水が豊富だったころは、ここでアズマヒキガエルの蛙合戦(産卵時期に一斉に水辺に集まって繰り広げられるオスたちの戦い)が見られたが、田んぼが乾燥してからは、みられなくなっていた。実は、この谷のずっと奥の湿地では、毎年、かわらずに蛙合戦が見られるので、もしかしたら、今年はここで蛙合戦がみられるかもしれない。
考えてみれば、ここは谷の奥である。谷の奥からは水が湧いている。そして斜面からも水が湧いている。ここを田んぼにする前は、谷底の湿地だったことだろう。そして、休耕になって、また、田んぼになる前の谷底の湿地に戻っていっているのかもしれない。
私は、もう10年以上、この周辺のニホンアカガエルの産卵と生育を観察しつづけてきて、ほとんどの田んぼはニホンアカガエルの産卵、生育に適さないということを見てきた。実際、そういう田んぼにはたとえ水たまりがあったとしてもニホンアカガエルが産卵にくることはない。水が涸れずに生き延びられる田んぼに限って産卵がある。ぱっと見で同じ水たまりに見えても、産卵があるかないかで、その水たまりの歴史がわかる。
そうして、そういう人々の営みに翻弄されるニホンアカガエルなどの生き物を見てきた。人々の営みが窮地に追い込んでいる生き物も沢山いることもわかった。
今、日本はどんどん人間が減っている。農業人口の減少はもっと激しいだろう。そうして農業などの人間の営みに依存していきてきた生き物は、そういう人間の営みの変化に翻弄されている。私はそれを見て一喜一憂していたように思う。だが、生き物たちは、人間がこの地にやってくるはるか昔からここで生きていたのだ。人間の営みとは別に、自然の環境変化に翻弄されながらも生きてきたのだ。人々が考えるよりも、ずっとたくましく生きてきたのだ。
もし、人が減って、田んぼなどの農地も減っていくなら、どうすればよいだろうか?耕作もしないのに無理に耕作地と同じ環境を作って維持するのだろうか?いや、それでは、維持する人がいなくなったら同じことだろう。金にならない環境を維持するなんて、酔狂なことを言っている場合ではないかもしれない。









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