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2015年11月29日 (日)

音楽で表現するということ

 

Kunetoge2015110301 十数年前に、この「散歩道プロジェクト」を始めたのは、身近な自然がどんどん失われていくことに危機感を感じたからである。多くの人が目の前の自然を見ることもなく、何も感じることのない現実。多くの人は、何も感じないものが失われても、当然何も感じない。これでは日本の豊かな自然はいつの間にか消えてなくなってしまう。そんな危機感があった。Zousei2015110302

 だから、目の前の自然に対して、何も感じていない多くの人が、少しでも何かを感じることが出来れば、もしかしたら世の中は変わっていくかもしれない。そう思ったのである。この目の前の自然の中で起きていることを、私が感じてきたように感じてもらうこと。私自身も、もっと自然を感じて、それを伝えていきたいと思ったのである。
 それから十数年。もはや、私にとって「散歩道プロジェクト」はライフワークとなった。色んなことを試みてきた。そして、言葉や写真を通してこの自然の中の「物語」を感じてもらうこと。それを目指してきた。さらに、言葉や写真では伝えられない感覚も含めて、音楽という言葉で伝えられないだろうか?そう思って、音楽の取り組みも始めた。
 Score2015110801 そのために、自ら作曲し、伝えたいことを音楽にしてきた。自然の中で私が感じたことをそのままに音にしたいと思ってやってきた。時には、自然の中の様々な音、鳥のさえずりや、虫の声、カエルの声などを自ら録音し、音楽の中に取り入れてきた。Recorder2014030201
自分が感じたことを感じたままに表現したい。ただ、その思いだけでやってきた。ようやく、それは形になってきた。
 私の音楽は多くの人に言わせれば「癒し」を感じるのだそうだ。ある意味、私が自然の中で癒されているその感覚が音楽にのっているのだろうと思う。別な感想としては、「悲しみ」や「不安感」を感じるという人もいる。どちらもやはり、私が自然の中で感じている感覚の一部なのだろうと思う。
 世の中には、「癒しのための音楽」と称した音楽があふれている。ヒーリング音楽などといわれて、まるで駄菓子のような甘いだけの作品も多い。いったい、これは何を表現しているのだろうか?単なる音の積み重ねだけで、表現すべき実態のない音楽ほどつまらないものはないと思う。
 誤解されることも多いのだが、私は「癒し」のために音楽を作っているわけではない。私は私が自然の中で感じたことを音楽で表現しているだけだ。そこには「癒し」の要素もあるかもしれない。私の音楽で「癒し」を感じてもらえるのなら、それはそれでいいと思う。だが、それだけではない。言葉では表現しきれない「何か」があるから、それを音楽で表現しているのである。Player2015110801
 一つ一つの音には私なりのこだわりがある。そして、さらなる表現を求めて、これからも進化していきたいと思う。とりあえず、今までの作品の集大成として、アルバムを世の中に出した。よかったら聴いてみてほしい。

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2015年11月21日 (土)

アルバム「記憶」配信開始

オリジナルアルバム「記憶」がアマゾンからダウンロード出来るようになりました!

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2015年11月10日 (火)

そろそろ発想を変えませんか?

この「散歩道プロジェクト」を始めてから12年。12年前に私の心を揺さぶったのは、大好きだった散歩道にせまってくる破壊の風景だった。Sampo002

あれから12年がたち、この破壊された場所は住宅街になり、もとはどんな場所だったかもわからなくなった。なにより、ここに住んでいる人は、そのもとの姿を知ることもない。
その住宅街になった場所の端の方、ずっと草むらだった場所がある。草むらは少しずつ木が生えてきて、ノウサギやキジが走り回り、チョウゲンボウが狩をする場所になっていた。おそらく、あと何十年かすれば、素晴らしい自然の森になるだろう。そう思っていた。
しかし、今更ながら、破壊は始まったのである。
Zousei2015110301
自然豊かになりつつあった場所が、無残にも砂漠に変わっていく。
私自身、造成地に住んでいる。だから、こんなことを言うのはおかしいというのであれば、どうぞ言ってくれ。
ただ、人口減少の日本において、こんな風にいつまでも自然を破壊してどんどん街を拡大
することが本当に必要なのだろうか?それでいいのだろうか?
ここは、今は一日にバスが数便しか通らない、郊外の外れの地である。確かに、一時的に街はにぎわい、バスの本数も増えるかもしれない。
私が今住んでいるところも30年前はそうだった。だが、いまや見る影もない。街とともに賑わっていた商店街はほとんど空き家や更地になり、かつて通勤通学時間帯は満員だったバスも、大赤字路線になり、ついに廃止。スーパーは次々とつぶれる。それは、今、街を作ろうとしているこの場所から、わずか数キロしか離れていない場所なんだそ。最寄駅まで徒歩では40~50分もかかるこの場所とは違い、JRの駅から10分ほどの場所なんだぞ。
Zousei2015110302
そんな街を再生するのでもなく、ただ、新しい街をどんどん作り続けているのだ。
近所の人は言う。
「若い人は、ここには帰ってこないよ。不便だから」
ピカピカの新しい街なら、不便であることも忘れてしまうのか?あと何十年かして、ここがどうなるかは見てみたい。
「街を使い捨てにする」
私はずっとそう言い続けている。
そろそろ発想を変えないと、日本がいくつあっても足りない。
自然の豊かな日本。その価値をゼロにして、どこもかしこも同じような街を作る。そんなことがいつまでも続くことはない。何故、この目の前にある自然の価値を私たちは評価できないのだろうか?
あえて今、私は言っておきたい。
あと100年もしたら、ここはまた自然豊かな森に戻っているだろう。自然の価値を知ろうとしない人間など、ちっぽけなもなのだ。

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