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2014年3月30日 (日)

アカガエルの危機に思うこと

 散歩道で今年最初のニホンアカガエルの卵塊をみつけたのは3月8日であった。これはこの10年間では3番目に遅い産卵となった。かつては2月の終わりには産卵開始することが多かったが、少しずつ遅くなっている。気候の加減と、あるいは産卵環境が影響しているかもしれない。Akagaeru2014030801数年前の私の調査では、2月中に産卵された卵塊は3月の半ばまでに全て水涸れで死滅する。そのような状況が続くと、2月に産卵する性質を持ったアカガエルは絶滅してしまうだろう。田んぼの水が安定するのが4月に入ってからだから、出来るだけ遅く産卵した方が生存出来る可能性が高くなるということはないだろうか。

 何度もここに書いているが、ニホンアカガエルはかなり正確に自分の生まれ育った場所に産卵に来るようだ。かつて産卵があった場所が数年間水涸れし、生育することが出来なくなると、そこで育った親カエルがいなくなる。そうすると、そこでは二度と産卵を見ることが出来なくなる。Suiro2014032901ここは、毎年、数個の卵塊がみられた水路である。ところが、近くの田んぼに水が入らなくなり、環境が変わったのかここの水は涸れるようになった。ここは、今年は産卵がみられない。もっとも、こんな風に水がなければ産卵も出来ないということになるが。

 数年前からの試みとして、水が涸れそうな場所に産卵された卵塊を持ち帰り、田んぼの水が安定する頃に戻すことをやっている。Tamago2014032902一つの卵塊あたり、400~500匹のオタマジャクシになる。水槽の大きさに限りがあるので、だいたいいつも卵塊を2個持ち帰る。約1ヶ月半ほど育て、ほとんど全てを戻すことが出来ている。

 また、水が涸れそうな場所に産卵された卵塊を水が涸れないような場所に移すこともやっている。こんなことをやっても実際効果があるのか、あるいは悪影響しかないのかわからない。だから、産卵開始から上陸するまでの間の様子は事細かく記録している。Kiroku2014033001新たな卵塊は赤で書き、死滅したり消失したものは黒で書く。そうやって、どれだけの産卵があり、どれだけが死滅しているのかがわかる。時間の制約もあり、一人で出来ることは限られるけれど、これが私に出来ることと思って、続けている。

 3月30日(日)は、朝から雨。朝早くに両足ふくらはぎがつってしまい、午前中は歩くのに不自由する感じだった。午後、雨風が強かったが、限られる観察タイミングを逃してはならないので、出かけた。雨のせいで、田んぼには充分な水がある。しかし、こういう産卵に適した場所に卵塊がまったく見られないというのが、私には悲しい光景に見える。Tambo2014033001かつては、いたるところで見られたアカガエルの卵塊が、すっかり珍しいものになってしまった。そんなことに、ほとんどだれも気付いていない。生物の絶滅というのは、ある日突然消えてしまうのではなく、こうして人々が気付かないうちに、どんどん数を減らし、そして気付いた時にはどこにもいなくなるのだと思う。

 先日、いくつかの卵塊を見つけた田んぼは、雨が降ったにもかかわらず、ほとんど水がなかった。ここでみられた数個の卵塊は全て死滅した。Tambo2014033002何故なのだろう?どうしてなのだろう?

「これじゃあダメだ!」

気付くと私はそういって声に出していた。かつて、数百個の単位でみられたニホンアカガエルの卵塊。数年前には数十個の単位になった。そして、今年はいままでまともに生存しているのは10個程度しかない。

土砂降りの中、さした傘が風に煽られながら、憤りのような感情をおぼえる。この危機的状況をなんとかしたい。少なくとも、こういう現状を人々に伝えていかなければ。

 花を愛でるだけのような自然への接し方で何が出来るというのだろう?だが、多くの人々はそれ「だけ」を求めてやってくる。豊かな自然というのは、ただ単に花を愛でるだけのために存在しているのではないし、きれいな花だけを見ていればいいわけではない。

 自然の中で何が起きているのかを知り、様々な自然の中の生き物のめぐりや、人々の生活や自然に対する誤った認識が自然に何をもたらしているのかを知ること。私たちは自然をほとんど何も知らないのだ。だから、謙虚に知ること。そこから始めるべきだ。そんなことを思っている人がどこにいるのか?なにか憤りのような感情を覚えながら歩く。なんで私はこんなにいつも怒っているのだろうと思う。雨に降られ、風にあおられ、カメラもずぶぬれになる。ズボンもドロドロになる。雨の日も風の日も、あるいは雪の日も、私はここを歩いて記録して考えて....何故だろう?

いったい何がしたいのかと思われることだろう....天気の良い日に気持ちよく歩いて、綺麗な花をみて....それも確かに大好きなんだけどね。Kasa2014033001

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2014年3月 2日 (日)

冷たい雨にまだ春は来ず

 朝から冷たい雨。数日前に、急激に気温が上がり、雨が降った。花粉症の私には、杉花粉がいっせいに飛び始めたことがわかり、いよいよ春が来るなと思った。雨が降って暖かくなると、ニホンアカガエルの産卵が始まる。もうそろそろ始ってもいいころだ。だから、私は冷たい雨の中、アカガエルの卵を探しにいかなくてはと思い、傘をさしながら向かった。Sampo2014030201先日の大雪にくらべればなんてことはないのだが、雪よりも雨の冷たさというのはある。でも、濡れた散歩道はそれはそれで、湿った香りがして心が落ち着く。Mizutamari2014030201今年もまた水たまりをくまなく見て歩く季節が始まったんだなと、そう思った。アカガエルの産卵の季節、田んぼなどの水たまりや水路をくまなく見て、一つ、二つ、と卵塊を数える。いくつ増えて、それがそのごどういう経過をたどるのかを見る。これをもう何年も続けている。だから、アカガエルの動きがわかる。

 カエル一匹ずつの個体識などということは無理だが、一つの卵塊は一匹のメスの足跡のようなものである。長年観察していると、そこから色んなことがわかるのだ。

 たとえば、この散歩道周辺で毎年最も早く産卵される場所があった。だいたい2月の中旬には産卵される。これは他のどの場所よりも2週間ほど早い。つまり、ここに産卵に来るメスはどの場所のメスよりも早くに産卵するという性格を持っているといえる。その早い産卵は5年ほど見られた。しかし、その場所の卵はその後の乾燥化で育つことはなかった。すると、ある年からその場所の産卵はまったく見られなくなった。つまり、そこに真っ先に産卵にきていたメスが死に絶えたことを意味する。子孫も育たなかったから、そこに早く産卵にくるメスはいなくなった。これは物凄く狭い範囲の絶滅である。実は、よく見るとこういうことがあちこちで起きている。その状況を見ると、この地のアカガエルがどんな風に生きて動いているかということがわかるようになる。

 さて、以前は2月の最終週には必ず産卵がみられたものだが、ここ数年は2月に産卵がみられることはなくなった。今日は3月第一週。さすがに、先日、暖かい雨が降ったので、その時に産卵しているだろうと思った。だから、水路や田んぼをくまなく探す。きっと産んでいるだろうと思って。Suiro2014030201畑わきの小さな水路。かつてはこんなところにも、沢山のアカガエルがやってきて、蛙合戦を繰り広げていた。アカガエルの楽園だったこの場所も、随分と姿を変え、こんな水路に産卵された卵はほとんどが死に絶えるようになった。今日もやっぱりダメか。

 水たまりという水たまり、水路という水路をくまなく探したが、卵塊はなかった。今日はまだダメだ。数日気温が高かっただけではダメなのか。やはり、あの大雪の影響がまだ残っているのか。こんなに長年観察しているアカガエルだが、わからないことは多い。おそらく、もう2月に卵がみられるということはないのかもしれない。

 少し落胆しつつ、くねくね峠に向かう。それにしてもザアザア降りの冷たい雨。くねくね峠の頂上で少し一休み。Toge2014030201こんな日に、こんなところを一眼レフを持って、カメラが濡れるのもお構いなしに歩く人はいないだろう。でも、私は、ありとあらゆる季節、ありとあらゆる天候を体で感じたいのだ。そうして感じたものを色んな人に伝えたい。この地の全てを感じて、それを伝えたいと思う。

 しかし、ひとは、自分が感じたことのあるものしか感じられないのかもしれない。少し前からそんなことを思うようになった。映像を撮り、音を録音し、音楽を作り、映像を編集して、と、色んなことをやってきた。私にとっては、この場所で私が感じたものの全てに近い作品が出来たとして、私自身はそれによって、私があたかもここを歩いているかのような感覚を呼び覚ますことが出来る。しかし、それはあらゆる人にとってそうであろうか?それは少し違うような気がしている。

 Kirikabu20140302私にとって、かけがえのない思い出の詰まった切り株。その切り株も、随分と朽ちてきた。このコナラの木が切り株になってからもう10年近くになる。それはずっとここにいる。そして、私はこの切り株を見つめるととても心が落ち着く。このところの雑多な日常に追われていた自分を洗い流す。いつまでもずっと切り株を見つめる。雨音がザアザア、ポツポツと音を立てる。

 その時、森の奥から突然聴こえて来た。

 「ボロッポ~、ボロッポ、ホーホー」

 フクロウだ!雨音にまじって迫力のあるフクロウの声。思わず森の方を見つめる。Mori2014030201しばらくするとまた聴こえて来た。

「ボロッポー、ボロッポ、ホーホー」

思わずボイスレコーダを取り出して森に向ける。Recorder2014030201しばらくそのまま録音を続ける。しかし、フクロウは鳴かなかった。ひたすら降り続く雨音をしっかりと録音しただけだった。

 峠を越えようとした時、先日の雪で折れた枝が道に向かって飛び出していて、その枝先に水滴がついていたのがとても綺麗だった。Suiteki2014030201


さあ、家に帰ろう。冷え切った体をあたためよう。

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