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2013年3月24日 (日)

アカガエルの命をつなぐために

 それにしても、雨が降らない。3月というのは、結構雨が降るものなのだが、たまにパラッと降るだけで、まとまった雨にならない。雨が降らないので、アカガエルの産卵も進まない。今年はいまだに10個に満たないのだ。それでも、先日、少しだけ雨が降ったから、それで産卵が進んでいるかもしれない。

 いつものように、水が涸れそうな場所にある卵を持ち帰り、水が安定したころまで育てて、同じ場所に帰すという試みを今年もやろうと思った。卵を連れて帰るタイミングとしては今がベストだ。それで、妻にそのことを言った。同時に、今年の産卵環境がいかに厳しいかということも説明した。妻は、私たちだけがこんなことをやっていてもダメなんではないか?と疑問な様子だ。それで、1時間ほど、大激論を交わした。

 確かに、今、私がやっているような試みを、もしだれもやらなかったら、いずれ散歩道周辺のアカガエルは全滅するだろう。だからといって、周辺一帯を保護地域にして保存するなどしても、誰もそのことに意義を見いだせないのであれば、たとえ一時期可能だったとしても、それが時間とともに破綻し、結局、同じことになってしまうだろう。たとえ、自然の中でのカエルの重要性を理屈で説いたところで、それがアマガエルだろうがアカガエルだろうが世の中の人々の知ったことではない。極端な話し、アマガエルを大量に養殖でもして放流すればそれで済むと思ってしまわないか。ホタルがいい例だと思う。ホタル生息地の生息環境を大事にしようというのならまだしも、どこかからホタルを連れてきて放すだけで、何か良いことをしたような勘違いも甚だしいことが、全国いたるところで行われているのが現状なんだぞ。そこを根本からなんとかしていかないと、日本の自然はすぐにダメになる。環境意識を持とうというのはいいが、年に数回だけ思い出したように、何かやって、それだけで環境に良いことをしているように思ってしまうのでは、むしろ害になると思う。自然は、日常を離れた何かではダメなのだ。日常的に身近な自然に接して、そこで何が起きているのかを見るところから始まらないと、どこか遠い世界の話しになってしまう。それが、自分にとって対して重要ではないことならば、どうでもいいことにしかならない。

 アカガエルのこと、毎年毎年、この時期、歩いて歩いて記録して、そうして守る試みもやって、その結果をさらに観察して記録して...それは骨の折れる作業だ。だけど、愛するアカガエルたちのために、自分が出来ることをやるしかないんだ。他の誰も出来ないのだから、自分でやるしかないんだ。そう思ってやっている。そうして、一方で、多くの人にアカガエルのことを知ってもらうように色んな試みもする。それでうまくいかなくても、すぐに結果が出なくても、ずっとやり続けるしかないではないか。

 卵を連れて帰って育てるというのは、それはそれで大変なことだ。日々、水のことを心配し、水温を気にかけ、餌のことを心配し...そうして2カ月。ここ数年は妻が一生懸命やってくれるおかげで、1匹も死なすことなく、放流出来ている。それはとても労力のいることだ。それにもかかわらず、なかなか思うような結果が得られず、アカガエルは減る一方。そのことが妻は悲しかったらしい。しかし、それでも、今、私たちが出来ることをやるしかないではないか。

 そんなようなことを延々と話しあった。結局は、とにかく現状を見にいって、それで、どうしたらいいか考えようということになった。そして、私はいつものように出かけたのだ。

 まずは、先日、あらたな産卵があった水路を見に行った。Tamago2013032301 一つ、二つ、と卵塊の数を数える。全部で9個あった。前回見た時より2個増えていた。「よ~し、いいぞ~!」と思わずつぶやく。水も涸れていないので、このままずっと水が涸れないでいてくれればいいのだけれど。

 そうして、他の場所も見に行った。先日確保した産卵場所は水が涸れていた。Tambo2013032301 ダメか。しかし、よくみると、端の方に一個、卵塊があった。これは水が涸れそうになっている。水がたまっている真ん中あたりに産んでくれればいいのに。

 他の水路でも数個、卵塊があった。Tamago2013032302 本当に少しだけだが、産卵が進んでいるようだ。頑張れよ!

 先日、アズマヒキガエルが大合戦をくりひろげていた場所は、一面がニョロニョロとした紐状のヒキガエルの卵塊で覆われていた。Tamago2013032303 やがて、これは無数のオタマジャクシになる。そして、彼らは成長が早く、5月頃には上陸するのだ。

 もう一箇所、ヒキガエルの卵を見つけた。ここは特にカエル合戦が繰り広げられてはいなかったのだけど、いつの間にか産んでいるということは、おそらく、夜間に、物凄い合戦が繰り広げられたのだろう。Tamago2013032304 ここは、人通りの多い道のすぐそばなので、昼間はひっそりと隠れていて、人がいなくなった夜間にこっそりやってきて大合戦を繰り広げたにちがいない。

 さて、そうやって、一通り、産卵状況を確認して、家に戻って、妻と徹底的に話し合った。どうするのがいいか?いくつかの卵塊は少し移動させてやれば、生きながらえることが出来るだろう。一箇所に沢山産んでいるものは、産卵場所がかなり脆弱なので、この先、水が涸れる恐れもある。実際、昨年、一昨年と、水が涸れたことがあった。だから、そこのものは、別な安全な場所に移動させるのと、一部は持ち帰り飼育しよう。そういう結論になった。

 そうして、夫婦で出かけて、アカガエルの救出作戦開始だ。Kyushutu2013032301 少しだけ移動するもの、安全な場所に移動するもの、そして持ち帰るもの....泥んこになりながら、卵とたわむれた。Kyushutu2013032303 ゼリー状の卵の感触は、「生きている!」という感触だ。いま、ここにあるこの命。そうして次の命へとつながっていくのだ。今年もまた、アカガエルとともに過ごす季節が始まったのだ。Tamago2013032305

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2013年3月23日 (土)

カエル合戦だ。さあ、命燃やせ!

2013年3月20日。

 今年は本当にどうしたのか?というくらい雨が降らない。先日、首都圏では春の嵐が吹き荒れた。大雨になったところもある。それでも、どういうわけか、この近辺を迂回するように雨雲が通り過ぎたため、パラパラと降っただけで、たいした雨にならなかった。そんな空を眺めながら「もっと雨が降ってくれ」と願う毎日だ。そんな状態だから、せっかく先日確保してもらったアカガエルの産卵場所には、水があっても卵が一つもない。このまま雨が降らなければ、水さえも涸れてしまうだろう。Tambo2013032001 ここは数年前までは毎年数十個の卵塊があった場所である。もう産卵がないのかと心配になる。

 3月3日に、たった一つだけのアカガエルの卵塊があった場所、それ以来、この周辺では、先日までそのたった1個だけだったのだが、そこに行ってみると、あったあった!新鮮な卵塊があった!Tamago2013032003 卵塊は全部で7個あった。先日の1個はすでにオタマジャクシになっているから、合計8個の卵塊がこの水路で生きている。これは嬉しかった。ここ数年の私の飼育放流(水が涸れそうな場所の卵塊を連れて帰って育て、水が安定する時期に産卵した場所の近くに戻してやる試み)で、ここに放流したオタマジャクシがかなりあったから、それが育って産卵にやってきたのかもしれない。あとは、カエルになるまでの2カ月ほどの間、ここの水が涸れないようにすることだ。

 他に卵塊がないかと、くまなく見てまわるが、やはり雨が少なすぎることもあって、そもそも水路に水が少なすぎる。本来、水がチョロチョロと流れている筈の水路が完全に干上がっているところも多い。Suiro2013032001 これでは産卵はできない。くまなく見てまわったのに、卵塊があったのは、さっきの水路だけだった。合計8個。これはこの時期としてはダントツに過去最少である。かつては、この時期にはこの周辺に100個近い卵塊があるのが普通だった。いかにアカガエルに厳しい環境になってきているかがわかるというものだ。

 気を取り直して、爪の谷の奥地にいってみることにした。そこは、ここ数年、アズマヒキガエルの卵塊がみられ、しっかりヒキガエルが育っている場所だ。その場所に近づいていくと、賑やかなヒキガエルの声が聴こえてきた。

 グワッ、グワッ、グワッ

ヒキガエルのカエル合戦が始まっているようだ。行くと、多数のヒキガエルがカエル合戦を繰り広げていた。Hiki2013032001 これだけの数のヒキガエルの合戦は数年ぶりに見た。ここの環境が産卵、生育に適した状態になり、ここで育ったヒキガエルたちが増えたということだろう。

大きな動画はこちらから=>http://youtu.be/D6Aq5iccAXY

久しぶりに見る元気な合戦に、思わず見入ってしまう。彼らの合戦はほんの数日間だけ。どこからともなく一斉にやってきて繰り広げられる。そうして、終ると、みんな散り散りにどこかにいってしまうのだ。かつて、「くねくねの主」もこうやって合戦に加わっていたことだろう。そうして新しい命が生まれ、命がつながっていくのだ。頑張れよ!命燃やせ!

 ぐるりと散歩道をまわって、かつて、もっとも多くのヒキガエルが合戦を繰り広げていた場所に行ってみる。私はここを「メイン会場」と呼んでいたものだ。しかし、どうだろう。まったく静まり返っている。Tambo2013032002 ここは、去年からまったくヒキガエルの姿を見なくなった。耕作放棄によって水がなくなってしまったことが大きい。草がボウボウになり、畦を歩くのも苦労する。

 いま、福島などでは、人がいなくなり、耕作放棄された同じような田んぼは無数にあるだろう。そこはどうなっているのか?そのことを、この場所が教えてくれているような気もする。水が入らなくなった田んぼでは、アカガエルは4~5年でいなくなった。それが私が見てきた事実。もちろん、まったく同じ環境ではないので、同じようになっているとは限らない。しかしながら、このような変化はそこに生息する生き物たちに大きな影響を与えていることは確かだろう。

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2013年3月16日 (土)

命をつなぐ大きな一歩

 先週、散歩道にあるたった一つのアカガエルの卵に、祈るような気持ちで水をかけた。水が涸れて死んでしまわないように。どうか、雨が降るまで乾かないで生き延びてくれと。

 そして、水曜日の夜、雨が降った。ザアザアとまとまった雨になるだろうと予想したが、いつまでたっても降らず、夜空を見上げては心配した。現代において、雨が降ってくれと空に願う人はあまりいないかもしれない。ベッドに横になっても、雨が気になる。雨音に耳をすますが、時々パラパラと降るだけの状態にずいぶんと気をもんだ。「この程度じゃあアカガエルが産卵できないよ。」と独り言。明け方目が覚めて、窓の外を見たらザアザアと降っていた。「これなら大丈夫!」そう思って安心してまた眠りについた。

 今日はアカガエルの卵を見に行こうと思った土曜日の朝、目覚めると、なんだかいてもたってもいられない気持ち。アカガエルの卵がどうなっているかそればかりが気になる。毎年、この時期はそんな感じだが、今年は特別だ。なにしろ、いまだ1個だけ。しかもそれが水が涸れそうな状態にあるのだから。

 先日から休耕田のそばで畑仕事をしている人に、アカガエルのことを何度か話しをしていた。去年から休耕になった田んぼには水がない。だからアカガエルが産卵出来ない。そういうことはすぐにわかってくれた。「田んぼに水を入れるようにしておきます」と言ってくれた。今日もその方々に会って話す。「田んぼに水を入れときましたよ」と。早速いってみる。Tambo2013031601 枯れ草で覆われているものの確かに水は豊富にある。これはいい。これなら産卵が可能だ。ぐるぐると休耕田をみてまわる。卵がないか?そう思って目を凝らす。しかし、アカガエルの卵はなかった。この枯れ草をどかして、開けた水面が出来ればいいんだ。そう思った。この枯れ草を取り除くことなら、自分でもなんとかできそうだ。そう思った。

 先日、生き延びてくれと祈るような気持ちで何度も水をかけた卵のところにいってみた。じっと目をこらす。卵はもうない??と思った次の瞬間、ちょろちょろと泳ぐオタマジャクシが見えた!「やった!孵ったよ!」Otama2013031601 ちっちゃなちっちゃなオタマジャクシがチョロチョロと泳いでいるんだ。なんとも可愛いらしい。先日、必死で水をかけていたことを思い出しながら、思わず笑顔になる。「よ~し!大丈夫だ!頑張れよ!頑張ってカエルになれよ!」

オタマジャクシのいる溝には先日の雨のせいか、たっぷりと水がある。あとは、この水がずっと涸れないようにすればいいのだ。Mizo2013031601 とにかく今日はたっぷり歩いて、全部の水たまりをくまなくチェックしよう。時間をたっぷり使おう。そう思って歩きだす。オタマジャクシが生きていてくれたことが、本当にうれしい。

時間をかけてぐるっと一周見て回る。しかし、卵は他にはなかった。まだ、この1個だけだ。まさか、このままこの1個だけということはないとは思うが、それでもやはり貴重な1個なのだ。

 彼岸が近いので、そろそろヒキガエルのカエル合戦の季節だ。それも気になる。こちらも年々環境が厳しくなってきている。今年はどうだろうか?

 去年、カエル合戦がみられた水たまりを見たが、まだヒキガエルはいない。今年はアカガエルの産卵が遅いようにヒキガエルも遅いのかもしれないな、そう思って帰ろうとしていたら、目の前の道端に一匹のヒキガエルが歩いているのを見つけた。Hiki2013031601 なかなかハンサムなオスのヒキガエルだ。これから合戦場に向かうのだろう。鼻をヒクヒクと動かして息をしているが、じっとして動かない。「ほら、こんなところでじっとしていると踏まれちゃうよ!」そう声をかける。背中を触ったら、のそのそと動き出し、道端の草の中に消えた。

 夕方、休耕田の枯れ草をなんとかどかそうと出かける。今朝会った畑仕事をしている人にまた会って話す。休耕田の枯れ草を取り除きたいと話す。すると快くスコップを貸してくれたので、それでやってみる。わずかに草をどかすだけで、ジワジワと水たまりが出来る。そうやって一人、田んぼの枯れ草と格闘していたら、クワを持って手伝いにきてくれた。本当にありがたいことだ。水たまりはどんどん広がる。Tambo2013031610 こんなに草ぼうぼうになる前はここだけで30個くらいの卵塊があったのだ。それが今や絶滅の危機。それでも、今、こうして産卵場所を確保することが出来れば、アカガエルたちは生き延びることができる。アカガエルの寿命が尽きるわずか5~6年の間、産卵環境が整わなかったら、たったそれだけの期間で、間違いなく、ここのアカガエルは絶滅する。今やらねば手遅れになる。今年はまだ1個しか卵塊がなく、切羽詰まった気持ちだった。それが、こうして産卵場所が確保できたのだから、こんなにありがたいことはない。

 自然の中で命をつなぐことは、命をつなぐことのできる環境があってこそなのだ。新しい命を産む環境、その命が育つ環境、そうして、また新しい命を産んでいくことが出来ること。カエルのような寿命の短い生き物は、そのサイクルがわずか数年絶たれただけで、命をつなぐことが出来なくなる。ここでこうして、私たちは、アカガエルのことに目を向け、少しばかりの力を、この命のために使おうとしている。それが出来たことが、とにかく嬉しい。

 私は、一緒にアカガエルのために産卵場所を作ってくれたことに礼を言って、笑顔で家へと向かった。これからどうなるか?きっと、ここにたった1個でもいいからアカガエルが卵を産んでくれれば、それを私たちは大事に見守ることが出来る筈だ。もし、そうなれば、それはきっと大きな一歩になることだろう。

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2013年3月10日 (日)

負けるな!アカガエル

 先週、たった1つだけのアカガエルの卵塊をみつけたが、その後、雨も降らないので、まったく産卵が進まない。去年までは、沢山の卵塊がみられた田んぼは、去年から休耕となり、草ぼうぼうで水も一切ない。Tambo2013031001 これでは産卵など出来るはずもなく、また、雨が降ってわずかな水たまりが出来たとしても、すぐに涸れてしまう。このすぐそばの溝に先日見つけた、たった一つだけの卵塊がある。Tamago2013031001 しかし、すでに水が涸れそうになっている。このままでは死んでしまうだろう。卵塊をさわってみると、まだプルプルとしたゼリー状の感触があり、水分を含んでいて生きている。なんとかならないか?と、あたりを見渡したところ、畑のわきにジョウロが置いてあることに気付いた。あれで水を注いでやれば、そう思って、水をくみにいく。そうしてジョウロで水を注ぐ。Tamago2013031002 いまここで、この卵の命をつないでおかなければ、ここのアカガエルは消えてしまうかもしれない。そう思うと、重い水を運ぶのも苦にならない。乾燥した溝は水を注いでも、すぐに吸収されてしまって、なかなか水位が増えない。できるだけ、卵塊に水がかかるように注ぐ。そうして何往復も、水を運ぶ。「がんばれよ」と、心の中でつぶやきながら、水を運ぶ。

日照り続きのため、周辺の田んぼや水路にも水が極端に少なく、本当にくまなく探してもまだこの1個だけなのだ。まさか、この1個だけで終わってしまうとは思えないが、少なくとも、とても貴重な1個には違いない。なんとかして命をつないで欲しいと願い、水を注ぐ。次に雨が降るまで、なんとか水が涸れないでいてほしい。死なないで欲しい。そう思って水を注ぐ。

 おそらく、ほとんどだれも、そんなことには気づいていないだろう。でも、毎年見ている私にはその危機がわかる。だからなんとかしたいと思う。私がなんとかしなければとも思う。頑張れよ。そして、頑張ろう。

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散歩道の四季(完全版)公開

散歩道プロジェクト10周年記念イベント「散歩道プロジェクトの10年」にて上映したビデオ、「散歩道の四季」の完全版を公開しました。全編約28分。映像、音声、音楽、全てオリジナルの作品です。是非最後までご覧ください。

散歩道の四季(完全版)2013

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2013年3月 4日 (月)

アカガエルの苦難と悲しみ

 先週まとまった雨が降ったから、きっと散歩道のアカガエルたちも産卵を開始しているに違いないと思った。だから、早く見に行きたくてしかたがなかったのだ。しかしながら、土曜日は急遽入った予定のため見にいくことが出来ず、日曜日の朝、ようやく見に行くことが出来た。それにしても、想像以上に今年のアカガエルは厳しい状況だった。

 ずっとまとまった水たまりがあって、アカガエルの楽園だった田んぼ。昨年まで、ここで水が涸れそうになった卵塊を持ち帰り、田んぼに水が入った頃に戻すことをやっていた。しかし、昨年から休耕となり田んぼには水が入ることがなかった。放置された田んぼには草が生い茂り、水たまりはどこにもない。Tambo2013030301 これでは、アカガエルは産卵のしようがない。ここで生まれ育ったアカガエルはいったいどうしているのだろう?あれほど大量のアカガエルたちがこのシーズンには合戦を繰り広げた場所だったのに、ほんの数年で絶滅の危機だ。

 田んぼわきの水路も草が生い茂っており、水はあるものの、かなり危うい状況だ。Suiro2013030301 昨年は、田んぼに戻せなかったオタマジャクシをこの水路に一部戻した。しかし、5月頃に日照り続きで水が涸れ、おそらく、ほとんどが育つことができていないと思う。今年、ここに産卵があったとして、どれだけのカエルが育つことができるのか?と心配になる。

 そんな中、この水路で1つだけ卵塊を見つけた。おそらく産んでから数日の状態であるから、先日の雨の日に産卵したものだろう。Akagaeru20130303 曇っていたので、水面が反射してわかり辛い写真になったが、草にまみれるようにその卵塊はあった。今年最初の卵塊をこんな状況で見つけるなんて。とにかく、ここの水が涸れずに、育つことを今は祈るしかない。

 もうひとつの田んぼ。ここは先日まで水がたっぷりあったので、大丈夫と思っていたが甘かった。水はいつのまにか涸れて、地面がひび割れている状態だ。先日雨が降ったのにこの状況だから、かなり厳しい。Tambo2013030302 このまま水が入らないと、産卵は無理だ。水が入ったとしても、カエルが上陸するまでずっと涸れずにいてくれないとダメだ。ここは昨年は10個程度の卵塊があったところである。それでも、たった10個だ。そのうち、ちゃんと育ったのはおそらく3個くらいだろう。それ以外はすべて水涸れで死滅している。

 さらに、もうひとつの田んぼ。ここは、毎年、散歩道周辺で最も早い産卵のある場所だった。5年ほど前は5~6個の産卵があったが、数年前からわずかに1個。しかし、その1個はすぐに水が涸れて死んでしまっていた。今年はついにゼロ。Tambo2013030303 水たまりはかろうじてある。この程度の水たまりでも産卵は可能だから、今の時点でないということは、産卵に来ていないということである。毎年、たった一つの卵塊を産んでいた、たった一匹のメスがついに死んでしまったということだ。

 厳しい。これはかなり厳しい。辛い現実だ。悲しい出来事だ。こうして、局地的絶滅が起きるのだ。それは、この周辺の田んぼを長年見ていてわかることだ。この時期に水があるからといって、水のある田んぼが産卵のある田んぼとは限らないのだ。この時期に水さえあれば産卵してもよさそうに思う。だが、そうはいかない。アカガエルは自分が生まれ育った田んぼに産卵に来る。もし、一度、その田んぼのアカガエルが絶滅してしまったら、その田んぼで生まれ育ったアカガエルは途絶えることとなる。したがって、その後、水が入るようになっても産卵はないということになる。これは本当のことだ。毎年の私の記録からもはっきり言える。隣り合った田んぼで、この時期、同じように水たまりがあっても、一方には産卵があるのに、一方にはまったく産卵がないということがよくある。産卵時期に水がありさえすれば産卵があるわけではないのだ。これは、水があっても産卵のない田んぼは、かつてはアカガエルがいたかもしれないが、すでに絶滅したということを意味する。

 こういう局所的な絶滅が、どんどん広がっていって、地域の絶滅へとつながる。気付いた時にはどこにもいないということになる。

 だから、どうか、どうかお願いですから、田んぼの水たまりを無理に排水しないでください。と、私は祈るような気持ちで言いたい。田んぼにとって、お米作りにとって、なんの意味もないことかもしれません。しかし、経済価値云々ではないのです。そんなこと言い始めたらアカガエルは世の中から不要ということになってしまう。カエルなんて、アマガエルがいれば充分ってことになる。だから、そんなことでは決して守れないと思う。もし、あなたが、私のようにアカガエルと心を通わせ、愛することが出来たなら、なんとかしようと思うだろう。それは理屈ではない。アカガエルを理屈では愛せない。愛は理屈で説明できないのだから当たり前だ。そこに必要なのは感性であり、感情の問題なのだ。そこを間違ってはいけない。だから、私は感情に訴えかける。私は人の感情を、人の心を信じたい。

 アカガエルが絶滅しても、誰も困りはしないだろう。でも、感情を持った人間はそのことを悲しむことは出来る。誰も悲しむことはしたくない。だからそれが守ることにつながるんだと思う。「感情的になるな」と人は言う。それは「感情的になっても争いごとには勝てない」という論理的な主張だろう。しかし、この場所のアカガエルの保護などというのは、感情以外では、単なるたわごとに過ぎなくなる。それでも守りたいのは何故か。愛しているからである。私は争うつもりはない。ただ、愛しているものを守りたいだけだ。愛していることに理屈はない。だから理屈では説明できない。私が愛しているという感情を、同じように持ってもらうことが出来ればと思う。それしか私には考えられないのである。私が悲しむように、悲しむ人が増えればよい。そう思う。そのために、私は行動しようと思う。

 これが、私の今日の結論!

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