2003年2月16日。この日、1台のカメラを持って家を出た。それが「散歩道プロジェクト」の始まりだった。
昨日、市津公民館での講演とビデオ上映会を行い、「散歩道プロジェクト」の10周年を記念したイベントが終了した。2月10日のフローラサクラ主催の公演と2回、のべ60人ほどのお客様に、私と散歩道の10年間の物語を見ていただいた。
10年前の2月16日のことははっきりと覚えている。2003年2月16日は土曜日だと思っていたが、調べてみると、日曜日のようだ。そこは私の記憶違いかもしれない。少なくとも、その前の金曜日にテレビで「もののけ姫」を上映していたことだけは確かだ。考えてみると、私は土曜日に録画で見たような気がする。とにかく、その「もののけ姫」を見て、私の中の何かが動いたことは確かだ。
私がこの地にやってきたのは1994年の6月。その年の10月に長女が生まれる。この市原市瀬又周辺は、力強い自然に囲まれた場所だった。森の奥深くに住んでいるようだった。夏はヒグラシの声とともに日が暮れ、鳥たちの声で目覚める。秋の虫の声は360度、全方位からせまってくる。力強い自然を感じて毎日生活することが出来た。それまで住んでいた東京葛飾は、ちょうど幹線道路の交差点近くに住んでいたこともあって、空気が悪く、色々と体に具合の悪いところがあったのに、こちらにきてから、とても健康的になった。そして、よく近所を散歩した。自転車に乗って走り回ることも多かった。
しかし、その頃から、このあたりに、どんどんと都市化の波が押し寄せていた。谷津田に囲まれた本当に小さな駅だった隣駅に大型ショッピングセンターが出来、周辺が一気に宅地にかわっていく。沢山の生き物がいて、歩けども歩けども、どこまでいっても里山の風景だった私の散歩道エリアも端から重機でどんどん削り取られていった。そういう光景を私は自分の身が削られる思いで見てきた。それをなんとかしたい、なんとか食い止めたいと思いながら、何も出来ないでいた。友人と近所の里山を歩いても友人が当たり前のように言う。「ここでこうして自然の中でいろんな生き物を見てきたことなんて、あと何年かしたらだれも信じなくなるかもな」あるいは、隣町に住む友人が、「いずれ陸続きになるから」(つまり隣町との間にあった山がなくなる)と、当たり前のように言うのが悲しかった。
「私には何も出来ないのか?」ずっと自問自答しながら何年も過ごした。そして、2003年2月16日に私の中の何かが強烈に動き始めたのだ。その最初にとった写真がこれだ。
その日は雨が降っていた。そして雨の中、この光景を撮ったのだ。ここは、数年前まで私の散歩道と同じような光景が延々と続いていた場所である。それが、砂漠になった。そして、ただ電柱が延々と立っているだけ。そこから、私の物語は始まる。
まずは地図を作り、そこにいる生き物を記録していった。「散歩道日記」として歩いてみたモノ感じたことを写真とともに紹介していった。
これが最初に作った地図。この範囲を記録していこうと思った。場所に名前を付けた。場所は特に何も考えずに思いつきだ。そして今では「くねくね谷」は多くの人に通じる名前になった。
貴重な生き物の記録。まずはそんなところから始めた。千葉県レッドデータブックに掲載されている希少種、生息基盤の脆弱な種は次から次へと記録出来た。そういう記録がどんどん増えていく。そして、それらの生き物がどんな生活をしているか?ということが少しずつ見えてきた。
来る日も来る日も、歩いて写真を撮って、日記を書いて、生き物の図鑑を作って....休日の大半はそうして過ごしていた。自分でも信じられないくらいの情熱を持って、この「プロジェクト」にあたっていた。なんにもないところから、少しずつ少しずつ、記録が増えていった。
数年たって、そういう私の取り組みが、何人かの人の目にとまることとなった。同じ場所を散歩しているという近所の方とも知り合えた。そうして、「散歩道プロジェクト」を通してネットワークが広がっていく。
そうして、ある日、地元情報誌の取材を受けた。考えてみればこのことが一つの転機になった。地元情報誌に記事が載り、散歩道プロジェクトへのアクセスが急増。それは、丁度、地元での自然観察の講座を企画しようとしていた公民館の方の目にとまることとなり、講師の依頼が来た。考えてみれば、この時、この方が私に声をかけてくれたことは、その後の私に大きな影響を与えてくれたと思う。
そうして、それから、地域の集まりや、学校などで私の見てきたことを多くの人に見てもらう機会を得た。そういうことをやりながら、ずっと変わらずに歩いて、写真を撮って、自分なりに考えて、ブログ等を通して発信をする。そういう中で、自分自身、悩みも多かった。歩きながら、写真をとっても、「これをどう見せるか」ということばかり考える日々。本当に私がここでこの自然に触れて、感じて、感動することよりも、「みんなにどう見せるか」ばかりを考える日々。日に日に自分の中の疑問は大きくなっていった。
そんな中、ふとある考えが浮かんだ。「私は私にしか出来ない私なりの方法で、身近な自然のことを記録し、発信していけばいいのだ。」と。「私なりの方法」これが自分の中でしっくりときた。そうして試しに「くねくね峠の物語」を公民館での講座で発表してみた。そこから、迷いが消えた。「私なりの方法」が見つかった。
コナラの木との思い出や、くねくねの主のこと。オオムラサキとの奇跡の出会い。
こういう私と自然とのかかわりの一つの「物語」。それは、一つの花の名前、一つの鳥の名前を覚えるよりも、人の心に何かを残す。私たちは、自然と戯れて、何が心の中に残っているだろう。私たちは、こういう生き物との出会いや、その後のかかわりあいの中で心の中に「何か」が残っていくはずだ。そのことが身近な自然を愛することとなり、そこから自然のことを色々と考えるようになるのではないか。逆にいえば、そういう体験がないから、自然に「愛」を感じることのできない人が多いのではないかと思う。だから理屈でなんとかしようとする。しかし、理屈では限界があると思う。愛することに理屈は不要だからだ。
自然観察といって、花や鳥や虫の名前をただ覚えるだけの観察は心になにを残すだろうか?大切なのは、身近な生き物たちとどう向き合って生きるかであり、その向き合って生きることから私たちは多くのことを学ぶことが出来るだろう。
自然を愛する人々は、そのことがわかっていないわけではないと思う。自分が自然に向き合って生きることが好きなのは何故好きなのか?考えてみたときに、そういう自分の中に出来てきた数々のエピソードが、かけがえのない自分の人生の一部であるからだ。そこから愛が生まれる。その愛は単純ではないし理屈でもない。
そうして、この10年間で私の「散歩道プロジェクト」のスタイルが形成されてきたように思う。思えば最初の頃の日記に書いていあることでもあった。
自然のままの森の姿を受け入れ、感じ取り、森の声に耳をかたむけること。そして、それを自分なりに表現して多くの人に森を知ってもらうこと。森の声を感じてもらうこと。
そのことを忘れずに、これから先、歩いていきたいと思う。
この10年間には本当に多くの人にお世話になった。お世話になった皆さんに心より感謝したい。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
最近のコメント