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2011年10月10日 (月)

この秋の異変

土曜、日曜の昼間に仕事で出かけることが多い妻が、久しぶりの日曜日の休日に庭仕事をしている。庭仕事といっても、草をとったり木の枝を少し剪定したり、そんなことなのだけれど。妻は庭の草木とたわむれるのが好きなようだ。剪定ばさみの音がチョキンチョキンと鳴り響く。そして、それはあたりが暗くなるまで続く。庭の草木や、そこにすむ生き物と接して、色んな発見をする。遠く散歩に出かける私に「自然観察なんて庭でもできるんだよ。こんな庭だっていろんなものがいるよ」という。確かに、一日見ていても飽きないほどにいろんなものがいる。Yochu2011101001 今日も何気なくみていたユズリハの木に、なにやら丸い葉っぱ?いや、これは蛾の幼虫。おそらくスズメガの仲間、模様からしてクチバスズメかな?を発見した。ちょっと驚いた。

そんな風にいつも小さな庭の自然をよく見ている妻に、最近気になることがあるので、きいてみた。

「今年は葉っぱが早く枯れない?」

するとやはりそうだという。特に常緑で枯れない筈のグレープフルーツの木の葉の上の方がかなり枯れているという。他にも、枯れている葉が庭には沢山あった。Kareha2011101002 妻が庭の木をよく見ているように、私は毎日電車の中から外の風景をよく見る。すると、8月の終わり頃から、線路わきの草がことごとく枯れていくのを見た。9月に入った頃、それはもうまるで真冬のようであった。

その頃、庭の草は元気に青々と伸びていたのだが、近くの空き地などでも一面の枯れ草の場所がある。Kareha2011101003_3 最初は除草剤でも撒いたのかと思ったのだけれど、草がぼうぼうに伸びた空き地に草刈りもせずにいきなり除草剤なんて撒くだろうか?それに、線路わきに延々と除草剤を撒くとは思えない。9月でこんな風景になるとはちょっと驚きである。

このあたりによくあるコナラの木も、かなり汚れたようになっている。毎年ずっと見ているからわかるが、コナラは例年11月の終わり頃に、きれいに紅葉し、12月頃、パラパラと雨が降るように葉っぱが落ちてくる。夏の天候によっては、紅葉の色が汚くなることもあるが、10月からこんなに汚く枯れてしまう年は記憶にない。今は、他の木も含めて、雑木林全体が汚く枯れてくすんだ色になっている。Kareha2011101004 さて、去年はどうだったのだろうかと、コナラの森の定点観測写真を出してみる。Kyonen2010101101 この写真は去年、2010年の10月11日の写真である。この木のほとんどがコナラなのだが、まだ綺麗な緑色をしている。そこと同じ場所でとった今日、2011年10月10日の写真。Kareha2011101005 光線の加減も多少はあると思うが、明らかに色が違う。くすんだ茶色だ。

とにかく、今はあちこちで葉っぱが汚く枯れているのを見る。

季節の進行具合もあるかもしれないと思い、去年、2010年の11月13日の写真を見てみる。Kareha20101113 11月でもまだこんなに緑色だ。

もっとも、年によって葉っぱの色は違ってくるから、今年のようにいきなり汚くくすんだ色になる年もあるかもしれないからと、過去の写真をずっと見てみた。たとえば2009年11月7日の写真は、Koareha20111107 このようにまだ緑だ。10月の中旬前に既にくすんだ茶色というか灰色がかった色になっていることはいまだかつてないようだ。

私がもう5年以上も同じ場所、同じアングル、同じカメラで撮り続けている場所の写真がある。その場所の今日、2011年10月10日の写真。Kunetoge20111010 別にどうってことない写真だが、奥の方にあるコナラの葉っぱは既に茶色になってきている。

去年、2010年10月11日の写真はこれだ。Kunetoge20101011 多少、ホワイトバランスの違いはあるのでそのまま比較するのは難しいが、それでもまだまだ青々としている。

一昨年の2009年10月13日の写真はKunetoge20091013 これまた光線の加減もあるのでなんとも言えないが。

とにかく、定点観測を続けてきているので、こういう比較が出来る。そして今年は何か違うということは私の感覚のアンテナに届いているものがある。これが何によるものなのか?季節の移り変わり、天候、気温の変化、そういうものの違いで毎年微妙に違うものだが、今年はそれ以上に気になることがある。

さて、毎日乗る電車にも最近、見たことのない変化がある。それは、アルミの車両の壁面にシミのような錆のような痕がついている。最初は、「なんだ、この電車、汚れているな」と、思っていたのだが、それがその電車だけではなく、何度も、あちこちで見かけるようになった。Denshoku2011100101 何か、水滴(雨?)がついたあとが、錆びたようになっている。単なる汚れではなさそうだ。

これ、別の路線でも同じようになっているところを見た。2011100607340000 これはいったい何だろう?単なる汚れではなさそうだ。

電蝕?直観的にそう思った。電蝕とは、イオン化傾向の異なる金属同士が接触すると、接触面に電位が生じ、そこに電流が流れるため錆びたりする現象である。

イオン化傾向....イオン化傾向の高い金属に気になるものがある。それは、セシウムだ。もっとも、これが電蝕とは限らないだろうし、仮に電蝕だとしても、原因がセシウムとは限らない。また、まったく違う他の可能性も含めて考えなければならないだろう。

しかし、身の回りの変化をキャッチすることは、どんな場合でも必要だ。そのためには、しっかりご身の回りを見続けていくことだろう。世の中に溢れる情報には騙されても、自分の目で見て確かめたことには騙されることはない。

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2011年10月 2日 (日)

秋の訪れと新たな発見

あっという間に秋が来た。今年の9月はいつもとは少し違った過ごし方をした。そういうこともあって、散歩道をじっくり歩く頻度も少なかった。いつも思うのだが、散歩道の自然の中を歩くということは、自然の中の自分をとりもどす時間でもある。ゆっくりといろんなものを見ながら、五感をつかって、ありとあらゆる自然の中のものを感じてあるいていき、自然の中のリズムと取り戻す。普段、いかに自分が日々の雑多なことに追われているのかに気付く。人間社会のいろんなものにがんじがらめになりながら、毎日を過ごしている。おそらく、自然と接する時間がなかったら、人間社会のゴタゴタが生活の全てになり、いつの間にか自然との接点がなくなっていくのだろう。

 多くの現代の人々はそうして自然との接点がどんどん希薄になっていく。だから、身近な自然がいったいどうなっているか見ることも出来ないまま、一度もみたことのないホッキョクグマが温暖化で絶滅するといった大規模な詐欺に騙される。そうして、二酸化炭素を出さないようにしたり、ゴミをリサイクルすることが地球にやさしいなどと、無批判に受け入れる。多くの人を絶望のふちに追いやっている原子力でさえ、ほとんど自分の頭で考えることなく、「なくては困る」キャンペーンに騙されかける。そうして、目の前の自然がことごとくゼロにされていくことに気付くこともないのだろう。なぜなら、目の前の自然を見たり感じたりする時間が限りなくゼロに近いのだから。見えていないものは見えていない人には最初からゼロだ。そんな人々が平気で「自然を大切に」だの「地球に優しく」だのという。ほとんど詐欺だ。偉そうに、地球温暖化や環境問題を知ったかぶりをして語っている人々はよく自分の胸に手を当てて考えてもらいたい。あなたは、自分が住んでいる半径10kmの自然がどうなっていて、そこに何が生きていて、それがどういう現実にさらされているか述べてみよ。それが述べられないのであれば、それをさらに100kmに広げてもいい。1000kmでもいいぞ。広いから難しいというのなら、1kmにしてもいいぞ。500mでもいいし、100mでもいい。さあ、どうだ。Sampo2011100201 ついつい熱くなってしまったが、散歩道はすっかり涼しくなった。まず耳につくのがカネタタキのチンチンという声。つい先日までは蝉時雨だったというのに。そして、モズがけたたましい声で鳴く。そんな音風景の中を歩いていく。田んぼはすっかり稲刈りがすんでいる。

そんな中を静かに静かに歩いていく。暑い日にはよく「くねくねの主」に会った。くねくねの主は暑いと出歩くのを躊躇するのだろうと思う。土手の穴の中は涼しいことだろう。しかし、涼しくなった今は留守が多くなった。少し寂しい。

目の前をスズメバチが横切る。自然と緊張する。気がつくと、汗をかいている。Suzume2011100201 秋はスズメバチの活動が活発になる季節でもある。ブーンと大きな羽音をさせて突進してくるスズメバチ。最初のブーンとやってくる一撃。時に、身体にカチンとぶつかってくることもあるが、その最初の一撃でその場を去ることが大切だ。そうそう、今の季節は地面も油断ならない。マムシの動きも活発だからだ。ちょっとした緊張感とともに歩く。

稲刈りが終わった田んぼでは、カラスが集会を開いていた。大量のカラス。近づくと、カアカアと大騒ぎをしながら散り散りに飛び去る。Karasu2011100201 稲刈りの終わった田んぼは餌の宝庫なのだろう。カラスの他にもキジバトが何かをついばみながら歩いている。

今日は涼しいし、時間もあるので、最近あまり歩いていなかったコースを歩こう。道端はすっかり秋の草花になっている。黄色いのはキバナアキギリ。Kibana2011100201 そしてシロヤマギクにシロヨメナの白い花が点々とある。ヒガンバナが田んぼの畦に赤いじゅうたんのようになっている。Higanbana2011100201 色とりどりの花。春の花のキラキラと光るような色彩とは違い、しっとりと、しかし、しっかりと色づく秋の花。

そうして歩いていると、紫色の花が一面に咲いているのを発見した。Tsurifune2011100201_2 なんだろうこれは?みると、それはツリフネソウの群生だった。確か、数年前にここでツリフネソウが咲いているのを見たが、それはこんなに沢山はなかった。それがいつの間に増えたのだろう。Tsurifune2011100202 もう、他の植物を圧倒するがごときツリフネソウの群生だ。そいつはもう近くの竹やぶまで広がり、竹を追いやりそうな勢いだ(竹を追いやることはないとは思うが)。その不思議な形をした花を立ち止まってしばし見とれる。ああ、しかし、この花に気付いている人がどれだけいるだろうか?ここを散歩している人は沢山いるのだがなあ。これだけ沢山咲いているのだがなあ。

それよりも、人々は先のヒガンバナやあるいはコスモスを注目する。それはおそらく「知っている花」だからだろう。こんなに不思議な花がこんなに大量に咲いていて、誰も何にも気付かずに通り過ぎる。それでいて一面に咲いている、ヒガンバナやコスモスを指差して「きれいだね」などと言っている。Cosomos2011100201 知らない花はみんな雑草。見えもしないのだ。

今日は随分歩きまわった。少し暗くなって家にたどりつく。そういえば、昨日、妻が庭にアシナガバチの巣を発見したといってたっけ。そう思って用心しながら探す。あったあった!Ashinaga2011100201 しかし、随分低いところにあるな。アシナガバチが低いところに巣を作る年には、台風が上陸するらしい。そういえば、もうすでに上陸したなあ。この先も台風注意か。それと、こいつらに刺されないように気をつけないと。

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