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2011年9月18日 (日)

さよならヤモリ

ある日どこからともなく我が家にやってきたヤモリ。うちの猫につかまって、死んでしまった。玄関脇に置いておいたらダンゴムシが来た。ダンゴムシは枯葉などの植物の残骸を食べて分解するのだと思っていたが、動物の死骸も食べるのか。Bikkuri2011090803 ヤモリはおそらく、家の明かりに集まってくる昆虫を目当てに我が家にやってきた。そして餌が沢山ある環境を気に入り、住み着いた。

ただ、家の中に入ってはいけなかったのだ。そこには天敵(猫)がいた。猫が食べてしまう前に、人間に見つかり、引き離されたものの、致命傷を負った身体ではもはや歩くこともできなかった。もし、最後の力を振り絞って歩くことが出来たとしても、そんな身体では餌を得ることは出来ないだろう。

その死のにおいをかぎつけて、ダンゴムシがやってきた。大きい大人のダンゴムシも、小さい子供のダンゴムシも、ごちそうにかぶりつく。

翌日にはあばら骨が見えていた。金色に光っていた目の輝きは消えた。Yamri2011090901 さらに翌日は、ダンゴムシが引っ張り合いをしたのか、あるいは風で飛ばされたのか、向きがかわっていた。さらに分解は進んだ。Yamori2011091001 さらに翌日、そこにヤモリもダンゴムシもいなかった。

ヤモリの身体はダンゴムシの栄養となり、ダンゴムシは他の昆虫や昆虫を食べる生き物の餌となり、また、ダンゴムシの糞は土の中で分解されて、植物の栄養となる。そうして、何十年、何百年という長い時間の中で物質が循環する。いろんなものに形を変え、いろんな時を経て、数千年後には再びヤモリになっているかもしれない。そして再びヤモリとなった時、そこにどんな世界が広がっているだろうか?もっとも、ヤモリが生きられる環境がそこに残っていればだが。

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2011年9月 9日 (金)

我が家のヤモリ

子供の頃、私の生まれ育った尾道の実家では、夏になると窓辺に毎晩ヤモリがやってきていた。吸盤のある足でペタペタと窓ガラスにはりついて動く様子は、とても愛らしかった。子供の私は一度そいつを捕まえたくてしかたなかった。だが、窓にはりついて動く様子からは想像できないほど、そいつはすばしっこく、なかなか捕まえることはできなかった。

ある日、部屋の中にはいってきたそいつを部屋の隅までなんとか追い詰めて、捕まえられそうになった。間近でみるそいつは、眼が金色にキラキラと輝いていた。その眼の輝きにビックリして覗き込んでいる私にむかって、ピョンっと飛びかかり、サササッと家具の隙間に逃げ込んだ。

千葉の今の住まい。まわりは自然だらけ。夜になればいろんな虫が飛んでくる。昨夜はカマキリモドキも飛んできた。Bikkuri2011090802 カマキリモドキという虫、図鑑では見たことがあったが、実物は初めてみた。世にも不思議な格好をした虫だ。カマキリとは何の関係もない虫なのに、こんなにソックリというところに世の中の不思議を感じる。

そんな様々な生き物がやってくる我が家。ここに移り住んでもう十数年になるのに、ヤモリを見たことがなかった。ヤモリの餌となる昆虫は無数にいるのに、ヤモリがどうしていないのか不思議だった。それでもいつかヤモリがきてくれるような気がしていた。

そして、今年、次女が我が家の窓に張り付いているヤモリを初めて見つけた。中学生の女の子だが、爬虫類などが好きな彼女は、「ホント、かわいいんだよ!」といってケイタイで撮った写真を私に見せてくれた。私も、ようやくヤモリが来てくれたかと喜んだ。

昨夜、うちの猫がヤモリを咥えているのを次女が発見した。次女はあわててヤモリを猫からとりあげたが、牙が身体を貫通しており、生きてはいるが相当に弱っていた。次女はそいつを玄関わきにそっと置いておいた。まだ逃げる元気があれば、そのうちどこかにいくだろう。そう思った。

夜もふけ、さあそろそろ寝ようかという頃、「ヤモリはどうなっただろう?」という次女。わたしと次女は、玄関わきのヤモリを見に行った。懐中電灯で照らしてみると、残念ながら、そいつはもうダメだった。無数のダンゴムシがヤモリの身体にかじりついていた。しかし、その眼はしっかりと見開かれ、金色に光っていた。私が初めてヤモリの眼を見た時の、その綺麗な眼だった。やがて、ヤモリは虫たちに食べられて綺麗になくなってしまうだろう。どこからかやってきたヤモリ。どこかにすっかり消えていく。Bikkuri2011090803

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2011年9月 4日 (日)

時には感情的になることも必要だ

いつのまにか秋になろうとしている。歩みの遅い台風がやってきて、紀伊半島などでは大きな被害をもたらした。こちら千葉では、たいした被害もなかった。時折、スコールがやってきて、散歩中に雨宿りをすることがあったくらいだ。

8月は毎年忙しい。今年も例年通りの忙しさで8月が過ぎていった。これ以上ないくらいにクタクタになった。散歩に出かけても、いつもの1/3くらい歩いただけで疲れて帰ってしまうくらいだ。

Sampo201100400 9月の谷津田はすっかり黄金色。ところどころで稲刈りが行われている。すでに稲刈りが終わった田んぼもある。そんな中を久しぶりに自然を感じながら歩く。日々の雑多なことを回すことに必死で、自然と接してこなかった8月だ。ちょっと季節が飛んでしまった感じがする。汗をたらしながら歩く夏の日々が今年は例年より少なかった。

ツクツクホウシの大合唱の中を歩く。ふと20年前のことを思い出す。妻と初めて歩いた千葉の谷津田。ここよりも、いくらか北の、北総とよばれるあたり。都会に住んでいた私たちにはとても新鮮だった。ちょうど、田んぼは黄金色になり、様々な色のトンボが飛び交い、蝶がヒラヒラと飛ぶ。そんな中を一日中歩いた。一日中歩いても、飽きることもなく、どこまで行っても谷津田の風景だった。それが私と千葉の谷津田の出会いだった。

千葉は、どこまでいっても平坦で、森もほとんど平坦なところにある。これが驚きだった。私の生まれ育った広島では、森というのは山にある。平坦なところは街や田んぼで、森は平坦なところにはないものだ。だから、それがとても新鮮だった。

それからしばらくして、この地に来て、この周辺にも素晴らしい谷津田が広がることを知り、その美しさ、素晴らしさに魅せられた。道端には様々な草花。ありとあらゆる形をした昆虫がそこかしこにいて、色とりどりのトンボが飛び交い、蝶が舞う。一日歩いても、飽きることのない素晴らしい自然。

しかし、それから、その自然が日々失われているのを目の当たりにすることになる。都会に隣接したこの地は、都会がどんどん押し寄せてくる。それまで谷津田だったところがことごとくタダの荒れ地になり、ただの砂漠になり、そしてどこにでもあるスーパーが出来、マンションが建つ。そのことを何年も目の当たりにしてきた。大好きだった自然。自分の中の大事な思い出、記憶。それらがどんどん失われていく。

やがて子供が生まれて、子供たちにみせてやりたいものが、このままでは何もなくなってしまうという危機感。それが私の「散歩道プロジェクト」の原点だった。しっかり自然を見よう。しっかり記録しよう。そう思ってひたすら記録を続け、考え、悩み、今日までやってきた。

その動機に理屈なんか一つもない。感情だけに動かされてきたといっても過言ではない。ただ、人々に説明するときには、理屈の一つも付け加えなければ、誰も振り向いてくれないのではないか?とは思うこともあったが。

3月の震災で、生まれ育った土地を完全に失ってしまった人々が信じられないくらい沢山いる。ひたすら電気を使い、お金を儲けたい人々は、そんな人々にさえ、理屈を強要してはいないか?感情的になってどこが悪い!人間は理性だけで生きてきたのでは決してない。感情的なことから進歩だってあり得る。不治の病で家族を亡くした人が、その病気について一生をささげて研究し、ついに治療方法を発見した、という話しが世間的には美談として語られることがあろう。その動機は理屈ではない。感情的なものであろう。感情的になってどこが悪い。それより、日本人はもっと感情的になっていい。もっと感情的になるべきだ。何万人という人々が家を失い、生まれ育った土地に一生帰ることが出来ないかもしれないというのに、どうして、それと同じ過ちを犯そうとするのか。どうして生き方を根本的に考え直すことが出来ないのか?

Sampo2011090401 谷津田を歩いていると、クズの花の甘い香りがただよってくる。こういうところで、日々の糧を得て、日々、家族を養うことが出来て、日々、自然を感じることが出来て、ごく当たり前の一生を終えることが出来るならば、それだけで充分すぎるくらい幸せだ。

取り返しのつかないほど自然を破壊しなくとも、無駄に電気を浪費し、何万人という人を不幸のどん底に陥れる必要なってどこにもない。今、そのことに気付いて、何かしなくて、いつ行動するというのだ。今、感情的になる人々に「感情的になるな」などという必要はない。もっと感情的になれ!もっと怒れ!何万人という人々を不幸にしておいて、これからも平気な顔で生きて行こうとしたり、さらにもっと多くの人を不幸に陥れようとしている人に、もっと怒ってよいだろう。もっと感情をぶつけてよいだろう。感情的になることが全て悪ではないし、人類は感情的になることで進歩もしてきた筈だ。Sampo2011090402

美しいトンボが目の前に止まる。そして、私はトンボとたわむれる。こんな虫ケラ、何の役に立たないと言われようとも、私はこいつらが好きだ。それが感情的といわれようが、私はこいつらとずっと暮らしていきたいのだ。子供たちも、ずっとこんな自然の中で暮らしてほしいと思う。金持ちにならなくてもいい。自然とともにごく普通に幸せな一生を送ってほしいと思うだけだ。Sampo2011090404

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