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2011年6月19日 (日)

ホタルブクロの季節に考えたこと

散歩道の道端はホタルブクロがいっせいに咲いている。白っぽいものや、少しピンクがかったもの、紫に近いものなど、色に変化がある。Hotaru2011061801 そんなホタルブクロを見ながら歩く。モンシロチョウがひらひらと田んぼや畑の中を舞っていて、ウグイスが澄んだ声を谷に響かせている。ホトトギスは飛びながら、トッキョキョカキョクと鳴き、通り過ぎていく。空はどんより曇り、今にも雨が落ちてきそうだ。

田んぼはすっかり緑になった。緑の田んぼの端までいってみると、ちっちゃなアカガエルが多数跳ねる。今年、飼育放流した田んぼは踏みつけそうなくらいになっている。Akagaeru20110618 アカガエルの産卵と成長を今年はしっかりと記録したので、少しまた知らなかったことを知ることになった。データを何年か蓄積すれば、新しいことが見えてくるだろう。

飼育放流は、水が涸れそうになっている場所の卵塊を持ち帰り、飼育する。水が涸れてしまえばその卵塊は死滅してしまう。その場所は田植えの頃になれば、水が安定する。水が安定したら、もとの田んぼのもとの場所に戻してやるのだ。農作業のために田んぼの水を絶やさないようにすることが困難であるのなら、と、考えた方法の一つだ。

昔は田んぼの水を抜いても、それは周囲の水路に溜まり、ため池に溜まるなどした。そうしてその溜まった水は、また田んぼに戻る。水の循環系があったわけだ。今、その水の循環系が失われてしまっている田んぼが多い。そこに、少しだけ手を加えれば、難しいことをしなくても少しはましになるのではないかと思う。本当はアカガエルだけでなく、田んぼとともに生きる様々な生き物について、そのような方法がとれるのではないかと思っているが、そこまではまだ出来ない。少なくとも、今、田んぼの水環境の変化によって急激に数を減らしている(ここ数年で1/10になった)ニホンアカガエルについての私なりに実験をしているのだ。

なかなか一般には理解されないのだが、私は単に「生き物の命を守る」ためにと、こんなことを行っているわけではない。実際にあった話だが、メダカの棲む田んぼを作るといって「買ってきた」メダカを放している人がいて私は愕然とした。また、里山に咲く花を守るといって農薬を撒く、花にたかる虫を殺すために殺虫剤を撒く人がいて愕然とした。それらは違う。そんなことをしても百害あって一利なしと断言出来る。そうではないのだ。

昔の田んぼが田んぼの周りの生き物を育んだといわれる。しかし、今の田んぼはカラカラになるまで水は抜くし、抜いた水は下水のようにまっすぐ海に流れていってしまうし、農薬は撒くし、と、生き物にやさしくないことが多い。それを生き物にやさしい田んぼにしようと思って様々な農法を取り入れようとする人がいる。それはそれで立派なことだが、反面とても労力のかかることではなかろうか?そうであれば、そこまでしなくとも、それほどの労力を必要としなくとも、生き物にあふれながら、安全で豊かな作物が得られる方法、誰でも簡単に出来る方法があってもいいのではないかと思う。そのために、ちょっとだけ、ほとんど子供のイタズラの程度だが、試してみているのである。

試すということは、ただ行動すればよいわけではない。試すためには、ある程度の科学的根拠があり、その上で試した結果が、ある程度科学的に効果を示すことが出来なければならない。だからこそ、詳細に記録しようとしているのだ。それが本当に効果があるかどうかは、これからだ。

公園整備とやらで、まわりの環境をズタズタにしておいて、「自然が豊かな公園です」などといい、水路はコンクリートでことごとく固め、魚たちを絶滅においやっておきながら、餌をうばわれたカワセミに餌付けをしながら、「環境を守っている」などと、大きな勘違いをしている人々について「間違っている!」と大声で言いたい。そんなこと、本来こうすればよいのだということを、少しでも示したい。そこにある環境をそのままに、そして、元気を失いつつある環境の元気を取り戻す。それが大事であり、あったものを壊しておいて、なんの脈絡もない環境を新たに作ろうなんて、そんなもの百害あって一利なし。しかし、この百害あって一利なし、が理解されない現実をなんとかしたい。

なにやら、言いたいことが沢山出てきてしまった。しかし、まずはありのままの自然を自分の目で見て、感じて、自然とともに生きる、そのことが出来なければ、何もできない。

私とて、都会の生活のリズムで狂った自分の中の時計を、こうやって歩いてもとに戻していく。Ooao20110618 湿った緑の香りが強くだだよう梅雨の散歩。田んぼのまわりに沢山のオオアオイトトンボ。まだ、羽化したてで、色が薄く、飛び方もとても弱々しい。彼らも、田んぼで育った。ずっとこれからも田んぼが彼らを育めるように。私はずっと見守っていきたい。彼らの命の営みは、私たちがここにやってくるはるか昔から、ずっと続いているものだ。人々は今、それを一瞬にして消してしまうことだって出来る。だが、そんな力を持った人間は、どれだけの罪を背負えばよいというのだろう。悪いことすれば罰が当たるというのは、子供だましに過ぎないのか。子供だましでもいいから、罰が当たってみてほしい。久々の日記、なんだか支離滅裂になってきた....

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