« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月26日 (日)

冬の散歩と自然の中の私

低気圧が発達しながら日本海を通過した後、冬型の気圧配置になった。北日本は大荒れ。関東も北風が強くなり、一気に真冬になった。散歩道もすっかり真冬の風景だ。Fuyu2010122501 今年も静かに暮れようとしている。鳥たちは賑やかにさえずりながら飛び回る。道端にピョンと跳ねるイナゴ。最後の生き残りだ。Inago20101225 乾いた枯葉の上を飛ぶたびに、カサカサとした音がする。年が暮れるという人間社会の事情は彼らには何の関係もなかろう。しかし、それでも、もうじき季節の底がやってきて、また春がきて一年がめぐる。その季節のリズムは体で感じていることだろう。

そんな中、人間である私は、それなりに暮れの忙しい日々を過ごしている。ただ、こうして、静かな静かな冬の自然の中を歩いていくうちに、都会の姿を脱ぎ捨てて、別の自分になる。自然の中の私になる。Ashi20101226 歩く私の足元には、フワフワの枯葉が積もる。今年もこうして枯葉の積もる中をよく歩いたものだ。自然の中の私は、今年もいろんなことに出会った。季節毎に、様々な風景を見せてくれる中を、こうして歩くこと。今年も一年、めぐる季節を体で感じてきた。そのことはとてもありがたいことだ。そうして歩けたことに、また、感謝したいと思う。

自然と切り離された都会の人々の多くは、私がここでこうして感じていることを、一体どのくらい感じることが出来るのだろうか。私がこうして歩いている日々と同じ日常を、一生の中で、一体どれくらい経験出来るのだろうか。いつしか、自然は遠い存在となり、自然を守るといっても、どこか架空の話し、遠くで起きていること、それこそ、一度も見たこともないホッキョクグマの話しになってしまう。そうではないはずだ。私たちが取り戻すべき自然、守るべき自然はそうではなく、多くの人々が、日常的に自然を感じながら生きることが出来るということが大事ではないのか?Kareki20101226 コナラの木はすっかり葉を落とし、冬の澄んだ青い空がよく見える。落葉樹の森は、冬には明るい森となり、枯葉のつもった上に、光が降り注ぐ。太陽に照らされた枯葉は、カサカサに乾き、そしてほんのりと暖かいじゅうたんのようになる。Kage20101225 枯葉は、その下で冬眠する生き物たちの布団。そして、朽ちて地面に溶け込んで、春に芽吹く草花をはぐくむ。

散歩道にある、小さな丘のてっぺんのあたりの藪の中。そこで静かに立ちどまって、鳥たちのさえずりに耳を傾ける。遠くでコゲラがギイギイと鳴く。ウグイスの地鳴きがジャッ、ジャッと聞こえ、カサカサと藪の中を動き回る音がする。やがて強い北風が吹いて、ザワザワとしたざわめきが、大きな塊になって、左から右へ移動していく。さっきから、飛行機がひっきりなしにゴウゴウと飛んでいく音がする。ここは飛行機の通り道でもある。今日は音も澄んでいる。遠くに、高速道路を走る車の音もきこえてくる。そして、一見、都会の生活と切り離されたようなこの自然の風景は、周囲の都会と連続して存在していることに気付く。まるで航空写真を見るような音の風景を感じる。Fuyu2010122502 冬の昼間は短い。無心で歩き回っているうちに、気付くと足元は影になり、見上げると、森の木々の上半分だけにオレンジ色の光があたっている。木々の葉っぱは、キラキラと少しオレンジ色がかった光を反射している。子供の頃、野山を夢中で走り回って、暗くなりかけたことに気付いて、家の方向を目指したことを思い出した。少しの不安が足を急がせる。そして、人々が行き交う街の風景を見たときの、ちょっとした安心感。そして、その先にある、家での日常へと戻っていく。そんな感覚をふと思い出した。竹やぶの向こうから太陽がさして、緑がきれいだった。Takeyabu20101226

| | コメント (0)

2010年12月 5日 (日)

虫降る夕暮れに

嵐とともに冬がやってきた。激しい雨と、強い風で電車のダイヤが随分と乱れた。そして、季節Sampoent20101204 外れの暖かさ。翌日は、すっきりと冬晴れ。日差しが暖かい中、いつものように散歩に出っかける。強い雨と風で、落ち葉が随分と積もった。少し湿った落ち葉を踏みながら歩く。林の中で、道端から大きな大きなクロコノマチョウがヒラヒラと舞った。まるで枯葉のようなその姿、枯葉の中にとまると、一瞬姿を見失う。なかなか翅を開いてくれないので、あの大きな目玉模様にお目にかかることが難しい。あの大きな目玉を見たいのだが、なかなか見せてくれないのだ。でも、わずかに開いた翅から少しだけ目玉の輪郭が見えた。Kurokonoma20101204 以前は滅多に見かけない蝶だったが、今は林の中を歩くと普通にお目にかかることが出来るようになった。あのバタバタと音がしそうなくらいに大きなこげ茶色の翅は、見慣れたものとなった。

くねくね峠道にいってみたら、あまりの明るさにビックリした。コナラやクヌギが急激に落葉したので、急に明るくなったのだろうが、一瞬、まわりの木がなくなってしまったのではないかと、あたりを見渡してしまうほどだった。Kunetoge20101204 そうだ、これが冬の光景だ。ここはコナラやクヌギの林に囲まれているため、この道の明るさは、一年で随分と変化するものだ。

くねくねの主はしばらく前から姿が見えなくなった。冬眠してしまったのだろう。春の彼岸の頃のカエル合戦で元気な姿を見せてくれ。

道端の水たまりに、なにやらカエルのようなものが見えたので、近づいてみたら、アマガエルだった。Amagaeru2010120401 色がすっかり白くなってしまっている。しかし、目がはっきりと開いている。生きている目をしている。草の枝でつついてみても、動く様子はないが、この冷たい水の中で動きがにぶくなっているだけかもしれない。そう思って、手をのばしてすくってみたら、私の指をしっかりとつかんできた。生きている。こいつは生きている。ちっちゃな5本の指が私の指にしがみつく。Amagaeru2010120402 後ろ足を怪我してしまっている。片足が完全に伸びた状態で動かない。だめもとで、日の当たる暖かいところに移動させてみよう。身体が暖まれば、少し動けるようになるかもしれない。Amagaeru2010120403 しばらくそのままにしてみたが、まったく動く様子はない。まあ、このまま死んでいくのかもしれない。私はアマガエルを置き去りにして、また歩き出す。

今日もまた紅葉がとてもきれいだ。綺麗なものの写真を撮るのが目的ではないが、こういうものを見るとどうしても写真に収めたくなる。Koyo20101205 紅葉だけが美しいのではない。ここの風景。季節毎にみせてくれる風景。歩くたびに心に響く。Fuukei20101205 私はそのたびに、数限りなく風景を撮ってきた。生き物の写真だけではない。ここをこうして歩いていて、何かを感じた時、シャッターを切る。それは、この場所が好きだから。この場所の全てを記録したいのだ。

歩きながら、さっきのアマガエル、明日また来てみよう。心の片隅でそう思った。

翌日も、同じように冬の晴れ。澄んだ空気の中を歩く。そして、アマガエル。昨日、置いた草むらのあたりを探す。あった。Amagaeru20101205 それは死んでいた。太陽の光を浴びて、少しひからびていた。最後に私の指に弱々しくもしがみついてきたその感触。それを私は忘れない。やがて、土にかえっていくだろう。そして、この地の命のめぐりの中に戻る。

そして私はまた歩き回った。歩き疲れるころには、あたりはうす暗くなり、日が沈みかけて、冷たい空気が谷に降りてくる。ひんやりとした空気を感じる。わずかに残った日差しは、まるで、たき火の残り火のようにかすかに暖かい。そのかすかに暖かい濃いオレンジ色の光が照らす場所に、雪が舞うごとく無数の虫がキラキラと光っている。Mushi20101204 それはちっちゃな蚊のような虫。まるでホタルのように光が舞っている。暮れゆく季節の最後に、ちっちゃなかすかな生命が沸き立つ。

| | コメント (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »