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2010年4月29日 (木)

輝く季節の多彩な草花と現実

 先日は自然観察仲間とお弁当を持って散歩道エリアを一日散歩。遠くは九州からもお客様がやってきた。田んぼに水が入り、それがキラキラと輝く。Kunetani20100425 田んぼからはシュレーゲルアオガエルの合唱が聞こえてくる。そして、ウグイスを始め、野鳥の声が谷にこだまする。様々な花が咲き乱れるこの季節には見たいものが沢山ある。遠くからわざわざやってきれくれたお客様には見せたいものが沢山ある。Hana2010042904 ホタルカズラ、コケリンドウ、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサク、イチリンソウ、ニリンソウ、イカリソウ、キンラン....Hana2010041801 歩けば次から次へと美しい花が見られる。仲間との散策は楽しい。一日では足りないほどだ。貴重な野草が道端の雑草状態のこのエリア。Hana2010041802 知る人ぞ知る場所だ。しかしながら、多くの貴重な植物は盗掘に会うことも多く、盗掘から絶滅の危機に追いやられることもある。だから、ここを案内できる人は限られる。Hana2010042501 自然を愛し、自然に理解のある仲間だからこそ案内できる場所なのだ。そこを思いっきり歩けることが嬉しい。見て欲しいものを思う存分見てもらえることが嬉しい。愛するこの場所の自然の姿を、余すところなく見てもらえる。そのことが嬉しい。それは、それ自体が貴重なことなのだ。
 自然観察仲間と歩いた前日は地元の公民館の観察会があった。実際のところ、地元公民館の観察会では案内を自粛しているものがいくつもあり、観察コースには、さりげなく避けているコースがある。本当は、とても貴重な植物が何故貴重なのか、それが今どんな状態になっているのかということを目で見て理解してもらうことも必要だと思うが、毎年、新しい人が参加される公民館での会にあっては、本当に貴重な植物を見せることは避けなければならない。悲しいかな、これが今の日本人の自然に対しての認識の現実だ。
 公民館での観察会の前には、幾度となく、花壇の花と自然の中の植物の違いを説明する。自然の環境の成り立ちを説明する。実際には、理解してくれる人がほとんどなのだが、ほんの一握り、まるで理解出来ない人がいるのだ。関心がないのではない、どこまでいっても認識がおかしい人がいる。
 近所にカタクリの群落があり、そこを監視し、守っている人たちがいる。そのカタクリ群落は人通りの多い道路に面した場所にあり、積極的に守らなければ、いずれ消えてなくなってしまうから守らなければならないという。そのことは理解できる。先日、その場所で大規模な盗掘があったという。守っている人たちは相当なショックをうけたようだった。これが現実。普段はちゃんとした社会人に見えても、自然の中に入ると単なる泥棒になってしまう人がいる。
 今年から、公民館での観察会の名称が変わり、「自然散歩」となった。これは市の広報に載せるときの文字数制限から、あるいみ消極的に生まれたことだ。Hana2010042502 しかし私は「自然散歩」、この4文字に期待を込める。以前は「貴重な野草が沢山見られる...自然観察」などと説明がついていた。それは特に気にしていなかったのだが、どうも「貴重な野草」という文字に目がいく人がいて、それを「見たい」といって参加する人がいる。Hana2010042901 それはいい。それ自体はいい。しかし、中には「見たい」ものを目の前にすると、やがて「欲しい」にかわる人がいる。観察会の後、こっそり持っていこうとする人がいる。だから、「持っていかないで」と念を押す。それでも我慢できない人がいる。
 Hana2010042903 「自然散歩」。歩きながら自然を感じること。自然を感じながら散歩すること。そういう思いを込める。木漏れ日が揺れる中で、美しい花に出会えたり、どこまでもつづく様々な花が咲く道を、小鳥の声や、谷底からのカエルの声を聴きながら歩けることの素晴らしさ。Hana2010042905 身近にそいう場所があることの素晴らしさを感じて欲しい。うつりゆく季節とともに、季節ごとの自然と触れ合いながら生きることの素晴らしさ、これは何物にもかえられないものだ。そのことを感じてみよう、本当の自然の素晴らしさを感じてみよう、自分の足で歩き、五感を使って、そこにある自然の素晴らしさを感じよう。自然とともに歩き、生きることの素晴らしさを感じよう。私はそういう「自然散歩」にしたい。単に珍しいモノを見にいくだけの観察会ではなく。

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2010年4月18日 (日)

田んぼに水が入った

産卵からアカガエルを見守ってきた田んぼは、ほぼ全て、田植えの準備のため水が入った。色々あったが、なんとか今まで生き延びてきたオタマジャクシは上陸するまで生き延びることが出来るだろう。Tambo20100418 見ると、オタマジャクシたちは、何百倍も広くなった水の中を、ゆっくりと泳いでいる。その姿をみると、ほっとする。Otama20100418 我が家のオタマジャクシたちは一匹も離脱することなく、元気に育っている。

このあと、田んぼのオタマジャクシは農薬という次の試練が待ち構えている。それを乗り越え元気に育って、上陸して欲しい。もちろん、上陸したらしたで天敵が待ち構えている。数々の試練を乗り越えていかねばならないのだ。それでも、これだけの数のオタマジャクシが、田んぼに水が溢れる季節まで生き延びたのだから、しっかり命をつなぐことが出来るだろう。

私は毎朝起きるとまっさきに我が家に連れて帰ったオタマジャクシたちの顔を見る。それが楽しみなのだ。おかしな話だが、見るたびに「おお、元気だね!」などと話しかけている。話しかけるから、愛着もわく。農薬などの危険が去った頃には、もとの田んぼに戻す予定だが、それを考えるとちょっと寂しい気もする。でも、彼らがしっかり育って、来年の産卵シーズンにやってくることを楽しみにしたい。もっとも、その前に、道端で飛び跳ねる彼らに会うことが楽しみになるだろう。色々あったが、これからの季節に、今は少し希望が持てることが嬉しい。

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2010年4月13日 (火)

がんばれアカガエル!

このところ雨が多い。雨が多いと水溜りの水も涸れずにすみ、アカガエルのオタマジャクシも無事と思いがちだが、ものごとはそんなに単純ではない。水路に避難させたオタマジャクシは雨で水路の流れが急になり流されてしまったようだ。また、一箇所の小さな水溜りにいたオタマジャクシが、水溜りが広がって、周囲に分散し、分散した先の水溜りが涸れるという事態をまねいたりもした。Kareta20100410

だが、近所の方の協力もあり、なんとか最悪の事態は免れることが出来そうになってきた。本当に感謝だ。Otama2010041001 我が家に連れて帰ったおよそ100匹のオタマジャクシたちも、一匹も脱落することなく、順調に育っている。Otama2010041002 あと少し、もう少し、田んぼと周囲の水環境が安定するまで生き延びれば、上陸するまで生き延びる可能性が高くなる。そこまで頑張れば、なんとかなる。

そして、ここにきて、新しい卵塊も増えた。Tamago20100410 4月中旬までは、まだ産卵の季節だ。アカガエルはダラダラと長い期間をかけて産卵する。それは、おそらく、彼らの生息環境は、ずっと天候などの条件に左右されてきたということだと思う。天候は年によって大きく違い、産んだ時期によって生き延びることが出来たり出来なかったりということが生じてくるのだろう。そういうことが繰り返されて、彼らは、長い期間にダラダラと産むようになったのだと思う。

とにかく、あと少し、頑張れ!

今年、私はこのような体験をして、それから本当に多くのことを学んだと思う。そして、この数年間絶えてしまっていた正確な産卵記録といったことも、しっかりと長期にわたりやっていかないと、アカガエルの状態を正しく知ることが出来ないことにも気付いた。以前は、数年間にわたり、何月何日にどこに何個、増減がいくつ、死滅したものがいくつ、などと正確に記録をしていた。それがかなりいいかげんになってしまっていた。今年、明らかに昨年の1/10程度に減ったことに気付いたが、それは正確とはいえなかった。今年は、とにかく、この状況を記録するにとどまるが、来年からはもっと正確に観察し、記録出来るようにしていかなければならない。もし、私がここのアカガエルを本当に助けようとするのならば、私が行ったことが本当に手助けになっているのか?手助けをしないと、どういう状況になっていくのか?ということを知るべきである。そのためには長年にわたる正確な記録が絶対に必要だ。

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2010年4月 4日 (日)

アカガエルの救出は人々に理解されるのだろうか?

本当に昨年までの1/10以下に減ってしまった散歩道のニホンアカガエルの産卵。このままだと本当に絶滅すると思い、瀕死の状態を救出しようと色々やってきた。少しの卵塊、少しのオタマジャクシをなんとか救出することが今のところ出来ているようだが、やるたびに、元のような状態にするのはとっても大変だと思った。

散歩のたびに、アカガエルの様子を見に行く。特に穴を掘ったり、卵塊を安全なところに移動させたりと、救出を試みたところはとても気になる。泥だらけになって救出した場所が、結局、干上がってしまって死滅している様子を見るのは正直なところ辛い。ガッカリする。ガックリ来る。Akagaeru20100403 だけれども、今の状況ではしかたがない。どうして、そんなにも労力をかけて、わずかな水溜りまで、きれいに水を抜く必要があるのだろうか?とは思う。

ここだけは絶対大丈夫と思っていた水溜りがあった。今朝、そこを見てみたら、水溜りの半分が干上がっていて、オタマジャクシの半分が瀕死の状態にあった。Akagaeru2010040401 これはまずい。ここだけは安全だと思ったので、周辺の水が涸れそうな場所からオタマジャクシをこの水溜りに移動させたりしてきたのに、このまま、ここの水が涸れてしまうと、全滅してしまう。

ここの田んぼは、かつてニホンアカガエルの楽園であった。安定した大きな水溜りがあったからだ。ピーク時には、この田んぼだけで400個以上もの卵塊があった。繁殖期には多くのオスが鳴き、合唱になるほどだった。そして、多くのペアーが見られる場所でもあった。ところが、数年前から産卵後に水溜りの水が涸れるようになり、オタマジャクシが大量に死滅するようになった。そして、今年は、わずかに40個ほどの卵塊しかなかった。それは、この水溜りだけにあった。それでも、なんとか生き延びてきた。水溜りが減って、結局、いままで残ったのは30個ほどの卵塊から生まれたオタマジャクシだけだった。30匹のメス。想像してみて欲しい。かつて、400匹以上いたアカガエルのメス。それが、たったの40匹になり、それが産んだ卵が今、全滅しようとしているのだ。

私は、田んぼに降りて、救出を試みた。干からびかけたオタマジャクシをすくって、まだ水のある水溜りに移す。Akagaeru2010040402 泥にまみれたオタマジャクシたちを復活させるため、周辺の水路から水を汲んで、水溜りに流し込む。

そんなことをやっていたら、人が集まってきた。この場所をよく散歩していて、私の行動を理解してくれているyooさん。そして、近くで散歩していた人もやってきた。私は、このアカガエルの状況を説明し、今、それを救出しようとしていることを説明した。このニホンアカガエルは絶滅の危機に瀕していること。そして、かつてこの田んぼにあった400もの卵塊が、今年はわずかに40個になってしまったこと。今、この水たまりが涸れれば、この田んぼからアカガエル消えてなくなってしまうこと。

散歩していた方は、すぐに理解を示してくれて、近くに捨ててあった、大きな缶を持ってきてくれた。これで水をすくって、水溜りに移せばよいのではないかという。そして、私はその缶で水をすくって水溜りに水を注ぐ。どうやら、缶には小さな穴があいていて、水が漏れるので、急いで何度も水路と水溜りを往復する。そうしているうちに、ぬかるみに足をとられたりして、ズボンはびしょ濡れになるし、泥だらけになった。

なんとか水溜りに水を注いだが、焼け石に水。そこで、一部のオタマジャクシをまったく別の水溜りに移そうと、すくっては運び、すくっては運び。そんなことをやっていたら、yooさんが、この水溜りに一気に水を注ぐ方法を発見してくれた。そもそも、この田んぼに水を入れるにはどうするか?ということを考えればすぐわかることだが、私は何を考えていたのか、気付かなかった。そしたら、わずか1分ほどで、水溜りが復活した。Akagaeru2010040403 なるほど、なるほど。これならもう大丈夫。yooさんは、「時々やっておきますよ」と言ってくれた。

夕方になって、私はまた様子を見にいった。そうしたら、干からびて死んでしまったとおもっていたオタマジャクシはきれいに復活していた。Akagaeru2010040404_2 やった!このまま行けよ!ここにあった40個ほどの卵塊。すでに死滅したものもいるから、残っているのは30個ほどの卵塊から生まれたオタマジャクシたち。だとすると、オタマジャクシは3000匹はいる。こいつらが、上陸するまでに結局どの程度減るのかわからないが、このまま水が涸れなければ、少なくとも絶滅することはないだろう。まだ、元の状態に戻ることはないにしても、最低限の数は確保できたかもしれない。とにかく頑張って生きるのだぞ!

そうして、私は他の水溜りを見回りにいった。そしたら、コンクリート水路を流される沢山のオタマジャクシを発見してしまった。上流の水溜りの水が溢れ、流れが出来ている。そして、その流れに流されて、このコンクリート水路にやってきたのだ。今はなんとかしがみついているが、やがて下流へと流されていってしまう。そう思ったら、黙って見ているわけにいかなくなった。水路のそばにしゃがみこんで、なんとかこのオタマジャクシを救出しようとする。 Akagaeru2010040405 プラスチック容器ですくって、それを上流の安全と思われる水溜りに移す。しかし、これが難しい。一度に数匹しか移すことが出来ず、私は何往復もする。これは、正直なところ道具が足りなかった。オタマジャクシをプラスチック容器ですくうこと自体が難しいのだ。それでも、わずかな数でもと思い、数匹すくっては上流にもっていき、それを何往復も。なんとか数十匹はすくえたかと思う。気付くと、あたりはすっかり暗くなっていた。気温もぐっと下がってきて、手足の先がしびれるほどだ。

しょうがない、もう、帰ろう。そう思ってうす暗く誰もいない散歩道を歩き出す。いろんなことを思う。いろんなことを考える。気付くと、私は、道にころがっている石を足で蹴り上げ「ちくしょー!」思わずそうつぶやき、はっ、と我に返る。自分でも驚いた。私は、こんなに毎回泥だらけになっていったい何と戦っているのだろう。救いたいのはアカガエルだけではない筈なのだが、目の前に明らかに見えてくるアカガエルの危機に思わず動き始めた私だ。こうしてわずかに残ったアカガエルさえも、何も気付くこともなく、無意識に絶滅の危機に追いやろうとしてしまっている世の中のおかしな流れ。そのことにどれだけの人が気付いているだろう。アカガエルと奮闘し、田んぼで泥だらけになっている私。それを不思議そうに見る人に説明するならば、状況は理解してもらえ、協力もしてもらえた。しかし、説明しなければ、そこにアカガエルのオタマジャクシがいて、それが危機的状況になっていることに誰も気付かないし、こんなところで、こんなおかしなことをしている私など、誰も相手にしないだろう。それより、一度も見たこともないホッキョクグマを、意味不明の行動で救おうなどといって繰り返される嘘っぱちの方が信じられるおかしな世の中だ。

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