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2010年1月31日 (日)

散歩道の街灯に集まる虫

散歩道には、今時としては珍しく、ほとんど街灯がない。夜にいってみると、周辺の街の明かりが空を照らし、それが谷津田を照らすだけである。その暗闇の中で観察をしてみれば、夜に活動する生き物たちの、まだ知られていない世界を覗くようで、神秘的でもあり、怖くもある。

Gaito20080315 その散歩道の一つの道沿いだけには街灯がある。ここは、人が最も普通に通る道であり、安全のために街灯が設けられている。確かに、ここに街灯がなければ、夜歩くのは危険を感じるところだ。

暗闇の中から見ると、街灯はかなりまぶしく感じる。ホタルなどを観察していれば、どうしても、その弱い光に眼を慣らすことになるが、そうなると、街灯はとてもまぶしく感じるのだ。

ホタルは街灯のない側には沢山いるが、街灯のある側にはいない。当然といえば当然だ。ホタルの光の信号は、街灯の強いノイズにかき消されてしまうだろう。

Gaito2010013101 夏の夜などに街灯の側にいってみれば、沢山の虫が街灯のまわりを取り囲んでいるのがわかる。まるで、モヤがかかったかのように、無数の虫が街灯にひきよせられている。

昨日、何気なく街灯を見ていたら、面白いものを発見した。Gaito2010013102

街灯の中に無数の虫の死骸がたまっているのである。自宅の蛍光灯でも、電球を換える時にカバーを開けると、虫の死骸が沢山あるが、その比ではない。これでは街灯の光が弱まってしまうだろう、というような溜まり方だ。どこからか、中に入り込んだ虫が、出口を見つけられずに死んでしまったものである。

中に入ることのできる虫のサイズは限られるから、この虫の量からして、それはもう、相当な数の虫が街灯にひきつけられているに違いない。

当然、虫が集まれば、そいつを食べようとやってくる生き物もいるだろう。ただ、街灯は高いところにあるから、高いところまで登れる生き物に限るかもしれないが。Gaito2010013103

これは面白いと、散歩道の街灯をくまなく見てまわった。大量に虫がたまっているところもあれば、ほとんどたまっていないところもある。もっとも、最近、電球の交換などでカバーを開けたとすれば、当然、中の虫の死骸は捨てて、きれいにするだろうから、電球の交換時期によるかもしれない。

いったい一年でどのくらいの虫がたまるものなのか?そんなことを調べてみたら、面白いかもしれない。それにしても、街灯がこの周囲の生態系にこんなにも影響を与えているということの表れでもある。

一般に、農薬を撒くことには敏感である人も、こういうことには意外と無頓着なのではないかと思う。光の影響を受けるのは、ホタルだけではないし、虫だけでもない。もちろん環境問題はCO2や化学物質の問題だけでもない。この街灯はそれを教えてくれている。これを見て、そこから何が見えるか?それが問題だ。

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2010年1月24日 (日)

クワゴの命綱

去年の9月のことである。妻が「庭の桑の木にカイコがいる!」という。そんな馬鹿な!と思い、みてみると、確かにカイコそっくりなイモムシがいて驚いた。調べてみたら、それはクワゴであった。Kuwago20090913

どうやら、このク ワゴはカイコの原種といわれる蛾で、言ってみれば野生のカイコといったところだろうか。今まで気付かなかったが、気付いてみると、桑の木に普通にいて、あちこちで目に付いた。Kuwago20090923

庭の桑の木にクワゴを見つけてからおよそ2週間。そのクワゴは繭を作り始めた。自分が半分ほど食べた桑の葉っぱの上で、葉っぱを巻くようにしながら繭をつくっていった。その繭はカイコの繭のように丈夫そうではなく、とても華奢な感じがした。

この時は気付かなかったのだが、桑というのは落葉する。だから、葉っぱの上に繭を作ったとしたら、葉っぱが落葉すると繭ごと落ちるんではないか?と思ったが、その心配は無用だった。

なんとも不思議なことだが、葉っぱの上の繭は枝にくくりつけられた糸でつながっていて、落葉しても落ちないようになっていた。 (注:この写真は後日別な場所で撮ったもので、上のクワゴが作った繭ではないが、実際、こんな風になっている)Kuwago20100124_2

「はあ、なるほど、命綱だなあ」と、それを見て妻と話していた。それにしても頼りない命綱である。こんなので冬を乗り切れるのだろうか?と心配していたが、意外にも、命綱は切れないものだった。

「だった」というのは、過去形である。11月頃に落葉してから、つい先日まで、庭の桑の木に命綱一本でクワゴの繭はぶら下がっていたのだ。ところが、先日、低気圧が通過して、かなりの強風が吹いた。実をいうと、私はすっかりクワゴの繭のことは忘れていたのだが、妻はしっかり毎朝窓の外のクワゴの繭を観察していたようで、朝、妻が「クワゴの命綱が切れて飛んでいっちゃった」という。見るとたしかに先日までしっかりぶら下がっていた繭が見当たらない。風で飛んでいったのだ。まあ、どこかに落ちているのだろう。その切れて飛んでいったクワゴの繭から無事羽化できるのか?それとも、もうダメなのか?ということが今となっては気になる。こんなことなら、もう少しよく観察しておくんだったと少し後悔した。後悔したが、おそらく今年もまたクワゴはやってくるだろう。今度はもう少し観察してみようと思う。

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2010年1月17日 (日)

ニホンアカガエルが生まれ育つところ

散歩道でニホンアカガエルが産卵を始めるのは2月下旬。これは、周辺に比べて若干遅いようだ。散歩道の狭い谷津田は日照時間が短く、また、冷気が溜まる構造であるため、周囲よりも気温、水温が低いことが影響していると思う。実際、今の時期、田んぼの水溜りなどは、完全に氷結していることが多く、Shimo20100117

立派な霜柱が沢山みられる。そういうわけで、散歩道のアカガエルたちはまだぐっすりと冬眠しているわけだが、私の方はどうしても、今年の産卵がどうなるかが気になる。

田んぼの水の様子は毎年変わる。多くの田んぼは完全に平らではなく、一枚の田んぼでも微妙に高いところと低いところがある。そのため、低いところには水たまりが出来る。しかし、田んぼというのはたいてい耕すため、その耕し方によって水溜りの出来かたが微妙に違ってきたりする。

Suiro20100117 田んぼの周囲の土の水路。これもまた、一定ではない。まず、天候などの関係により、水の量もかわるが、田んぼへ水を入れたり、田んぼから水を抜いたりするときに、微妙に流れ方を変えたりすることもあり、一定ではない。だから、産卵に適する場所というのが、微妙にかわってきたりするのだ。

さて、ニホンアカガエルが産卵に適する場所はどういう場所だろう。これは、まず、ほとんど流れのない場所であることが大事である。

以前、散歩道プロジェクトのアカガエルプロジェクトではアカガエルの沼での産卵の様子を数年間にわたり観察を続けた。その結果、同じ田んぼ(そこは休耕田であったが)でも大量に産卵する場所と、まったく産卵しない場所があることに気付いた。その差は何か?それは流れの有無であった。アカガエルの卵はちょうど、アンパンのような形である。ということは、少しでも流れがあると流されてしまう。また、オタマジャクシも流れに逆らって泳ぐということはほとんど出来ないようだ。だから、流れがある場所は産卵に適さないのである。

さらに、水の深さが重要となる。あまり深いところには、(基本的には)産卵がない。ちょうど、いわゆるヒタヒタ状態がよい。卵塊の底面が地面と接し、上部が少しだけ水から出ているくらいがよい。これは水温が関係していると思われる。アカガエルが産卵する2月から3月はまだ水が冷たいが、浅い水溜りであれば、昼間は日光があたると水温はかなり高くなる。実際、産卵は日当たりの良い場所から始まり、徐々に日当たりの悪い場所へと広がっていく。したがって、産卵場所の日当たりが問題となっているのであり、アカガエルが日当たりを気にするのは、昼間の水温の上昇を問題にしていると思う(実際、産卵は夜間に行われるのであるが、アカガエルは昼間の状態を知っているのである)。

さて、我々はどうしても、産卵のことばかり気にするが、2月下旬から3月にかけて産卵した後、カエルになって上陸するのは5月末から6月にかけてである。その間は当然ながらオタマジャクシなのである。ほとんど流れに逆らって泳ぐことの出来ないオタマジャクシが、その間無事に育つためには、安定して(流れのほとんどない)水が確保されなければならない。しかし、田んぼというのは、「中干し」という時期がある。稲がある程度そだった頃、田んぼの水を抜く。この時にどうなるか?これが重要である。この時に、田んぼから抜かれた水が、一気に川に排水されてしまっては、オタマジャクシごと川に流れていってしまい、それは結局、海へと流れていき、死滅してしまうことになる。この中干しの時期に、古くからの田んぼは、水を「排水」するのではなく、周囲の水路に「戻す」のである。溜池がある場合は、それが溜池に戻り、田んぼに水を戻す時は溜池の水が戻る。そういう水の循環が大事である。

これはなにもアカガエルにとって大事というだけではない。ありとあらゆる生き物が、田んぼの水で生きるためには、こういう田んぼと周囲の水の「循環」があってこそ生きることができるのである。水が一方通行では生きることが出来ない。

最近、「ふゆみずたんぼ」といい、冬の間も水を溜めている田んぼが一部で流行っている。それは、生き物を育てる田んぼであるという。しかしながら、やってみればわかるが、一年中、水を抜くことなく、田んぼでの農作業をするというのは相当に大変なのだ。実際は、まともにお米を作ろうとすれば、田んぼから水を抜くという作業は必要なのである。おそらく、それは伝統的な稲作であってもそうであったであろう。しかしながら、水が田んぼから一方的に「排水」されるのではなく、田んぼの周囲の水の循環系があり、水がめぐっているということであれば、それによって生き物が豊かになることが出来るのだと思う。

田んぼから水がなくなると、当然、田んぼの水にいた生き物もなくなる。そのことだけをとらえて、「田んぼに常に水を」というのは単純でわかりやすいかもしれない。しかし、田んぼからなくなった水が、一方通行で海へと排水されるのと、田んぼの周囲に逃げて、また戻ってくるのとでは、まるっきり違う。水の流れというものを、田んぼだけでなく、周囲の水循環系としてみることが出来たら、随分と違ってみえるのにな、と、いつも思う。実際のところ、私が知っている範囲でも、冬場に水が溜まっていても、アカガエルが一匹もいない田んぼは存在する。それがどうしてか?私には最初わからなかった。しかし、一年を通して、注意深くその田んぼを観察していくと、「なるほど」と、納得できたのである。その「なるほど」は誰も教えてくれなかった。この目で見て「発見」したのである。

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2010年1月11日 (月)

2010年ようやく始動

年が明けて、ようやくじっくり散歩できる時間が出来た。ほんのわずかな期間遠ざかっただけでも、自分の中の自然の感覚は少しずれてしまっている。ゆっくり歩きながら、少しずつ自然のリズムに自分のリズムを合わせていく。時には、見晴らしのよい場所で、一人たたずんで、何気なく、目の前の色んなものを見る。Tatazumi20100111

カケスがジャージャーと騒いでいる。そこにカラスがやってきて、カーと一声鳴いて、カケスに向かって降下してくる。カケスは枝を飛び移り、ジャージャーと騒ぐ。

そんな光景を見ていた。しばらく自然から離れていると、こうして、少し体を慣らさないと、よくみえてこないものがある。

さあ、何を見ようか?まず、今年のアカガエルがどんなシーズンになるのか?それが気になって、水溜りを見て歩く。去年、アカガエルにとって天国のようであった場所が、今年は少し様子が違う。ある年には、とても良い産卵場所だったところ、今年は水流がきつくて、これでは産卵が出来ないな、とか、去年までは流れがきつかったところが、すっかり流れが止まっていて、絶好の産卵場所になりそうだとか。水溜り一つのコンディションを気にする。Tambo20100111_2

もっとも、まだ産卵が始まるまでは1ヶ月以上あるから、この先の天候や、田んぼへの水の入り方に左右されるであろう。ただ、あらかじめ、おおよその見当をつけて、過去の経験から予想しておくことは、実際に産卵が始まって、予想と比べてどうだったかということは大変ためになるし、色んなことを考えるきっかけをつかむことが出来る。さて、今年は産卵は早いのか遅いのか?多いのか少ないのか?多い場所はどこになるのか?そんなことを考えながら水溜りを見てあるく。

藪に入ると、地面にシュンランのツボミが折れて落ちていて、たいそう驚いた。これはいったいどうしたのか?シュンランがツボミをつけるのはまだまだ先のはず。しかし、ツボミが、しかも折れて落ちているのはいったい何が起きたのか?Shunran20100111

私にはまったく理解出来なかった。「まさか?」と思い、そこいら中にあるシュンランの株を見てまわったけれど、ツボミがついているものなんて一つもなかった。そりゃあ当たり前だ。

冬の林の中は面白い。落葉樹がすっかり葉っぱを落として、明るく、見通しがよくなっている中、青々とした照葉樹が目立つ。この時期をチャンスとして、どんどん伸びていく。中でも、今日は何故かヤツデが目に付いた。ヤツデの葉っぱは面白い。ヤツデといいながら、大きな葉っぱは、たいてい9つにわかれている。Yatsude2010011101

でも、根元の方にある、ちっちゃな葉っぱは一枚。それがやがて3つに分かれてYatsude2010011102

どんどん切れ目が入っていく。ヤツデをみつけては、1つから9つまでの葉っぱを探してみるが、実際のところ、たいてい奇数である。1,3,5,7,9。

要するに、真ん中の中指のような部分と、左右対称に同じ数だけというのが普通のようだ。Yatsude2010011103

ただ、完全に左右が同じ形とは限らず、切れ込みが左側だけ不完全であったりするものもあるので、そういうやつは偶数に数えられたりする。1~9までの葉っぱの写真を全部そろえようか、などと思ってヤツデを探して歩く。

そうしているうちに、葉っぱの裏に越冬する虫を発見。これはセモンジンガサハムシだろう。Semon20100111

静かな静かな冬の曇り空の下、気付くとまた生き物との会話が始まっていた。2010年の散歩道。ようやく始動した。

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