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2009年11月29日 (日)

元気でモリーヌ

この夏以来、ウスバカゲロウの幼虫をずっと飼っている。子供がそれぞれに名前を付けている。この散歩道ブログにも書いたが、巣を作らない幼虫であったホシウスバカゲロウの「ホカスリ氏」は無事成虫となって飛び立っていった。その後、偶然みつけたクサカゲロウの一種、「ゴミノッケ」と「ノッケーヌ」は繭を作ったが、ゴミノッケは上手く羽化できなかった。ノッケーヌは繭のままで、出てくる様子がない。もりもり動いて巣を作っていた「モリー」、あまり動かない「モリーヌ」、それから、突然土の中から登場した小さな小さな「チビちゃん」。このうち、モリーは行方不明になった。水槽の中の土を全てふるいにかけて調べたが、どこにも姿がなかった。一体どこに消えてしまったのだろう?「チビちゃん」は元気に毎日綺麗な巣を作り、餌も沢山食べる。モリーヌは巣を作らず、巣を作らないのであるから、餌もとることがない。10月の始め頃、餌をとった後、まったく巣を作る気配がなく、2ヶ月近くたった。「死んでしまったのか?」と思って掘り出すと、ちゃんと生きていて、動きまわる。

さすがに2ヶ月も餌をとらないのはまずいのではないかと、妻が「もといた場所に戻そう」という。そこで、次女とともにもといた場所に戻すことにした。

Morinu2009112801 とりあえず、戻す前に身体測定をする。体長は1.5センチほど。つれてきたときよりは少し大きくなったようだ。元気に後ろ向きに動き、とくに変わった様子もない。どうして、こいつは巣も作らず、餌も食べずに平気なのだろう?と思う。

いつだったか、普段は土の中にいるのに、毎日、昼過ぎになると土の上に出てきて、後ろ向きに這い回ることがあった。もしかしたら、ここの土が気に入らず、どこかいい場所をもとめてさまよっているのかもしれないと思った。そこで、土を入れ替えてみたりした。さすがに、昼間、土の上を這いまわることはなくなったが、やはり巣は作らなかった。

もといた場所の土を水槽に入れて、それを部屋の中に置いているわけだが、自然の状態ではないので、何か気に入らないことがあるのかもしれない。もといた場所に戻せば、ちゃんと巣を作るだろうか?

比較的、わかりやすい場所を選んで、そこに放した。放すとすぐに土に潜っていった。Morinu2009112802

放して1日後の今日、その場所を見に行ってみた。そうしたら、そこに、昨日はなかった小さな巣が出来ていた。Morinu2009112803

おそらく、この「モリーヌ」が作ったのではないかと思う。やはり、自然の環境は水槽の中の環境と違うのだろう。それは何が影響しているのかは、いまのところ定かではない。これもいろんな仮説をたてて、実験してみると、何かすごく面白いことがわかるかもしれない。そう思うと、ワクワクするのだが。

夏から冬にかけて、ずっとアリジゴクを観察していてわかったことが一つある。

餌を与えないでおくと、巣の大きさが大きくなるのである。餌が足りていると巣を作らなくなったり、巣を作っても小さい巣しか作らない。

今、自然の状態では巣がまだ沢山あるが、どれもこれも大きい。冬になり、餌がとり難くなって、巣も大きくなったのだろうと思う。これが、真冬になると、巣が見えなくなる。冬眠するのだ。こんなことも、また、詳しく調べると面白い。

自然の中には知らないことが沢山ある。それを少しずつ確かめて、少しずつ自然のことがわかるようになる。こんなちっちゃなアリジゴクもとても面白い生活をしているものだと、あらためて感心する。

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2009年11月15日 (日)

私なりの自然観察の方法

散歩道プロジェクトを始めたきっかけは、どんどん破壊が進んでいく近所の豊かな自然を記録に残そうと思ったことだった。消えていくのなら、消えていく前に、残しておこう。そして、私が自然とともに過ごした時間を記録して、思ったこと、感じたことを残しておこうと思ったことだった。幸い、急激に進んでいた破壊は、その後の状況の変化もあり、ほとんど止まったまま。だから、たっぷりと時間があった。全部ぐるっと歩いてまわっても2時間もあれば回れる。そんなほんの小さな場所を歩き、記録を続けてきた。Sampomichi20091107

ここにどんな生き物がすんでいて、どんな生活をしているのか。そして、私は何を感じるのか。それを少しずつ記録してきた。

私の記録に、驚き、いままで気付かなかった自然に気付いたと仰ってくれる人がいる。ただ、歩くだけだったのが、歩きながら自然を見るようになった、と仰ってくれる人がいる。本当にありがたいことだ。

そして、地元公民館主催の自然観察講座の講師もつとめさせていただくようになった。そして、講座開始から、丸4年が過ぎようとしている。その間もあれこれと考え、悩み、少しずつ進化させてきた。

自然観察会をやると、必ず「これは何?」という質問の嵐になる。私は講師とはいえ、全ての植物や昆虫などの生き物の種類が判別できるわけでもなく、わからないことも多い。それでも、名前を知っている植物などに遭遇し、「これは、○○ですよ」というと、皆さんそれで安心するのか、それ以上の質問は滅多に出ない。

名前を知ることが自然を知ることではないが、自然を見ようとするきっかけになる。いつもは何気なく見ていた道端の植物。それが、ある日、「これは○○だ」と知る。次に出くわせば「ああ、○○が咲いている」となる。そうすると、次に「○○は何月頃咲くんだな」ということに気付き、「○○はこういう場所に生えるんだな」という風に、見る目が少しずつ進化していく。Ryuunoo20091107

だから、たったそれだけのことで、単なる散歩が豊かになった、と仰ってくれる人もいる。

私の自然観察会は年4回。そのうち年二回は午前中は私が撮った写真のスライドを使った講義。午後は観察会というパターン。今までの講義では、そこで沢山の生き物の写真を見せたり、沢山の生き物の生活を見せることをやってきた。そうすることで、「ああ、こんなに沢山の生き物が身近にいるんだな」「こんなに様々な生活をしているんだな」ということに気付いてもらえる。

ただ、今回はそれを少し変えてみた。今年度の2回目の講義ということもあり、ちょっと変えてみたのだ。今回の講義では、私が特に重点的に観察をしている「くねくね峠道」の話しをした。「くねくね峠道」だけだ。全長わずか100mほどの道と、その周辺の生き物の話しだけ。コナラとヒキガエルとオオムラサキ、ほとんどこの3種のことだけで90分も話しをすることにした。

Kunetoge20091107講義の原稿が完成して、妻に見せたら、「こんな自然観察講座は普通あり得ない」と言われた。自然観察に興味を持ってくる人は、こんなたった3種の生き物の話し、しかも、特別に珍しいものでもない生き物の話しが興味の対象になるのだろうか?そのことが疑問だという。ただ、これは私は確信犯だった。その「あり得ない」ことをやってやろうと思ったのだ。

たった100mほどの道。その道端の生き物の話だが、それだけでも、いくらでも話しは出来る。そのことを知って欲しかったのだ。私がそこで見たものを見て欲しかったのだ。

私はどんなに忙しくても、たまにはこの100mの道を歩くことは出来るだろう。体調がすぐれないことがあったとしても、少しよくなればここを歩けるだろう。たったそれだけの場所で、たったそれだけのことで、観察できるものが沢山ある。感じことのできる自然が沢山ある。そのことは意味のあることだと信じる。

私の自然観察講座に来られる方は年配の方が多い。かつては80代の方もこられていた。遠くまで出かけるわけでもなく、近所を歩くだけならば、ということで参加されていた方もいた。

もし、私がずっと年をとり、普通に街を歩くこともおぼつかなくなったとしても、「くねくね峠道」を歩くことだけなら出来るかもしれない。端から端まで歩くのに、今の数倍時間がかかろうとも、同じように自然を感じることが出来るかもしれない。そのことを知っていれば、遠くまで出かけていくことをあきらめることが、自然を観察することをあきらめることにはならないだろう。むしろ、今まで以上にその場所を愛し、深く観察することが出来るのではないか。

そして、そのちっぽけな場所を深く知り、特別に愛することが出来るならば、人間と自然がかかわりあいながら、よりよく生きようとすることにつながると私は信じる。だから、私はここを歩き続ける。記録し続ける。それが私の観察の方法だ。歩きながら悩みながら、私は何をしたいのか?を考えてきた。その答えにまた一歩近づいた気がする。

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