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2009年5月 4日 (月)

散歩道では絶滅したかと思った生き物

散歩道の生き物で、かつてよくみかけたが、みかけなくなった生き物はいくつかある。何シーズンかみかけなくなると、もしや絶滅してしまったのでは?と思うことがある。果たして絶滅してしまっているのだろうか?
サワガニは、かつて、散歩道で最も絶滅に近い生き物だと思っていた。かつては、ごく普通に見かけることができたが、やがて見かける回数が減り、そして、ついには何シーズンか見かけなくなり、絶滅したかと思った。その後、水路で、幼いサワガニを見つけた時は驚いたが、絶滅していなかったことを知って嬉しかった事を思い出す。

Sawagani20040724
本当に絶滅したかどうかは、本当によく調べてみないとわからないことだろう。生息の可能性のある場所をくまなく調べ、何シーズンかみかけなかったときに、初めて絶滅したということになるのだろう。Sawagani20090504

今日、そのサワガニを水路で見つけた。ぱっと見で生きているのかどうかわからなかったので、近づいていったところ、そいつはちゃんと生きていた。その直後「もしかしたら絶滅したかも」と思っていたものを見つけたのだから、驚いた。こういう日もあるものだ。

Koke20090504
それはコケリンドウ。数年前に偶然見つけたのだが、その後みかけなくなっていた。今日、ふと思い出して、探してみたら、あったあった。こいつはかなり小さいので、見逃していた可能性もある。ちゃんと生きていたのだ。
生息基盤が脆弱な生き物は色々ある。生息するための環境が複雑であったり、微妙であったり、逆に大規模な環境が必要であるものもいる。だから、そういう環境が少しでも変化すると、絶滅してしまうんではないかと気をもんでしまう。

散歩道にはニホンアカガエルの楽園のような場所がある。いや、あったというべきだろう。ここでたくさんのアカガエルが育っているが、ここ数年少し環境が変わって、必ずしも楽園でもなくなってきた。ただ、私はそういう変化がどう影響するだろうかと思って毎年見ている。雨が少なく、水が涸れてほとんど死滅したと思った時でも、今までみてきたところでは、なんとか生き延びているものがいて、ちゃんと育っているのを目にするから、ちょっとくらいの変化には耐えられるようだし、彼らはそういう過酷な環境でも生き延びてきたからこそ、過酷な環境に耐えられる能力を身に付けてきたのかもしれない。Aka20090504

本当に絶滅してしまった生き物は、全てではないが、およそ人間が無知であったがために絶滅を防げなかったということだろう。人間はいつの時代も無知だ。だから、それを補うために一生懸命に研究して、一歩一歩進んでいるにすぎない。今も、一歩一歩進んでいる途中である。だから、現代人だけが全てをわかっているということは絶対にない。そういうことを前提に考えないとまた同じことを繰り返してしまう。そうならないためにはやはり、自然について、野生の生き物について、どういう生活をしているのかということを確かな目で観察することが大事だと思う。それは、ただ一つの生き物だけを見るのではなく、人間も含めた自然の中の様々な命のめぐりといった視点が大事だと思う。そして、決して完全ではない答えを、少しでもよくしようとしていかなければならない。それが、自然を守ることに繋がるはずだ。

Tampopo20090504 人々はよく、環境が「良い」「悪い」と基準があるかのように言うが、それは何を基準にしているのだろう。自然が生き生きとして、力強い生命にあふれている姿が「良い」として、それはいったいどういう環境なのか?もしあなたが「良い」環境と思う基準があるならば、それはどうやって成り立っているのか?このことに答えを求め続けなければ、進歩はないし、絶対的な答えが教科書に書いてあるわけでもなければ、誰かが知っているわけでもない。

絶滅したと思った生き物が、しっかりと生きていた。私はそんなことを考えながら輝く新緑の中を歩いた。Kunetoge20090504

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コメント

じわりと、心に染み入る、いい文章です。

投稿: 小坊主 | 2009年5月 4日 (月) 22時21分

ありがとうございます。
新緑が心に染みるんです。いろんなことを考えさせてくれるんです。

投稿: TAGA | 2009年5月 5日 (火) 23時00分

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