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2008年7月27日 (日)

帰って来た友達

去年、散歩道の新しい友達という記事に書いたが、いつも同じ穴の中にいるヒキガエルがいた。そして、いつもそこを通るたびに、挨拶をして通ったものだ。近所の人と、そのヒキガエルをいつしか「くねくねの主」と呼ぶようになった。時々、穴を留守にしているときもあったが、また次に通りかかったときはちゃんと穴の中にいた。

やがて冬がきて、その「くねくねの主」の姿が見えなくなった。どこかで冬眠したのかと思っていた。春がきて、ヒキガエルのカエル合戦の季節がきても、その「くねくねの主」は帰ってこなかった。どうしたのだろう?と少し心配していた。

やがて、その「くねくねの主」のことは忘れかけていた。私はそれでも、穴の前を通ると、必ず穴の中を覗くことは習慣になっていた。そして、今日、「くねくねの主」は帰ってきていた。私は思わず「おお、いるじゃん!どこに行ってたの?」と声をかけた。それはまぎれもなく、去年ここにずっと座っていた「くねくねの主」に違いなかった。Nushi2008072701

主は私がカメラのストロボを焚いても、まったく動じない。落ち着き払って、喉を動かしている。私はとても嬉しかった。去年の冬からずっと空き家だったこの穴に、やっと主が帰って来た。

私は、これから、また、ここを通るたびに、主に挨拶をしていくことだろう。主にとって、今年のカエル合戦はどうだったのだろうか?無事に子孫を残せただろうか?そして、その子孫たちは無事に上陸し、カエルになっただろうか?無数に生まれてくるオタマジャクシ。それが、カエルになり、さらに、この「主」のように大きく育つことは奇跡に近い。そして、その主が帰って来た。ノスリやサシバなどの猛禽に襲われることもなく、無事に帰って来た。私は出来ることならきいてみたい。「この一年、どうでしたか?どんなことがありましたか?」と。

そして、ずっとずっと「くねくねの主」でいてほしいものだ。Nushi2008072702

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2008年7月21日 (月)

思いがけない出会い

梅雨が明けた。いきなり暑い。夏の間は朝早く散歩するのがよい。そう思いながらも、もたもたしていると、すぐ昼近くになる。

そんなわけで、汗だくになりながら散歩道を歩く。丁度、ウラギンシジミが草の葉っぱの上の露を吸っていたので、近づいて写真を撮る。Uragin20080719

ウラギンシジミの姿を見ながら、彼らは水のありかをどうやって探し当てているのだろう?などと考える。そうやって座って写真を撮っていると、モンシロチョウやスジグロシロチョウが体にまとわりついてくる。私が汗をかいているので、その汗に寄ってくるようだ。こういう姿をみると、まるで私がチョウを手なずけているように見えるかもしれない。

しばらく歩いていくと、ヤマユリが大輪の花をつけているのを見つけて、思わず「おお、すばらしい!」と声をあげた。ヤマユリはその香りが強烈なので、近くに花が咲いていれば香りでわかる。歩いていて、ヤマユリの香りがしてくれば、「あ、この近くで咲いているな」と思って探すことができる。Yamayuri20080719

もっとも、このヤマユリの場合、あまりに目立っていたので、香りで探し当てる必要はあまりなかったのではあるが。

そうか、蝶たちも香りで水のありかを探っているのかもしれない。しかし、本当にそれだけなのだろうか?これは色々試してみないとわからないことだろう。既に研究されているのではないかとは思う。

そうして、さらに歩く。真夏の暑い日でも、木陰はひんやりと涼しい。しかし、昼頃になると、木の陰も小さくなるな、そんなことを思いながら、地面に映る木陰をみていたら、上空を何かが飛んだ。大きな蝶の影が見えたのだ。咄嗟に上を見上げた。私はたいそう驚いた。オオムラサキだ!

木の間をかなりのスピードで飛んでいく。是非とも私は写真を撮りたいと思ったので、蝶の飛んでいく方向に上を見上げたまま、少し後ずさりした。その次の瞬間である。何か夢を見ているような、一瞬の出来事。そのオオムラサキはヒラヒラと私のそばに舞い降りてきた。「とにかく写真を!」頭の中ではそう思っているのだが、手にカメラを持ったまま身動きがとれない。そのほんの1秒くらいかの後に、そのオオムラサキは私のからだに突進してきたのだ。私のからだの正面、みぞおちのあたりに突進してくるオオムラサキ。バタバタと凄い羽音をたてる。そして、一生懸命私にぶつかるのだ。「何がどうなってるんだ?」さっぱりわからない。私はそのぶつかってくるオオムラサキの驚くほど鮮やかな紫色に驚きつつも、「どこかにとまってくれ」と心の中で叫んでいた。いや、心の中だけではなく、実際に声に出していた「わかった、わかった、わかったから、どこかにとまってくれよ!」そんな風にさけんでいた。そうしているうちにもう一匹が私の頭をかすめていった。そして、その数秒後、なんと、肩にとまった。私は一気に心拍数が上昇し、震える手をおさえつつ、カメラを向けようとする。しかし、だめだ。と、思った次の瞬間、そのオオムラサキは私の手に乗り移った。内心「やった!」と思った。オオムラサキは私の手の甲に滲んでいた汗を一生懸命吸っている。そして、これが最初の1ショット。Oomura2008071901

もう、無我夢中でシャッターを切っていた。カメラは撮影した時刻を秒単位まで記録するのだが、実際、ブレブレでピントもあっていなければチョウも写っていない1ショットから20秒くらい後のショットなので、この状態になるまで、私は約20秒、このオオムラサキと格闘していたことになる。

それからしばらくは、この状態で動けなかったようだ。ずっとこの姿勢の写真が続く。そして、30秒後あたりから徐々に手を動かしていく。Oomura2008071902

この状態の写真なのだから、当然ノーファインダーだ。すなわち、ファインダーを覗いて構図を決めることが出来ない。カメラの位置だけで構図を想像しながらシャッターを切る。その間にいろんなことを考えて、カメラの設定を変えようとするのだが、相当に心拍数があがっており、それこそ震える手をおさえつつ、いつ飛んでいくかもわからないチョウと格闘する。

そして、1分20秒後にはこんな写真を撮っていた。Oomura2008071903

わかる人にはどこで撮ったかがわかる写真となっていた。

私は、この場所の自然を記録したいと思い、ずっと写真を撮り続けてきた。だから、オオムラサキの写真を、まったくどこか別の場所で撮ったとしても、それは私の目的が達成できない。いつも歩いている散歩道で撮る、このことが大事なのだ。そして、思いがけず、背景をしっかりと入れて撮ることができたのだ。

オオムラサキがいた、といっても、オオムラサキの写真だけでは、どこにいたのかわからない。だから、「ここにいた」という確かな記録を残すための写真をずっと目指してきた。そして、こういう写真が撮れた。本当に飛び上がって喜びたくなるほどであった。

Oomura2008071904 そして、これは、思いがけず、撮影時刻までわかる写真となった。

実は、この時計、2分ほど進んでいる。先日から気になっていたのだが、ちゃんとあわせておけばよかったと思う。まあ、それでも誤差の範囲ではあるが。

そして、約3分間、ずっとこのままの状態で写真を撮ることが出来たのだ。本当に驚異の出来事だった。Oomura2008071905

自然は、何も見せてくれないこともあれば、時々、いったいどうしたのか?と思うくらい、凄いものをみせてくれることがある。その自然に感謝しつつ、私は、この場所のこの自然の記録をずっと残すことをこれからも続けたいと強く思う。

このオオムラサキとの出会いは、決して忘れることの出来ない、私と散歩道の自然の物語の一つとしてずっと残るだろう。

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2008年7月 7日 (月)

田んぼの中の藻

北京オリンピックが大変なことになっている。海の競技会場で海藻が大量発生してとんでもないことになっているらしい。その映像をテレビで見たが、あれは酷い。それにしても、一気にあのような状態になるとは考えにくい。海藻が徐々に増えてきて、異変に気付いた時はもうどうしようもなかったということか?一生懸命、海藻を取り除いているようだが、そもそも、そんな海に人が入って泳いだりして大丈夫なのか?と思う。

なんでもそうだが、ある種の生き物だけが大量発生するということは、なにか異変が起きているはずだ。自然のバランスを崩すような何かが。海はつながっているのだから、その原因が実は遠い場所にあったりするのだ。それを探らないで、表面的な対処だけやろうとすると余計に事態を悪化させると思う。それは、病気になったときに、症状だけ抑えてもどうしようもないことと似ている。

まあ、それはさておき、昨日、散歩道にある田んぼの中に藻が沢山あるのを近くでみてちょっと驚いた。Mo2008070601

藻があるのは、除草剤などをあまり使っていない健全な田んぼという証拠だが、その藻の大きなかたまりに、オタマジャクシやらホトケドジョウやらが大量にからまっているのだ。からまっているというか、彼らは藻を食べているようだが。

オタマジャクシは藻をよく食べる。彼らは藻のような植物も、他の生き物の死骸などの動物系のものも食べる。要はなんでも食べる雑食系である。

まだ田んぼの中にほとんど生き物、すなわち餌がない時期に卵を産むアカガエルなどは、卵の殻に藻が生えてきて、それらがオタマジャクシたちの大事な餌になる。アカガエルは小さな水溜りなどにも卵を産む。そうすると、そもそも小さな水溜りであるから餌がほとんどないのだが、藻が生えてくれば餌が確保できるというものだ。カエルが雑食なのはオタマジャクシの時代だけで、肢が生えて上陸したカエルは昆虫などを食べる肉食だ。証拠に、こんな藻にオタマジャクシが沢山くっついていて、中には肢が生えてきているものもあるが、カエルは一匹もくっついていない。Mo2008070602 もし、カエルが藻を餌にするなら、カエルだらけになっているはずだ。周囲には、気をつけてあるかないと踏んづけてしまいそうなくらいのカエルがいるのだから。

Mo2008070603 驚いたのは、ホトケドジョウがウジャウジャといることである。ホトケドジョウは藻などに産卵するのであったか。それにしても、これは単に食べているか、藻の中を棲みかにしているかであろう。海藻の繁る場所に魚が多く棲むというが、これはその田んぼ版である。

先日、小学校4年生の次女が国語の問題集をやっているのを見たら、「田んぼはお米を育てるだけでなく、生き物を育てるのだ」というような文が載っていて、いたく感動したが、田んぼはもちろんお米を育てるためにあるのだろうけれど、長い歴史の中で、生き物を育ててきた。それが、日本の風土、日本の自然の中で大事な要素になってきたのだ。そのことをいつのまにか忘れてしまい、米の収量だけを気にするような効率優先で、生き物を育てる田んぼでなくなってきたという問題を認識すべきだと思う。

私の散歩道周辺の田んぼは生き物を育てることに関しては優秀な場所が多い。この田んぼでもホタルが育っているし、なにしろニホンアカガエルが沢山育つ田んぼだ。しかしながら、世の中の整備された米工場のごとき田んぼには、たいした生き物がいないことが多い。これは実際に見てみればわかる。田んぼといっても、生き物を育てる機能には格差があるのだ。(とはいえ、米の収量がどれだけ格差があるかはわからない。ほとんどないように思うが)

実は、このように藻が生えている田んぼは多そうで少ない。実際にはこのようになる前に除草剤をたっぷり撒く田んぼの水は澄んでいて、藻など生えていない。

実際に私なども田んぼの手伝いにいくが、農薬を使わないで田んぼをやっている人に言わせれば、藻や浮き草が生えるということはそれはそれで大事なことなのだそうだ。なぜなら、藻や浮き草が田んぼの水面を覆うと、水底には光がとどかない。したがって、余分な雑草が生えにくいというのだ。ということを考えると、除草剤を撒いて、藻も生えなくすることはなんとなく矛盾を感じる。

藻が生えて、こうして藻を食べる生き物がいる。藻を食べる生き物によって藻が分解されてそれが稲の栄養になる。藻を食べる生き物は、田んぼの害虫をも食べて稲を守る。田んぼは自然の力をうまく利用し、自然は田んぼに育てられてきた。そういう上手い関係。それを誰か偉い人が忘れてしまっていたことに、大きな間違いが始まったと思わざるを得ない。

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2008年7月 6日 (日)

ビワをめぐる不思議な協力関係

うちのビワは、私がこの地に越してきたときに、人からもらって食べたビワの種を庭に埋めておいたら芽が出て、それが育ったものである。そのビワは随分育ち、毎年枝打ちをしないと2階の窓に当たってしまう。

ビワは11月頃花が咲くが、11月といえばもう虫もいなくなる時期なのになあと思う。だが、見ていると、メジロなどが花の蜜を求めてやってくる。蜜蜂なども来ていることもある。そして、6月頃に実が実る。放っておくと鳥がきて食べてしまうので、我が家では、まず人間の分を確保する。実際、実は沢山なるが、取りやすい位置のものだけ取って、あとは放っておく。そうすると毎日鳥がやってきて食べる。

鳥たちは、一つの実を全部食べきることはない。ちょっとだけつついて食べてはまた別の実をちょっとだけつついて食べる。そうすると、その鳥がつついた場所に蜂や蟻をはじめとする昆虫たちがやってきて食べる。虫たちは鳥がつついてくれることで食べやすくなるようだ。Biwa2008070601

不思議な協力関係だなあと思う。そういえば、柿などもそんな風になっているのをよく見る。

果実といえば、果実を食べるモノがいて、そのおかげで種が運ばれるのではないのか?まてよ、ビワの場合、種が大きすぎて、鳥は運ばないだろう。柿もそうかもしれない。

実際のところ、このビワの種は私が食べて運んだともいえる。もしかすると、地面に落ちた実を拾って食べる動物に期待しているのだろうか?

一本のビワをめぐって、生き物たちのいろんな協力関係が見えるような気がした。

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