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2008年4月27日 (日)

今年も谷津田に輝く季節がやってきた

Yatsu20080427巷では、ゴールデンウィークの始まりという。行楽シーズンという。そのゴールデンウィークの始まる少し前から、私の散歩道フィールドである、瀬又の谷津田は輝き出す。それは本当に輝きはじめるのだ。

それは、丁度田植えが始まる時期である。田んぼには水が入れられる。林の木々は芽吹き、新緑が輝いている。最初はごくごく淡い色の芽が出てきたかと思うと、日に日に色を濃くしていく。そして、静かに水を蓄えた田んぼに新緑が映る。それはもう、たとえようのない透明感である。そして、シュレーゲルアオガエルが鳴く。カエルの声は谷にこだまし、ときどき盛り上がり、そしてまた静かになる。ウグイスの透き通った声が四方八方から響き、ときおりキジのケンケーンという鋭く甲高い声がこだまする。

この時期は、一年でもっとも花の多い時期である。それこそ色とりどりの花が咲くのだ。この時期になると、私は歩く早さがぐっと遅くなる。それは見るものが多すぎるからだ。一歩一歩進むと、一歩一歩違う花が見える。Kumagai20080427_2

イチリンソウ、ニリンソウ、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサク、ネコノメソウ、クマガイソウ、キンラン、ギンラン、ササバギンラン......それらが一斉に咲く。色とりどりの花の中を歩く。

こんな幸せがあろうか?と思う。この谷津田の輝きを見たら、どんな花壇だって、つまらなく思える。Ichirin20080427

この自然の中に咲く花を道端に見ながら歩くことの素晴らしさは、どんな花壇にもかなわないだろう。

この時期は早起きして、朝早くに散歩をするのが気持ちいい。夜露に濡れ、まだ花が半分くらいしか開いていない。葉が繁り出して、やさしくそそいでくる木漏れ日の下で、色とりどりの花がキラキラと輝くのだ。湿った緑の香りがただよい、カエルが鳴き、ウグイスが鳴く。チョウはまだ寝ぼけているのか、飛び方がゆるく、時々花にとまっては、ゆっくりと翅を広げたり閉じたりする。Jirobo20080427

この美しい季節の美しい自然、それがこんなに身近にあることを、もっと多くの人に知ってもらいたい。そして、それがいかに脆いものであるかを知り、それを大切にしてもらいたい。

いや、決して花だけが大事なのではない。私は何度も言っているが、きれいな花を守るためといって、人が一生懸命手をかけるというのはどうか。あげくの果てには花につく虫を追い払うために殺虫剤を撒くなどということを、こんな自然の中でやってしまう人がいる。それは私に言わせれば本末転倒である。

花を愛する気持ちがあるなら、その花を育んでいるもっと大きな自然を愛せないのだろうか?自然があって、そこにいろんな生き物が様々な生活をしている。その中で、奇跡的に咲く花がある。その奇跡を奇跡としてどうして愛せないのだろうか?木を見て森を見ずというが、花を見て自然を見ず、になっていないだろうか?Hotaru20080427

花は美しい。だから花だけに目がいってしまう。しかし、花を食べる虫がいる。花とともに生きる生き物だっている。植物だって、花を咲かせるために、いろんなものを犠牲にしていたりもする。それが自然の姿であり、そこに綺麗な花が咲いているということは、自然の複雑な営みが生んだ奇跡なのだ。その奇跡を生んでいる自然の凄さに思いをはせることが出来なければ、本当の花の美しさは感じることができないと私は思う。そうでなければ、花壇の花を見ていればいいではないか。そちらの方がよほど手軽に見れるではないか。でも、それでは私にはまったくつまらないのだ。

この美しい自然がずっとずっとそこにあって欲しいと願う。そこには自然という奇跡が生んだ美しいものがある。そのことを多くの人がごく当たり前に感じる世の中であったらいいと思う。昔から自然を敬い、大切にしてきた心。自然は、人の心に美しい恵みを与えてくれるのであろう。誰でも自然を素直に見つめるだけで、その素晴らしい自然からの贈り物が見えるはずだ。なにも遠くまで花壇の花を見にいかなくても、あなたの足元に素晴らしい贈り物が沢山あるではないか。なにも私の散歩道が特別なわけではない。私は多くの人にそのことに気付いて欲しいのだ。

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2008年4月13日 (日)

散歩道の音風景

ここ1、2週間の間に、ほとんどの田んぼに水が入った。これから田植えの季節が始まるのだ。こうなってくるとアカガエルのオタマたちも水が涸れて死ぬというリスクが大幅に減る。あとは水に流されてしまわないことだ。Tambo20080412 今年はいつもより遅い3月中旬に産卵のピークをむかえたニホンアカガエルだったが、その後は比較的雨に恵まれて、乾燥して死滅する割合が少なかったような気がする。これは、産卵が遅かったことが幸いしているともいえる。ただ、上陸するまでにはまだ数々の困難が待ち構えているだろう。

中には、田んぼに水が入るのを待っていたかのような、今頃になって産卵するものもいるようだ。水の入った田んぼに真新しい卵を見ることもある。Tamago20080412

この卵の様子だと、全て、ほぼ1週間くらいの間に産卵された卵である。丁度1週間前、ここの田んぼに水が入ったのが確認できたが、その時にはなかったので、それからあわてて産卵したのだろう。田んぼに水が入った時期はだいたい、例年通り。この場所もかなりの数のアカガエルが見られる場所なので、長い年月にわたる人間とアカガエルの相互作用により、徐々にこのようになってきたのかもしれない。人の生活と生き物の生活に密接な関係がある。どちらかがどちらかに歩み寄ったわけでもなく、お互いに自分の都合で生活しているのだが、それがいつのまにか相互作用が生まれる。これが里山の生き物の面白いところだ。人間も生き物として、同じ自然の中で暮らしているということは、こういうことだろう。

田んぼに水が入る頃には、谷津田はとても賑やかになる。シュレーゲルアオガエルのコロコロコロ、という声は大合唱になり、耳が遠くなるかと思うくらいだ。散歩道プロジェクトのトップの画像をクリックすると、バックにその大合唱の声が聴こえるようにした。一度聴いてみてほしい。

この声は谷にこだまし、360度、音に囲まれる。そうして、ウグイスが鳴き、キジが鳴く。私はこの音風景が好きなので、これを録音してみようと、録音機材を持って「くねくね峠」にいった。Kune20080412 丁度山桜が花ざかりで、とても綺麗だった。風が少しあったので、風の音でボコボコいうのが気になったが、なんとか録音出来た。しかし、この場所は丁度、羽田に降りる飛行機の通り道にあり、頻繁に飛行機が通るので、その音が気になった。いつも、何気なく聴いている音風景だが、録音しようとすると、その存在が強く感じられる。

私はなによりこの音風景が好きなのである。こうしてこの音に囲まれていると心が落ち着く。何かとても懐かしいものを感じるのだ。

これは本当のことなのだが、「公園のカエルの声がうるさい」などと、苦情を言う人々がいるのである。そして、だからといってカエルを駆除しようとする人々もいる。そういう人々は何か大事なことを忘れてしまっている。都会の騒音に比べたら、はるかに小さなこの音が、人の心に障るのであれば、それは何か大きな危険をはらんでいる気がする。これからアマガエルの大合唱も始まる。都会に多いアマガエル。その季節になると、何故か、私のこの散歩道ブログに「カエル・駆除」というキーワードで検索してやってくる人が多い。彼らは、カエルを駆除したいのか?そのために駆除方法をネットで検索しているのか?逆に「いや、カエルは大事だ」という人もいるが、そういう人に話しをきくと、必ず、カエルは「害虫を食べる」という話しが出てくる。そういう単純な「損か得か」だけで自然を見ているとしたら、大きな間違いなのである。世の中の多くの人々はこんなことも理解出来なくなってしまったのである。そういうところに現代の人間社会の見えない病が見えてくる。私は声を大にして言いたい。一度、この音風景を感じて欲しい。正直なところ、あなたにはどう感じられるだろうか?それが問題だ。

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