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2007年8月18日 (土)

ウスバカゲロウの一生

8月は毎年忙しく、なかなか落ち着いて散歩も出来ない。このところの連日の猛暑では、散歩どころではないというのも実態だが、今日、気温が下がったのと同時に、時間が出来たので久しぶりに散歩道にでかけてみた。数週間歩かなかっただけなのに、なんだか歩き方を忘れている気がする。季節も少し飛んでいる。今日は涼しく曇っていて暗いので、昼過ぎだというのにヒグラシの大合唱だ。ツクツクホウシの声も聴こえる。この前歩いたときは、ようやくセミが鳴き始めたと思ったが、季節は過ぎていくものだ。

Semi20070818 道端にアブラゼミの死骸が転がっていた。この季節にはよく見る光景だ。いつも思うのだが、彼らは一生の最後に夏の太陽の下で賑やかに生命を燃焼させるのだなと。最初で最後の夏。そして命が尽きる。

田んぼはすでに黄金色になってきており、早い田んぼは9月になればすぐに収穫される状態だ。今年も夏がすぎて、秋へ、そして冬へと季節が進むのだなといつも思う。季節の変わり目には、過ぎ行く季節が名残惜しい。

オニヤンマが力強く田んぼのほとりを飛ぶのを見つつ歩いていると、マユタテアカネと思われるアカトンボがすでに少し赤く色づいているのを見た。もう赤くなってきているんだな、と思いトンボの姿を追うと、目の前にトンボの翅のようなものが木の枝の間から見えていることに気付いた。近づいてみると、それはウスバカゲロウの死骸だった。

Usuba2007081801_2 蜘蛛の糸にひっかかって、それが枝にからまった状態で、ウスバカゲロウは死んでいた。死骸には、アブラムシがついていて、おそらく死骸を食べていくのであろう。

ウスバカゲロウといえば、アリジゴクが成虫になったものだ。トンボが力強く飛び回るのに、よく似た形の彼らは、カゲロウというだけに「儚き者」。夜行性なので、昼間はあまり見ることがないが、夜、ヒラヒラと飛びまわる。

その死骸のすぐそばにはいわゆるアリジゴクの巣が沢山あった。Usuba2007081802

アリジゴクのようなほとんど歩き回ることが出来ないような虫が、どうして、この巣に適した場所を探し当てるのか、それをいつも不思議に思っていた。適した場所は刻々と変わっていくが、それに対応してしっかりとアリジゴクも巣を作っている。そして、何年もかかってアリジゴクから成虫になるウスバカゲロウの一生のこともよく考えることがある。探ってみたいという気持ちがある。まだ知らない何かとても不思議な営みがあるような気がする。まだ知らないから、なんにもわからないのだけれど、それは人間の浅はかな考えでは到底考えつきもしないようなことがあるのではないか?という風に考えることがある。そのことを感じて、自然の奥の深さを感じる。私にはアリジゴクは自然の奥深さに足をとられてそこから抜け出せない「アリジゴク」かもしれない。

そんなことを思いながら、ウスバカゲロウの死骸を眺めていた。時々、風が吹いて枝が揺れ、ウスバカゲロウの死骸もゆれる。ヒグラシがカナカナカナと、甲高い声で合唱し、それはウスバカゲロウの死を悲しんでいるようにも思えた。でも、それが自然の輪廻。ウスバカゲロウはこうして最初で最後の夏に一生を終え、そしてまたあらたな命が生まれていく。これが延々と続いてきた自然の生命の営み。何も知らない多くの人間がそれを簡単に消し去ってしまう。ヒグラシの声をききながら、何か恐ろしさのようなものも感じた。

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2007年8月 4日 (土)

最悪の結末

今朝、いつものようにカラスの声で目がさめた。しかし、気のせいかいつもより近くにきこえた。そして、何か鳥の悲鳴のような声もきいた。私はまだベッドの上、うとうとと、まだ目覚めない頭で、ヒヨドリの雛がそろそろ孵るころだなと、思いつつ....しばらくすると、その声は遠くなった。はっ、と思い、気になって窓をあけ、ヒヨドリの巣を見た。「親鳥がいない!」ベランダに出て、巣の中を覗く。「最悪だ!」Hiyo20070804

卵も雛も、なんにもない。空っぽだ。脱力感というか、なんともいえない感情におそわれた。

しばらくして、もういちど巣を見たら、親鳥がやってきて巣の中を確認するようなしぐさをし、静かに「ヒュー」と悲しそうな声を出し、すぐに飛んでいった。

またしばらくして、近くの電線にとまり、気のせいか、いつもより大きく鋭い声で鳴くヒヨドリのツガイを見た。そして、そのツガイは巣の方を、すなわち私がいるほうを見つめ、飛んでいった。

実際に何が起きたのかわからない。私が最後に巣をみたのは昨日の朝。いつものように親鳥は巣に座っていた。昨日の夕方、妻が見た時もいつもとかわりなく親鳥が巣に座っていたらしい。

実際、その現場を見たわけではないので、何が起きたのか確かなことはわからないが、今朝、私があの悲鳴のような声をきいた時点で何かが起きたことは否定できないだろう。

身近なヒヨドリ。何度もこんなことを繰り返しているのかもしれない。卵を抱いていたのは、ほんの10日ほどのことだが、かれらの一生にとっては、長い長い期間だろう。そしてまた一からやり直す。自然の厳しさ、その中で生きる身近な鳥の、いままで知らなかった現実を目の前で見た気がした。身近だと思っていて、実はなんにも知らなかったヒヨドリの生活を少しだけ見ることが出来た。そして、少しだけ身近になった気がした。

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2007年8月 3日 (金)

庭の自然観察

次女が夏休みの自由研究に、雑草の生え方を調べるという。それで、少しその自由研究につきあっている。うちの庭はロクに草取りなんぞしていないものだから、雑草が沢山生えている。そこを一部草を抜いたり、刈ったりして、どうなるか観察してみよう、というわけだ。

天気が悪かったり、時間がなくて散歩道にいけない日は、その自由研究に付き合うのと同時に、庭の自然観察をする。先日、見つけたヒヨドリの巣もあるが、結構いろんなものがくる。丁度私がここに引っ越してきた時は6月くらいだった。その直後に庭にやってくるジャノメチョウを見てたいそう驚いた。Janome20070729

ジャノメチョウといっても、街中でもよくみかけるのはたいてい、ヒメウラナミジャノメか、ヒメジャノメである。それが、「ジャノメチョウ」が普通にいたのである。尚、このチョウは千葉県レッドデータブックで「C:要保護生物」となっている。優雅な飛び方と、大きな目玉模様が特徴だ。一時期、このチョウは庭では見かけなくなっていたが、昨年あたりからいつのまにか復活した。今年も飛んでいるのを見ていたから、写真でも撮ろうかと思った。

このチョウはほとんど地面に近いようなところをゆっくりと低空飛行する。

たまに、ツガイのキジバトがやってきたり、スズメが砂浴びにやってきたりもしている。キジバトは先日まではよく小枝を集めにきた。巣を作っているのだろう。草もよくみると、なんでこんなところにこんなものが??というようなものが生えてきたりして、色々と発見がある。小さな世界の小さな自然だ。庭とて、自然の一部としてまわりと繋がっている。

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2007年8月 2日 (木)

我が家のヒヨドリ(2)

Hiyo20070729 我が家の庭木にヒヨドリの巣を見つけてからおよそ10日。その間、私が見るといつもヒヨドリは卵を抱いている。

巣はベランダから身をのりだして見ていたのだが、最初にヒヨドリと目があった時は、驚いたような怖い顔をされた。妻にいったら、「そう?いつもカワイイ顔してるけど」という。もしかしたら、初めて見る顔で、しかもカメラを持っていたので、少し驚いたのかもしれない。2日目以降は、そんなこともなく、確かにカワイイ顔をしていた。

ヒヨドリはいつ巣にきて、いつ巣から飛び立っているのかは、すぐそばで生活していてもまったくわからない。そのかわり、一日中、近所の高い木の上で大きな声で鳴いている。今日までの間、土砂降りの雷雨があったが、それでもヒヨドリはまったく動じることもない。静かに静かにひたすら卵を抱き続ける。自然の中で雛を育てること、その生命のエネルギーを感じた。

うちのまわりはカラスが多いので、巣がカラスに襲われはしないかと、私はいつも気にしてしまう。今朝も、カラスの声で目覚めた。すぐ近くの電柱の上にとまってカアカアと鳴くカラスが気になる。

ベランダから巣をのぞくと、葉っぱに隠れて、なかなか見えないが、寝室の窓を少しあけて、身を乗り出すと、よく見えることがわかった。それで、私は毎朝、目覚めると、まわりにカラスがいないことを確かめて、そっと寝室の窓をあけ、ちらっと巣をのぞく。一瞬ヒヨドリとは目が合う。しっかり卵を抱いているのを確認し、小さく「おはよう」という。雛が孵るまでもうすぐだろう。

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