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2007年7月28日 (土)

我が家のヒヨドリ(1)

先日、小学校が夏休みに入った次女が、庭木にヒヨドリの巣を見つけた。最初、巣だとは思わず、「なんで木の上にティッシュがぶら下がってるの?」と言っていたらしい。妻がみると、そこに鳥の巣があることがわかった。どこから運んできたのか、巣材にティッシュを使っている。柔らかいし、フワフワしているので、丁度よかったのだろう。その巣はベランダから身を乗り出せば容易に見ることが出来る場所にあった。とはいえ、葉っぱの陰に隠れているので、外からはちょっとみただけでは巣があるとは気付かない。次女が最初に見つけたように、木の枝にティッシュがぶら下がっているということに気付かなければ誰も気付かないだろう。

ヒヨドリというのは鳴き声が騒々しい鳥だと思っていたが、その巣をかけた庭木では、いつ巣にやってきて、いつ巣を留守にしているのかも気付かないくらい静かである。私はここしばらく忙しくて巣を見ることが出来ていなかったのだが、発見した翌日見たら、卵が3つから4つに増えていたという。最初から4つあったのを見逃していた可能性もあるが、今日見たら、たしかに卵は4つあった。Hiyo2007072801

巣に気付いてみると不思議なもので、家のまわりのヒヨドリの行動が、今までと少し違うような気がしてくる。

今、ヒヨドリは、ほとんど一日中、近くの大きな木の上で大きな声で、いろんな鳴き方をしている。警戒しているのだろう。そして、その鳴き声で巣も守っているツガイのうちのもう一羽に何かを伝えているのかもしれない。そういうヒヨドリの姿に、自然の中で一生懸命に生きていることを感じる。

その一生懸命さを邪魔しないように、できるだけそっと、しかし時々その姿を確認しようと思う。子供たちには、夏休みのよい教材でもある。

かつては決して街の鳥ではなかったヒヨドリが、今こうして人間の身近な場所で子育てをし、それは結局のところ、天敵から身を守るのに役立っているであろう、ということも、あるいは、同じように人間のそばで生きるカラスなどが、彼らの天敵でもあるということ。そういうところから、自然と人間のかかわりの複雑さというものを考えることが出来れば。この巣の結末がどうなろうが、それは貴重な教材だ。私にとっても、である。

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2007年7月22日 (日)

ヤマユリ

そろそろヤマユリが咲いているころだろうと思って、いつものように散歩道に出かけた。実際、私の家から駅までの道ばたに一箇所、ヤマユリがすでに咲いているところがあった。いつも沢山咲いている場所にいってみたが、見つからなかった。つぼみは先日見かけたような気がするのだが、なかった。先日みつけたオオバノトンボソウも1株なくなっている。これは、毎年のことなので驚くこともないが、少し落胆した。

それで、さらにあちこち探していたが、今年はつぼみも少ないようで、なかなか見つけることが出来なかった。植物には周期があるから、多い年、少ない年があることは自然のことだ。天候に左右されると思う人もいるかもしれないが、実際のところはよくわからない。芽生えてから花をつけるまでの天候は平均的に見れば、大きくかわるものではないと思うからだ。今年は梅雨に雨が多く、日照が少ないこともあり、成長が遅れている可能性もある。しかし、すでに咲いているものもあるわけだから、一概に言えないということはわかる。

Yuri2007072101 歩きまわって、ようやく大きなつぼみを見つけた。ヤマユリは本当に大きな花をつける。おそらく、散歩道では最大の花をつけるのがこれだ。おそらく日本中の花のなかでもほぼ最大だと思う。

私は西日本の生まれなので、こちらにくるまでこんなユリを見た記憶がない。図鑑で調べると、分布は近畿地方以北となっている。

うちの庭では今、園芸種のカサブランカが大きな花を咲かせている。花の形や大きさなど、このカサブランカそっくりなのだが、それもそのはず、カサブランカの原種はヤマユリなのだ。

ヤマユリは日本固有種だ。これほど立派な花を咲かせるユリは世界的にも珍しいということでかつてはヨーロッパ向けに球根を輸出をしていたらしい。それがヨーロッパで品種改良されて戻ってきたのがカサブランカというわけだ。品種改良してわざわざ逆輸入というのが、どうも私には解せない。ただ白いだけのカサブランカよりも、微妙な色合いで、花びらに綺麗な模様のあるヤマユリの方が私には好みだからだ。あのカサブランカには純白を好むヨーロッパ人的な発想が見えるような気がする。

最近、花屋で売られているユリはたいていおしべの先が切り取られている。花粉が服などにつくのが嫌だということらしい。どうも不自然な気がして私はあまり好きではない。

ヤマユリはあたり一面に強い香りを放つ。その香りで、夏が来たことを感じる。香りが強すぎるという人もいるが、私はこの香りは好きだ。散歩道にヤマユリの香りがただよう季節まであとほんの少し。Yuri2007072102

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2007年7月 7日 (土)

オオバノトンボソウ

Ooba2007070701 散歩道の写真を撮り始めて、最初の頃にこの植物に出会った。その時のことはよく覚えている。一箇所に数株かたまって生えていた。この不思議な形をした花。いままで見たことがなかったので珍しい花だろうと思い、撮ってきた写真をもとに調べてみたら、オオバノトンボソウらしいということがわかった。そして何株かは根元に「とらないで!」と書いた札が立っていた。Fuda0705

しばらくして、いつもカメラを持って歩いている私に声をかけてきてくれた人がいた。それから、散歩道で何度かその人に会い、話しをするうちに、「とらないで!」の立て札を立てたのはその人だということがわかった。そして、やはり、この植物が珍しく思えたので、千葉中央博物館にもって行き、「オオバノトンボソウ」と同定してもらったということだった。

次の年くらいまでは同じ場所に咲いたオオバノトンボソウであったが、周辺の木を伐ったこともあり、環境が変化したのか、同じ場所では見られなくなった。そのかわり、その周辺で毎年毎年場所を変えて、咲いているのが見られた。

「とらないで」の立て札は、しらばくしてなくなり、いつのまにかその人も見かけなくなった。時々、咲いたオオバノトンボソウがいつのまにかなくなっていることもあった。誰かが持っていってしまったのかもしれない。それでも、なんとか毎年数株は見ることが出来た。

今年もしばらく前にオオバノトンボソウを見つけることが出来た。そして今日、私が最初に見つけた場所に一株花をつけているのを見つけた。一度、木が伐られてから数年がたち、少しずつまた木が繁ってきた。そして少しずつもとの薄暗い湿った場所に近づいてきたのを最近感じていた。そしてオオバノトンボソウが戻ってきたのだ。

自然はめぐり、自然に接した人の生活もめぐり、その中でオオバノトンボソウもめぐっている。私にとっては少し思いいれのあるオオバノトンボソウ。これからも私は毎年この時期にはオオバノトンボソウを探しに、この場所にいくことだろう。 次はどの場所で花をつけるだろうか?Ooba2007070702

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2007年7月 1日 (日)

トンボの気持ち

Noshime2007070103s今、散歩道はトンボでいっぱいだ。とくにノシメトンボはかなり数が多く、普通に歩いていてぶつかるのではないかというくらい体の近くを飛ぶ。ノシメトンボは比較的ゆっくり飛ぶので写真におさめやすいが、飛んでいる距離も短く、飛んでいる姿を撮りたくてもなかなかタイミングが難しい。

以前から、トンボの飛んでいる姿を撮りたいと思っていた。しかし、今までほとんど上手くいったためしがなかった。動きまわる細長いトンボに一瞬にしてピントを合わせるなどというのは神業に近い。

ノシメトンボなどのトンボは草の茎や木の枝の先端などにとまることが多い。そして、一度そこを飛び立ってもすぐに戻ってくることが多い。だから、今までもそれを利用して、かなり近づいて撮ることが多かった。トンボを驚かせないように、ゆっくり近づいて、カメラを構える。このカメラを構えるときの動作にトンボが反応して逃がしてしまうことも多いので、動作はゆっくりと。一度ゆっくりと近づくことが出来れば、かなり接近しても逃げない。子供の頃、トンボを手で捕まえた時には、自然とこういう風にしていたと思う。それを今、カメラを持ってやっている。

そんなことをしながら、今日、ふと、飛んでいるトンボを簡単に撮る方法を発見してしまった。なるほど、これなら簡単に撮れる。Noshime20070701ss

やってみたら、面白いように撮れてしまった。飛んでいるトンボに近づいて撮ることが出来るので、背景を広く入れて撮ることが出来る。今までどうして気付かなかったのだろうと思うが、考えてみれば、とまっているトンボに近づいて撮ることが出来るのだから、同じことだ。

今日はあまり天気がよくなかったのだけれども、少しシャッター速度を上げてやればトンボの動きを止めることも難しくなかった。天気がよければもっとうまくとれるだろう。

Noshime2007070102ss_1 

トンボ、カエル、チョウなど、動き回る生き物を撮るとき、なんとなく「気持ちが通じたな」と思う時に上手く撮れることが多いと感じる。実際に気持ちが通じたのかどうかはわからないが、こちらが相手の動きを見ながら動く、相手もこちらの動きを見ながら動く、という状態を続けながら、うまく相手のふところに入ることが出来たときに、こちらの思うような写真が撮れるのだと思う。そういう意味では、そのお互いに相手の動きを見ながら動くということが「気持ちが通じる」と感じるということなのだろう。そんな中で、なんとなく、相手の生活が見えてくるような気もする。

以前、誰かが、「飛んでいるトンボの脚はどうなっているのだろう?」といっていた。これらの写真を見ればはっきりとわかる。さて、飛んでいるトンボがとまる時に脚はどうなるのだろう?それもわかった。Noshime2007070104s

写真を撮ることで、このあたりの微妙な動きもよくわかった。

今日はあまり天気がよくなかったが、沢山のトンボを撮った。また天気のよい日にはもっと沢山、もっといろんな写真が撮れるだろう。トンボとたわむれることは楽しい。

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