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2007年5月20日 (日)

肉食動物

「弱肉強食」とは誰が言い始めたのだろうか?あたかも、それが自然の掟、自然界の法則のように言う人がいる。そのことを何の疑いもなく人間社会にまで拡大解釈してしまう人も多い。人間は一つの種であり、その中の争いは「弱肉強食」とはまったく性質が異なるのにもかかわらず、そのことをマジメに考える人は極めて少ない。

自然の中では、生態系のピラミッドの頂点に立つといわれる大型の肉食動物の生息基盤はかなり危ういものであることが多い。小さな昆虫などを食べる小型の動物が、さらに大きな動物に食べられ、それがさらに大きな動物に食べられるという階層構造。その頂点に立つ生き物は当然ながら最も数が少なく、1個体が生きるために必要な面積も当然広くなる。そうすると、わずかな自然環境の悪化が壊滅的な打撃を与えることにもなる。よく考えてみれば、世界中で絶滅の危機に瀕している動物の多くが肉食動物ではないか?実際のところ、肉食動物は「弱い」のである。

肉食動物が生きるために、他の動物を食べるという現場を目にすることも少なかろうと思う。だが、よく見れば、昆虫などの小さな肉食動物が他の昆虫などを捕らえて食べるところは比較的目にしやすいのではないか?鳥などが昆虫を食べる、トカゲなどの爬虫類を食べるというのでも同様。これは決してピラミッドの頂点ではないが、生き物の当たり前の繋がりを考えるきっかけにもなる。

Yamakuro2007052002 今日、ヤマサナエ(トンボ)がクロアゲハ(蝶)を捕まえて食べているのをたまたま目撃した。これを見た時、一瞬、何が起きているのかわからなかった。次の瞬間「ああそうか。トンボは肉食だ」と思ってようやく理解できたくらいである。こんな大きな獲物を捕まえているトンボを見たのは初めてだ。なんとか逃げようと必死でもがくクロアゲハ。そのクロアゲハを押さえつけて、肉にかじりついているヤマサナエは、まるで、獲物におそいかかるライオンのようにも見えた。

さて、こういう光景を見て、どう思うだろうか?ある人は、「クロアゲハがかわいそう」と思うかもしれない。ある人は「トンボって怖い」と思うかもしれない。いずれにせよ、これが自然の中で普通に起きていることなのであり、何も特別なことではない。

最近、やたら「エコ」とか言う。実際のところ「エコロジー」なのか「エコノミー」なのかわからなくしている社会がある。「エコ」といえば、なんでもかんでも偉いというような風潮すらある。自然にやさしいといいつつ、それが本当かどうか確かめる手段もないのに「自然にやさしい」=「エコ」という。この「エコ」がもし、「エコロジー」という意味であれば、その根本にあるのは実はこういう風景なのである。生態系のバランスがどうのこうのって、頭で考えたって、実際にはその中の一つの要素として、「こういうこと」が起きている。これだけではなく、まだまだある「あんなこと」や「こんなこと」。それを見ないで、ただ単純に「理論」だか「理念」だか、そういうもの「だけ」が人々の間で暴走していく。しかも、それは人間社会の中での枠組みからはずれることはない。そのことに私は非常に危機感を感じる。

Yamakuro2007052003 人々が当たり前に自然を見ることが出来なくなったことによって、明文化されてはいないものの、かつては誰もが自然の中で「当たり前」に感じていたことが感じられなくなってしまったとしたら、それこそが危機であろう。「エコロジー」は単に自然の実態を、誰もが理解できるような「尺度」を与えることによって、よりよく理解しようとする試みでしかない。実態はそのような「尺度」がなくても「そこにある」のである。

「弱肉強食」というのは、そもそも実態をも表してもおらず、そのことを基準に万事を考えていくならば、それは限りなく誤った方向に向かうであろう。

人に与えられた時間は有限で、さらに「社会」という枠組みの中で出来ることにも制約はある。だけれども、私はそれをちゃんと見つめて、自分で考えたいのである。

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2007年5月16日 (水)

花の咲く年、咲かない年

私の散歩道のある場所にササバギンランがある。毎年ゴールデンウィークの終わる頃、花を付けていた。4月の中ごろになると、芽を出しているのを見ることが出来る。広い草むらの中のわずか数本のその芽。普通なら見過ごしてしまう。目を皿の様にして探す。毎年、無事に芽を出し、やがてツボミをつけ、花が咲く。その過程をずっと見てきた。

今年も例年通りに順調に芽が出てきた。その場所には全部で5株ある。今年はどういうわけか3株しか見つけることが出来なかったが、しっかりと芽が出ていた。やがてツボミをつけ、花が咲くだろうと思っていた。しかし、いまだに花が咲かない。ツボミもつかない。Sasaba2007051301

何故だろうか?この株たちは今年はこのまま花が咲かないで終わってしまうような気がする。

実は、同じように、毎年芽が出てくるのに一度も花が咲いたことがないものもある。どうしてだろうか?何か花が咲くための条件、花が咲かなくなってしまう条件があるのだろうか?

かといって、全部が全部花を咲かせていないわけではない。ここからわずかしか離れていない場所では、しっかりと花を咲かせているものを発見した。むしろ、全体でみると、今年はササバギンランは花が多いように感じる。Sasaba2007051302

ただ、それは、いままであまり見ることのなかった場所で花が咲いているようでもある。逆にいうと、いままで毎年みてきた場所に花が少ないようにも感じてしまう。これはササバギンランだけではなく、キンランについても同じような感想を持っている。

梅雨の時期になると、オオバノトンボソウが見られるようになるが、これはほとんど同じ場所で花が咲いたためしがない。毎年、毎年、少しずつ違う場所で花を見かける。これは地味なので、花が咲かなければ、まず探し出すのが困難な植物でもあり、よくみると花が咲いていない株があちこちにあって、毎年順番に花をつけているというような事情があるのかもしれない。詳しく調べたら面白そうだ。

自然は止まっているわけではなく、毎年、毎年、少しずつ違っている。そのことは、続けてみていれば、自然と気がつくことが多いように思う。そういう風に動いている自然を見ると「ああ、自然はそれ全体が生き物なのだな」と感じる。

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2007年5月 6日 (日)

谷津田が最も輝く季節

ゴールデンウィーク、今年は天気もよく、行楽地はさぞやにぎわったことであろう。私は特に遠出をすることもなく過ごした。以前はゴールデンウィークはほとんど仕事になっていたのだが、最近は比較的ゆっくり過ごすことが出来ている。この季節は何より、田んぼが、それも谷津田が最も美しい季節であると感じる。Suiden2007050401

水の張られた田んぼに、植えたばかりの淡い緑色の苗が整然と並ぶ。苗はまだ小さいので、水面を覆うこともなく、水面はまわりの風景を映す。谷津田の斜面林は緑が次第に濃くなっていき、そのみずみずしい緑が田んぼに映る。

なによりも、朝、早起きして谷津田を散歩するのが、その美しさをもっとも堪能できると思う。青い空に、新緑の林。田んぼは鏡のように緑を映す。シュレーゲルアオガエルの大合唱が谷にこだまし、ウグイスのさえずりが四方八方から聞こえてくる。ときおり、キジがケンケーンと鳴き、また、コジュケイがチョットコーイとなき始める。

林の中に入っていけば、木漏れ日が照らし出す地面に美しい花が咲いている。Sasaba20070504

道端に、キンランやササバギンランなどの花を見つけては、ため息が出る。一年で谷津田が最も美しい季節はいつか?とたずねられれば、間違いなく、ゴールデンウィークとその前後と答えるだろう。

冬の寒さを越え、アカガエルの卵とともにまた生き物の季節がめぐってきたことを感じるが、それは、この季節が待ち遠しく感じることでもある。そして、美しい季節がやってきた。過ぎ行く時間を惜しむように、出来るだけ、谷津田に出かける。朝は早く起きて出かける。

Komore20070504 花の咲く、木漏れ日のこみちを歩くとき、全身にこの季節を感じる。木漏れ日の日差しを感じ、木々の間を吹き抜けるさわやかな風は新緑の香りがする。鳥たちのさえずり、カエルたちの合唱を聴く。

自然とは、こうして感じるものだと思う。こうして感じることが出来る自然を私は大事にしたいと思う。だから、多くの人に同じように感じて欲しいと思う。

この自然の中で、ほんの一瞬の、この季節を感じること。どんな行楽地に出かけていくことよりも、私には嬉しいことだ。

アスファルト舗装され芝生を植え、園芸種の色とりどりの花が咲く、どこもかしこも一様な都会の公園も、それはそれで都会にあっては大変に心地よいものである。だが、それとは比べ物にならない。この価値を知ることもなく、このような風景が都会の公園の風景にかわってしまうことを惜しむこともない現状がすぐ近くに沢山転がっている。それはいまも増殖している。それは、この風景を一度も感じることなく、どこかの誰かに押し付けられた工業製品のような規格化された風景にしか生きられない人々をうんでいるという病が私には感じられる。

身近に、このような風景がなくなってしまったからかもしれない。それならば、もう一度、このような風景の中で、この一番美しい季節を感じて、その価値をもういちど見直したらどうか?Suiden2007050403 わずかに残されたこの風景の価値を見直したらどうか?

ゴールデンウィークが終わると、また季節は進んでいく。やがて雨の季節が来て、それは生き物を育て、そして、賑やかに命が燃えさかる夏がやってくることを感じる。一瞬の輝きは、少しずつ色を変えていく。

過ぎ行く季節を少しだけ惜しみつつ、また来年も同じように光り輝く季節の谷津田を歩きたいと願う。

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