« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007年1月30日 (火)

ホタル放流の流れの果て

Nagare2007012800 この公園はこのあたりでは一番広い面積を有するということだが、大半はこのような池である。「大百池公園」(おうどいけ公園)と名前が付いている。

公園の案内板によれば、これは数百年前からこの地にある「溜池」なのだそうだ。この溜池と、そこに隣接する森を公園として計画・整備したのだそうだ。森については、小高い丘になっており、この丘は縄文時代の住居跡などが見られるという。また、このあたりでは珍しく樹齢のいった巨木が沢山ある。周辺の丘は多くがコナラやクヌギなどの薪炭材となる落葉広葉樹や杉林の多い二次林(自然林を伐採した後、人工的に植えた林)であることを考えると、比較的自然林に近い状態が保たれていたようであり、このあたりでは、やや特異な場所であったようである。

Nagare2007012801 池にはバン、オオバンと、アイガモが多数見られた。アイガモはもともと人間が飼っていたものだろうが、かなり人なれしている。オオバンなども、比較的人の近くで見られるが、さすがに野鳥であるから、近づこうとすれば逃げていく。

水質はお世辞にも綺麗とは言いがたく、また、池のまわりは鳥の糞だらけである。池のまわりにゴロゴロとした大きめの石が敷かれており、ここに糞が沢山付着している状態である。

池のほとりには、遊具のある広場や、芝生の広場があって、休日は親子連れが沢山遊んでいて賑やかだ。あまり広くはないが駐車場もあり、休日はそれなりの台数の車が止まっている。遠くからやってきている人もいるかもしれない。私が見たところでは、こういう公園などで見られる、水鳥に餌をやるような光景は見られなかった。というより、あまり人は鳥に関心がない様子であった。

Nagare2007012802 池のすぐそばに芝生の広場があるということもあって、この写真のように、ボールが池に浮いているというのもいくつか見られた。池と芝生の広場の間には柵などはまったくないので、こんな風にボールが池にはまってしまうのも無理はない。しかし、池に入ってボールをとるわけにもいかず、放置せざるを得ないのだろう。あちこちにボールが浮いていた。

さて、この池であるが、結局、先日ここで紹介したコンクリート底の小川というか水路から水が注がれている。その水はどこからくるかというと、一番上流にはまた公園があり、そこはホタルで有名なところである。ゲンジボタルの飼育設備があり、そこで飼育したホタルを5月の終わり頃になると放流する。放流すると、「ホタルまつり」などといって、大勢の人がやってくる。もともと、それほど大きくない公園の、それほど広くない水辺に沢山の人が集まり、周辺道路は渋滞するし、路上駐車の嵐だし、物凄いことになる。私はあまり見たことがないが、屋台が出たりもするらしい。

まあ、そんなところまでいかなくても、ホタルなら、そこからそう遠くないうちの近所の田んぼの水路で嫌というほど見られるのにとは思う。いや、実際、その公園から歩いて行ける場所でホタルが見られることを私は知っている。それに、そもそも、ホタルというのは、そんな賑やかな場所で見るものではないだろう、とは思う。

もう一つ、最近は、ホタルの放流をするといえばゲンジボタルである。そもそも、ゲンジボタルは渓流などにいるホタルであり、こんなところや、都会の真ん中で放流したって、それはまるで、鮎を都会の池に放流するようなものであり、場違いもいいところなのだが...それより、このあたりにはヘイケボタルはいるところにいけばいくらでも見られる。確かにゲンジボタルの光はヘイケボタルに比べるといくぶん明るいので、ヘイケボタルは見ても大して美しくないなどと大きな勘違いをしている人がいるが、私には、それほど明るさに差があるようには思えない。そもそも、都会の光害の中、明るい空の下でみるゲンジボタルよりも、暗い田んぼでみるヘイケボタルの方が明るく感じるというものだ。見たことない人は「ヘイケは暗い」などと勝手なことをいう。

それはそうと、そのホタルを放流するところから、延々と水がコンクリート水路を流れてくるわけだ。それが、どういう水路かといえば、

Nagare2007012803 こんな状態である。これは川でもなければ、水路でもない。「水が流れるところ」という表現が妥当だろう。単に水が流れているだけ。ゲンジボタルを放流する公園は比較的自然に近い流れになっている(これはいずれレポートしたい)が、そこを一歩出たとたんに、これである。延々とこれである。なんなのだ?これは?何がしたいのだ?

もともとは、このあたりは林にかこまれていた。私がこの地にやってきた十数年前はここは森があって、その奥に流れがあった記憶がある。その流れがどうであったか、これもまた忘却のかなたなのであるが、丁度ここに流れがあったと思う。それが農業用水のようなものであったかどうか?それも忘れてしまった。ただ、私の住んでいるところからそう遠くない場所の流れは、農業用水といえど、いまだしっかり底は土である。その土水路にはいまだメダカが泳いでいる。もしかすると、ここもメダカが泳いでいたのではないかという気がするが、ここが開発される前はこのあたりは私には近寄り難い奥地という感じであったから、よく知らない。知っている人がいたら是非教えて欲しいものだ。

まあ、いずれにしても、流れを改造したわけだ。改造して自分の好みの露天風呂風にでもしたんだろう。このあたりにはお湯のない露天風呂とゴルフの出来ないゴルフ場がいっぱいある。何故にそういうものが出来たのかといえば、それはそれを計画したヤツの発想の貧困さの表れであり、自然に対する無理解の表れであると断言する。もし、豊かな自然に囲まれた住み良い街にしたいと思えば(ああ、そういえば住宅やマンションのパンフレットなどにはそんなことが書いてあるね)こんなバカな水路は作らないであろう。ただ水が流れていれば川だと思う悲しいほどの発想の貧困さ、無知。ホタルを放流したって、絶対に繁殖できないし、せいぜい、ボウフラがわいて、ヘドロが溜まって、異臭を放つだけである。定期的にドブサライもしなくてはならない、メンドクサイだけの水の流れである。そして、流れによって水が浄化されるどころか、まわりの有害物質をどんどん溜め込んだ水が池に注ぐだけである。そんなことを言われなければわからない人が、都市計画の専門家と称して、ここの都市計画は素晴らしいなどと、寝ぼけたことを放言している状況は、まったく始末におえないのである。

| | コメント (0)

2007年1月29日 (月)

いろんなことに気付いた日

Tsugumi20070127s   先週の金曜日あたりから体調が悪く、土曜日は一日中寝ていた。寝ているだけではつまらないので、庭に自動撮影カメラを出しておいた。そうしたら、いつものようにヒヨドリと、ツグミが写っていた。ヒヨドリはいつも来るのだが、ツグミがあの場所にとまっていることは珍しい。そもそも、ヒヨドリは縄張り意識が強いのか、他の鳥がくるとすぐに追い払ってしまう。ツグミを追い払う姿も何度もみかけたものだ。

日曜日も体調がすぐれず、いつものように散歩にいくこともなく、昼過ぎまで寝ていた。この暖冬で、全国あちこちからアカガエルの産卵の便りが届いている。そうなるといてもたってもいられなくなる。だが、まだ足元がフラフラして散歩にいくにはちょっと気がひける。なにしろ年に一度のチャンス。しかも、雨上がりで気温が比較的高いとなると、産卵の可能性を考えずにはいられない。ただ、いくら暖冬といえど、早すぎるのではないか。とはいえ、今年は異様に早い産卵の便りがあちこちから聞こえてくる。ただ、どうも私の散歩道のアカガエルは周囲よりも2週間近く遅く産卵が始まることが多いので、「いや、まだだ」と自分にいいきかせた。

昼過ぎに、日が傾きかけて、どうしても、一箇所だけいっておきたいところがあった。それは、いつもの散歩道ではなく、先日見つけた宅地造成現場とそのそばにある公園である。アカガエルの産卵は今年ダメでも、来年があるが、これだけは、待ってくれそうもない。今を記録しておかねばと焦っている。しかし体力はまだ全然だ。だが、まあ、あのまわりをぐるっと歩くくらいはなんとかなる。なにやら、あやしげな状態で出かける私に心配げな妻。

Oudo20070128_1 まず、この写真を撮りたかった。巨木の向こうに広がる砂漠。実物を肉眼でみると、物凄いインパクトのある光景だが、写真にはうまく撮れない。暗い森の中、巨木の太い枝の間から、明るく差し込む光。これは近くでみると、物凄い印象をあたえてくれる。だが、写真に撮るのがいかに難しいことか。しばらく、この場所で試行錯誤するが、「これだ」という写真はとれなかった。

その造成地のまわりを歩いて、気付いたことがいくつかある。例のコンクリート底の小川だが、自転車で通りかかった小学生の女の子が「うわぁ、きれいになった~!」と驚きの声を上げていた。そういわれれば、異様に綺麗である。落葉の季節が終わり、一斉に清掃、ドブサライをしたのであろう。ドブサライ前の状態がどんなだったか、次のシーズンまで待つしかないが、これは予想通りの展開になるだろう。つまり、だいたい今の時期にドブサライをやるわけだ。それを誰がやるのか、ボランティアか?業者か?興味があるところである。しかし、よくみると、先週よりも水が汚い。生活廃水が流れ込んでいるのだろうか?あちこちで泡が浮いていた。Awa20070128

そして、この公園が出来たいきさつや、この公園のそばの池の歴史(その池の名前が公園の名前になっている。これは後日公表する予定。わかる人にはこの写真でわかると思うが)などがかかれた看板があった。それを読むと、このコンクリート固め川はホタルの放流で有名な公園の水辺から延々と繋がっているらしい。(そのホタルで有名な公園は、ホタルの季節は道路は渋滞するし、騒がしいし、まったくホタル公害なのだが、よくまあ周囲の住民は我慢しているものだと思う。)延々と繋がっている川を誇らしげに水辺の環境整備うんぬんと書いてあったが、所詮この程度の理念、この程度の水辺に対する理解ということだろう。水辺といえば、露天風呂。原っぱといえばゴルフ場である。まあ、そんなものにしか触れてなければ、そういう発想になるのも無理はない。これ以外にも、ここでいろんなものを見て、いろんな人の話をきいて、いろんなことに気付いた一日だった。それは追々発表したいと思う。そして、定点観測は続ける。私のもう一つの散歩道だ。

| | コメント (0)

2007年1月27日 (土)

忘却の始まり

Oroka20070121 先週の日曜日のこと、先日みつけた造成地にいってみた。少しずつ造成工事は進んでいく。いまだ16兆円もの負債をかかえながら、さらにお金をかけてこんなことをやっている人々がいる。そして、ここもまた、何の進歩もない均質な街になるだろう。そして、そのことに何の疑問ももたずにこの地に新たにやってくる人々の波。日本の人口は2年ほど前から確実に減り始めた。こうして新しい街を作る一方で、高齢化しゴーストタウンにかわっていく街がある。以前、このブログにも書いたが、それがニュータウンという文化だ。ニューでなくなったニュータウンは世の中から不要になってしまい切捨てられる。誰が望んだというわけでもない。人々は無理やりにそのように仕向けられている。この現状をみて「おかしい」「なんとかすべきだ」と思うことは、多くの人々の流れに逆らう必要がある。それは大変なエネルギーが必要だ。

私がこの場所を偶然見つけた時にはすでに工事はかなり進んでおり、そのことを悔やんだ。すでに私の記憶からはこの場所の元の状態がどうであったか、かなり薄れてきてしまった。このすぐそばに公園があり、遊歩道がある。遊歩道はかつて両側を森に囲まれた心やすらぐ道だった。今でも、犬を連れて散歩におとずれたり、ジョギングをしたりと、多くの人がこの風景を片側に見ながらここを通る。人々はどう思っているのだろうか?予定通りの光景なのだろうか?望ましいことと考えているだろうか?人々の表情からだけでは何もわからない。

このそばには公園がある。自然公園ともいえるような公園であるが、実態はかなりあやしい。もともと、このあたりの造成の計画として「公園」になる計画だったのかもしれない。そういう場合に、「公園」というのは「公園」なのである。何も、ありのままの自然を残して、そこを人々の憩いの場にしようなどとはこれっぽっちも思ってはいない。「公園」という商品として売られているのである。

Oroka2007012102 そのことを理解するには、この作られた小川をみればよくわかる。ぱっと見て、この異様さに気付いた人はどれだけいるだろうか?このあたりの「公園」の水辺を見たことがある人であれば、「ああ、ここもか」と思ったかもしれない。実際、同じような小川がこの周囲には沢山あるのである。

さて、どこがおかしいか?まず、川底がコンクリートの上に小石が敷き詰められている。そんな川底に生き物が棲めるだろうか?誰も、川底に生き物が棲むなどということを考えていないのである。

Oroka2007012103 ぱっと見て、私にはこれは「露天風呂」にしか見えない。露天風呂ならこれでいいのだが、川というものはこれではまったく機能しない。しかも、この周囲には落葉樹が沢山ある。そうするとどうなるか?落ち葉は川底に溜まるが、これでは分解されようがなく、どんどん落ち葉がたまっていくだけである。溜まった落ち葉は単に腐敗してヘドロのようになり、放っておくと異臭を放つようになるだろう。だから、ドブサライをしなければならなくなる。が、そうすると、こんどは「ドブサライ」をすることが自然にやさしくしているなどと、とんでもない勘違いをする人々が出てくるだろう。

どうせまた、ここにコイなどを泳がせるのかもしれないが、コイは泳がすことが出来たとしても、他の生き物はまったく増えることがないし、だいたい、生態系としての循環がまったくない、「ただの水槽」になってしまうことは目に見えている。ただの「水槽」を屋外に出しておいたらどうなるか?ってことはやってみればすぐわかるだろう。せいぜいボウフラが湧いて、水が腐って異臭を放つだけである。要するに、ただの水槽と「生きた川」の違いすら理解出来ていない証拠である。そんなことだから、いくら「自然にやさしい」といったって、それは嘘っぱちであり、詐欺である。こんな詐欺のような水辺など不要なのである。

Bokyaku20070121 このそばには公園がある。多くの人々がそこを歩いているし、そこで運動や、子供とボール遊びをしている人々がいる。その人たちは、この公園の中からすけて見える「砂漠」をどう思うのか?

やがて、ここには人々がおしよせ、この公園もそこに住む人々が利用するようになるだろう。その時には、すでにこの場所がかつてどうであったか知る人は稀な存在になる。いつもここを歩いていた人の記憶からも、この場所が消えてゆく。

小川がどうやって流れていたか?どんな生き物がどんな風に生活していたか?そんなことも全て忘却のかなたにいってしまう。これはその忘却の始まりの風景だ。私は少し出遅れた。出遅れたが、こうして均質な、何も考えなくても生きていけるような街が出来上がるとき、どんなものがどういう風にして忘却されていくのか、人々はどんな風に変わっていくのか?それを見て記録に残す必要があると思った。

私もすでに多くのことを忘却してしまった。それが悔やまれる。

| | コメント (6)

2007年1月23日 (火)

何故私は谷津田に魅かれるのか

Tani200070121 どうして私はここ千葉の谷津田の風景にこれほどまでに魅かれるのか?これは、自分でもとても不思議に思うことなのだ。私が生まれ育ったのは広島県尾道市。尾道でも対岸の向島という瀬戸内の一つの島である。当然、谷津田の風景は存在しない。それどころか、穏やかな瀬戸内の海に無数にある島々が浮かぶという谷津田とはかけはなれた風景の中で育った。高校3年間は、尾道の渡し舟で海を渡って通学した。島には高い山はないが、平らなところもあまりなく、雑木林と呼ばれるような林もなく、斜面にはみかん畑が広がり、やせた土地に松林が広がる。そんなところである。まったく似通ったところがない。それなのに何故だろう。この谷津田の風景を初めて見たのは、妻と結婚する1年ほど前のこと、北総線沿線に妻と出かけていったときのこと。まだ千葉ニュータウンが造成途中で、なだらかな北総台地の中に畑や林が広がり、そして、谷津田もあった。そこを歩いたとき、なんだか切なくなるほどに懐かしい風景に出会ったような、不思議な気がして、それから、千葉の谷津田の風景のとりこになったのだった。初めて見る風景のはずなのに、どうして懐かしいのだろう? 尾道の海の近く、一日中船の汽笛やエンジンの音がきこえるような場所でそだったはずなのに、どうして懐かしいのだろう?家の近くに田んぼなどなかったのに、どうして懐かしいのだろう?それがとても不思議だった。Onomichi20060814

尾道の風景をこうやってみてみても、まったく似たところを感じないと思う。私が生まれ育ったのは、こういう瀬戸内の風景であり、谷津田の風景など、千葉に来るまでまったく見たことがなかったのに、どうしてここまで魅かれるのだろう?それがずっと不思議でならなかった。

そんな風に不思議に思っていたのだが、ある日ふと思い出したことがあった。

私の母が生まれた家というのは、現在の福山市沼隈町下山南(しもさんな)というところにある。その家には随分昔から誰も住んでいないが、家や倉庫、農地などはそのままあり、小学生の頃、何度か泊りがけで行ったこともある。ここは深い谷底で、谷の一番奥地にその家はあった。初めて行ったときは驚きの連続だった。アリジゴクを初めてみたのもこの場所。谷の一番奥にある神社の縁の下に「アリジゴクがいるよ」と母に教わっていったのを覚えている。見たこともない色のトンボ(今から思えばカワトンボやハグロトンボ)が飛び、大きなオニヤンマもやってくる。家の前にある小川には小さなカワエビがいて、それを捕まえたくてしょうがなく、服がビショビショになりながら川で遊んだ。家の裏ではマツムシがチンチロリンと鳴く。夜はフクロウが鳴き、山からは時々サルが下りてくる。近所の池ではフナがいて、それを釣りにいったりもした。そこは千葉の谷津田からすれば相当に険しい斜面に挟まれた谷底であり、あまり似てるとは言いがたいかもしれないが、もしかしたら、その原体験が私が谷津田に魅かれる理由なのかもしれないと思ったことがある。

しかし、それでもまだ不思議なことがあった。それは田んぼの畔である。その母の生まれた土地には田んぼなどなかったと思う。なのに、なぜか田んぼに魅かれる。畔を歩くと不思議と懐かしい気がする。その理由を考えてみるに、もう一つ思い当たることがあった。

父の母、つまり祖母であるが、祖母の生まれた土地というのは、現在の新潟県中魚沼郡津南町所平というところである。ここも、もう誰も住んでいないが、これもまた、小学校の頃、一度だけ行ったことがある。ここは米どころである。実際に、どういうところだったかはあまり覚えていないのであるが、ここが丁度谷津田のような地形であった気がする。中魚沼郡という地名からも想像出来るように、米どころであり、田んぼに囲まれた中に家があったのは覚えている。隣の家までの間が田んぼ。しかも遠いというのが印象にある。

しかし、それにしても、だ。母の生まれた土地にせよ、祖母の生まれた土地にせよ、それほど頻繁にいったわけでもないし、もうどんな場所だったか忘れているくらいであり、自分が生まれ育った土地とも似ても似つかぬ場所でもあるのに、そことなんとなく似ているというだけで、こんなに魅かれるだろうか?それも不思議なことである。どちらにせよ、「谷」という点では一致しており、「谷に魅かれる」「谷の地形が落ち着く」などと感じるのは、どこかしら遺伝子に組み込まれた遠い記憶があるのかもしれないと思うこともある。いや、もしかしたら、谷津田の斜面林は「島」だろうか?瀬戸内の島。そんなことを思ったりもする。

私は日本全国いろんな場所に行ったはずなのに、なぜか、千葉のこの地形、この風景にはずっと特別な思いがあった。自然の風景というなら、他にも色々な場所があるが、どんな風景より、この地形、この風景に強く魅かれるものがある。それが本当に不思議だ。それも今住んでいるからではなく、初めて見たときから、何か特別な思いを感じていたのだ。それがとても不思議だ。そして、私の二人の娘は、これが生まれ故郷の風景となる。そのことが少し嬉しくもあり、なぜか切なくもある。

| | コメント (0)

2007年1月20日 (土)

散歩道の航空写真

インターネット上で、かなり詳しい上空からの写真を見ることが出来る。そこで、散歩道の航空写真をみてみた。

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F31%2F51.59&lon=140%2F12%2F36.747&layer=1&ac=12219&mode=aero&size=s&pointer=on&sc=3

↑をクリックすると見えただろうか?谷津田の風景がお分かりだろう。画面の左側にのびる谷が「くねくね谷」である。くねくね谷の画面の上側の端を谷にそって「くねくね峠道」がはしる。左上の方に見える造成地が私のいうところの「砂漠エリア」である。こうしてみると、「砂漠」の広さもわかる。丁度画面の中心から少し右上にいったあたりに、森の中に白い部分が見えるが、ここが残土埋め立て現場である。

田んぼの色、山の色からして、季節としては5月中旬ころに撮られたものだと思う。谷の中の茶色っぽく見えるのは田んぼ。ところどころ緑色なのは休耕田。比較的白っぽい土色が見えるのが畑である。

真ん中にみえる谷津田、ここが私の散歩道。このまわりの緑色にみえる森を含めた場所をあちこち歩いているのだ。散歩道プロジェクトに書かれた出来事、図鑑に載せた生き物、すべてこの場所のことである。この場所がどう変遷していくか、こういう写真があると立体的にとてもよくわかると思う。今後、こういう航空写真にも、ずっと注目していきたい。

| | コメント (2)

2007年1月18日 (木)

根拠の乏しいことにすぐ飛びつく人々

いま、納豆が大変である。スーパーで納豆買おうと思っても、売り切れ続出である。なんでも、どこかのテレビで、「納豆を食べたら痩せた」というのをやったらしい。それで、いままで、納豆なんか食ったこともないような人でも、痩せたいといって納豆を買いまくっているらしい。さあ、それで、痩せたのかい?

実際、私は一時期納豆を毎日食べていた。が、痩せるどころか太った。血液サラサラどころか中性脂肪、コレステロールが高くて人間ドックで引っかかる状態。半年くらい、よくまあと思うくらい、ホントに毎日食べていたのにこれである。ただ、体によい気はした。実際、納豆を毎日食べていた間は風邪などをひいてもすぐ治ったし、そもそも風邪にかかりにくいし、お腹を壊すことが減ったなどというのは実感としてあった。ただ、痩せることはなかった。逆に、「納豆は案外カロリーが高いから気をつけて」と医者に言われたくらいである。

実際、そのテレビ番組を見ていないからわからないのだけれども、おそらく、同じカロリーを別な食物で摂った場合にくらべて、納豆に置き換えたら、痩せたというようなことではないかと思うのだが。

「AをすればBになる」というのはわかりやすいが、実際には「Aをする時の条件」というのが必ずある。科学の実験というのは再現性が必ず問題になる。「事実である」と認められるためには誰がやっても同じ結果になることが確認出来なければならない。そのために、必要な前提条件というのがある、その条件を外れた状態では「同じことをした」とはいえない。条件を勝手に設定し、その条件を隠してしまうと、極端な話し、「ハンバーガーを毎日食べると痩せる」ということを実証できてしまう。ハンバーガーを一日1個食べ、他のものは一切たべなければ痩せるであろうことは想像できる。今、流行の巨大なハンバーガーでも実証できるかもしれない。

なぜにこんなことを言うのかといえば、今、日本では、人々はあらゆることについて、その「前提条件」をいい加減に扱っているのではないか?と思えるからである。特に、科学の苦手なマスコミが流す情報にはそれが多すぎる。しかし、それを受け取る人々も科学など苦手な人が多いので、妙な情報がさも確認された事実のようになんの疑問も持たずに受け入れられてしまう現実がある。

たとえば、「クマにおしおきをして、奥山に放せば人里に下りてくることを防止できる」これは事実だろうか?実際に確かめたのだろうか?日本よりも遥かに広い国土の米国あたりで実績があるといっても、クマの密度も地形も自然も国土の広さも全然違う日本ではどういう効果があるかということを実証したのだろうか?実証もなく、ただ単に行動を起こすのは「痩せるからといって納豆買いにいく」と同じくらい馬鹿馬鹿しいことではないか?

「ドングリが不作だから餌がなくてクマが人里におりてくる」というのもある。以前、環境省の報告書を見たことがあるが、そこに書いてあったのは「ドングリの凶作とクマの出没には相関がある」としか書いていなかった。たまたま相関があったからといって、それがどういうメカニズムで相関が生まれているのか、誰も調べていない。誰も言っていない。にもかかわらず「餌不足がクマを人里に出没させる」という人々は何を根拠にいっているのだろうか?

そういう根拠に乏しいことをすぐ信じる人がいて、根拠に乏しいので、その人が信じていることに反する事実を目前につきつけられると、たいていの場合、相当に、うろたえるようである。自分の根拠の乏しさにうすうす気付くが、それを認めたくないので焦るのである。私はそういうことは今まで山ほど経験してきた。

あえて言うが、日本には、里山神話がある。「明るい落葉樹林が自然を豊かにする」とマジメに信じている人々である。「明るい落葉樹林」は日本の里山風景によく見られる風景だからであろう。里山風景はそれで重要な自然環境の一つであり、その環境にとって「明るい落葉樹林」は重要な要素であるのは事実としても、それは「里山という自然の重要な要素」というだけであって、「明るい落葉樹林が自然を豊かにする」ことは誰も実証していないのではないか?にもかかわらず、自然に生えている照葉樹や針葉樹を用もないのに伐りまくり、なんの脈絡もない落葉樹を植えるなどという「自然改変」を平気でやろうとする人々がいる。なにしろ、「国家的環境イベント」であるはずの「愛知万博」あたりで平気でそんなことやっていたのだから、酷いものである。

多くの人が「自然を守りたい」という気持ちを持っているのは喜ばしいことだろう。しかし、自然を守るためには「何か行動を起こす」ことが何よりも偉いわけではないと私は思う。「自然のために良い」と思ってやっていることが果たしてどういう結果をもたらすのかということは、ちゃんと実証し、誤りがあればちゃんと正さなければならない。そういう科学的姿勢でもって自然に接しなければ、「納豆食べたら痩せると誰かがいったから納豆食べる」程度のことにしかならないではないか。まあ、「納豆食べる」くらいでは害がないからいいのだが、実際、海外のある地方で、頻繁に発生する山火事を「自然を守ろう」といって一生懸命消したら、そこの独特の植生が失われ、絶滅してしまったものがあったということもある。山火事でさえ、大事な自然の要素であったということだ。

むやみやたらに行動を起こせば偉いのではなく、そこにあるもの、起こっていることをしっかり見つめるということも非常に重要なことであると私は思う。見つめる、観察する、などという行為は、一見なにも労働していないように思えるので、日本ではバカにされることが多いと思うが、私は、そうではなく、単なる観察も、大変重要な行為だと思う。観察の方法をうまくすれば、非常に貴重な事実が得られることがあると思うし、その事実がどう行動を起こせばよいかを教えてくれる。だから、観察することに一生懸命になることも非常に意義のあることだと思う。(写真は、一週間前の千葉県の某所。暖冬のせいか、一月というのに紅葉がある。冬でも青々とした照葉樹があり、それはそれでとても豊かな森を感じた)Koyo20070114

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月12日 (金)

ツボカビ

恐ろしい事態になった。ニュースでご存知の方も多いかと思うが、昨年末、国内でツボカビ発生が初めて確認された。輸入カエルをペットとして飼っていたのが、大量に死んだので、調べたところ、ツボカビが原因と判明した。私はこの話をあるルートで年末に知り愕然とした。ついに来たか!という感じである。正式発表までオフレコということであったため、今になってようやくこの件について語れる。明日13日に緊急事態宣言が発表される。

ツボカビは真菌の一種だが、オーストラリアや南米では、すでにこのツボカビにより両生類が壊滅的な被害を受けている。絶滅したカエルもいる。水や土を介して感染が物凄い勢いで広まる。カエルがこのツボカビにおかされると90%が死ぬといわれている。厄介なのは、一度広まってしまうと、防除の方法がないということだ。

これは本当に大変な事態だ。私たちは何気なく、日本の風景の一部にカエルを見てきたのではないか?カエルの声を聴いてきたのではないか?しかし、今、それが壊滅的被害を受けるかもしれないのである。カエルだけではない。このツボカビはサンショウウオなどの両生類にも感染する。生きた化石といわれるオオサンショウウオも、これで絶滅してしまうかもしれないのだ。実際、南米ではカエルが壊滅的な被害を受けた地域で、とにかくカエルを守ろうと「箱舟」のごとく、何種類ものカエルを感染しないように隔離して飼育しているところがあるともきく。とにかく、カエルを始めとする両生類をことごとく絶滅に追いやってしまう可能性のある病気なのである。

カエルというのは生態系の中で大変重要な役割を果たしている。カエルを餌にする沢山の生き物、カエルが餌にする沢山の生き物があることはわかるだろう。そういう生態系の真ん中に位置するような生き物である。両生類は水と陸地と、その両方を利用して生きる。だから、水中も、陸上も、大変大きな位置をしめている。さらに、日本に生息するカエルをはじめとする両生類の数は世界的に見てもきわめて豊富であり、この日本がツボカビの被害を受けるということになれば、世界的損失でもある。

そもそも、なぜカエルツボカビが日本に上陸してしまったのか?今回、発生が確認されたのもそうだが、ペットである。ペットとして輸入したカエルと一緒に恐ろしい病気を持ち込んだのである。危険な輸入動物をペットとして飼うような野蛮な道楽が、何の疑問も持たれることなく野放しになっている日本の異常さを、この際、再度よくよく認識すべきである。一度ためしにペットショップに行ってみればいい。私など吐き気がするような光景が沢山ある。なんでこんな生き物を持ってきてしまったのか?と思えるような状況があちこちに転がっているのだ。そんな道楽のおかげで、結果として、恐ろしい病気を持ち込んでしまうのだから、酷いものである。

いずれまた、これが蔓延するようになってしまうと、死んだカエル、あるいは生きたままのカエルをそこらへんに捨てる大馬鹿野郎が出てくるんだろうが、どうせ捨てるなら綺麗に焼き殺してから捨てろといいたい。それでも、飼っていた水槽や水も捨てられたら困るのだ。そもそも、飼うな!買うな!売るな!である。本当にペットとして飼うことを趣味として(あるいは商売として)続けたいというのであれば、そういう人々がそれらの後始末も全部やってくれ!もし、絶滅するカエルがいたら、そのカエルたちをかえしてくれ!カエルだけではない、カエルを餌にする生き物、カエルが餌にする生き物も含めた生態系をきれいに元通りにしてかえしてくれ!それが出来ないのなら、飼うな、買うな、売るな!である。

はっきりいって、今の日本の異常なペット状況は日本の自然にとって脅威であり、今すぐに止めてもらいたい。全面禁止にでもしてもらいたい。今、飲酒運転で人を殺したら物凄い社会問題になるが、ペットを飼って野生生物を壊滅的な状況に追いやっても大して罪とは思わないし、だれも対策をマジメに考えない。そんな日本の状況ははっきりいって大問題。私ごときが全面禁止にしろというと、やれ、それで生活している人がいるとか、他人の趣味を奪うなとか、奇麗ごとを偉そうに言うやつがいるが、そんなもん知ったことか。ペット愛好者よ、あなたの罪の重さをよくよく認識することだ。あえて私は強く挑発する!珍しい外国産の生き物を飼って喜んでいる人々の罪の重さをこの際みんなあらためて認識すべきである。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年1月11日 (木)

エコロジーは生態学のこと

Seitai20070110 先日「生態学入門」(日本生態学会編~東京化学同人)という本に出会った。ちょっと専門書風なのでとっつきにくいかもしれないが、「高校生にもわかる」ことを目指して書かれたという本らしく、大変わかりやすく、かつ、非常に興味深い本である。

この本が出来たいきさつについて、あとがきなどに書いてある。私なりに要約するならば、こうだ。だいたい高校で習う生物というのにそもそも生態学が最後の方にチョロっと出てくるだけであり、ほとんどの人がまったく生態学の初歩も一生知ることがない、そういうことに危機感を感じ、この本が編まれたということである。考えてみれば、私は学生時代に「生態学」というのはまったく学ばなかった。大学は物理学方面であり、「生態学」には縁のない世界であったので、このあたりのことには頷ける。

最近、エコロジーという言葉を誰もが気楽に使うが、エコロジーとは本来「生態学」のことである。しかしながら、ほとんどの人は「生態学」を知らないというのは、ある意味、異常である。これからの世の中、エコロジーが大切というのなら、どうして「科学としてのエコロジーを学ぼう!」と誰も叫ばないのだろうか?これはおかしい。自然、生態系を守ること、地球にやさしいことが「エコロジー」だと多くの人は思っているようだが、はて?自然とは?生態系とは?いったいどうなっているのか?ということになんの疑問も感じないのだろうか?それよりもリサイクルがどうの、はては最近は環境ISOだの、あるいは「ロハスなライフスタイル」とかいうような耳障りの良い一種のファッションのような、私に言わせれば「どうでもいい」ことにひたすら力を注ぐ人々が多くて、いったいそれでいいのだろうか?

エコロジーは科学である。科学ということは、科学という方法論に裏づけされている確かなものがあり、そこで得られた成果を利用するというのが人間の知恵である。だいたい、現代の日本人のほとんどは科学が嫌いだろう。科学よりも「みのもんたが言ったこと」みたいな根拠の乏しいけれど、なんか役に立ちそうなことにすぐ飛びつく傾向があるから、それは世の中おかしくなってもしかたがない。だいたい、テレビなんか見てると、たいてい科学嫌い、自分で行動起こして実証することもなく偉そうなことだけ言うやつが出て、いいかげんなことを言いまくっているじゃないか。科学する姿勢というのは、自分で確かめること、何が正しくて、何が誤りかを正しく選別するための方法論である。このあたりは、私のおすすめ図書(散歩道プロジェクトのページで紹介している)の中にもある、「なぜ人はエセ科学に騙されるのか」(カール・セーガン著)あたりを読んでみて欲しい。

まあ、それはそうと、この本を読むには、ある程度の基礎的な数学的、科学的知識は必要だ。これは、気象予報士の勉強をしていたときにも感じたことだが、たとえば気象学というのは、物理学の基礎の上に成り立っている。物理学、特に流体力学とか、熱力学のことを知らないでいきなり気象学を勉強するというのは無理がある。同様に、生態学にしても、生物学の基礎があり、数学の基礎があり、その上に生物の生態としての観測事実があり、それで成り立っている。だから、そもそも、高校生に、物理や化学と平行して教えるというのは無理がある(気象学は私たちの頃は地学に入っていたと思うが、今から考えると無理がありすぎると思う)。これは当然のことで、数学、物理、化学というのは基礎的科学であり、気象学や生態学は応用の分野であるからだ。基礎を教えないでいきなり応用を教えるのは無理があり、だから、教える順番を間違っているのである。

Book20070110 この本にもちょっとした数式は出てくる。もっとも、「高校生にもわかる」を目指したらしく、それはやさしい表現にはなっていて、それが理解出来なくとも、おおよその内容はつかめるようになっている。ただ、正確に理解しようとしたら、ある程度の数学の知識がなければ、はっきり言って「無理」である。

私が説明するとどうしても気象学の話しになるが、天気予報などで、よく、「等圧線が狭いから風が強い」というが、じゃあ、なぜ強いのか?どのくらい強いのか?といったとき、「そういうもんだ」で済ますのか、「こことここの地点の気圧差が何ヘクトパスカルだから、気圧傾度力がこのくらい強くなり、このくらいの風が強くなる」といえるかどうかは随分違いがあるとは思わないか?数学を使うということはそういうことをいえるかいえないかの違いである。なにも、意地悪で難しい数学を使っているわけではない。

なんだか、話しが脱線するが、ただ漠然と自然を見るのではなく、こういう科学する目や、科学的知識もあった方がよりいろんな面で深くみることが出来、また、何が正しくて、何が誤りか?何は信用するに値して、何は信用できないのか?などということも判断出来るようになると信じる。

今、中学生の半分くらいが「天動説」だそうである。要するに、「地球はとまっていて、太陽や月が動いている」と思っているらしい。そういうことをきいてあなたは「なんと、いまの中学生はバカになったものだ」と嘆くかもしれない。しかし、じゃあ、「なぜ天動説が誤りで地動説が正しいのか?」という疑問にあなたは正しく答えられるだろうか?そのあたりを正しく説明出来なければ、どっちもどっち、あなたも天動説みたいなものである。

エコロジー、エコロジーといいながら、実際のところ、世の中ほとんどの人が「天動説以前」のレベルであると私には思えてならない。そのわりには、どこかできいたようなことをさも当たり前のように言う人がいかに多いことか。もっとも、それ以前に、身近な自然すら、これっぽっちも見たことがない人が多い。

ちなみに、この本「生態学入門」は「散歩道プロジェクトのおすすめ図書」からアマゾン経由で購入出来るので、興味のある方はどうぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月 9日 (火)

暖冬

Tambo20070107 この冬はまた記録的暖冬である。散歩道の田んぼの水溜りがまったく氷結していない。寒い日でも、谷底の日陰の部分でさえ、まったく氷が張っていないのであるから、これは異常である。

すでに、四国あたりからは、ニホンアカガエルが産卵したという知らせが届いてもいる。毎年、一番早いところで、1月中旬くらいには産卵の便りがあるが、今シーズンは12月から産卵の便りがあった。街中を見ても、梅がポツリポツリと咲いていたり、あるいは、ユキヤナギまでもポツリポツリと咲いていたりもする。

昨冬は大変寒い冬だった。北日本では記録的な大雪。冬鳥にも異変があった。昨冬が寒かっただけに、今冬は異様な暖かさに感じる。

先の週末に爆弾低気圧が日本付近を通過した。これは上空に深い気圧の谷があり、その北西側からは寒気が、南からは暖かく湿った空気が入り、それが混じり合って低気圧を発達させた。この冬はこういう天候が多いが、そもそも、これは通常は冬から春になる頃の天気である。そういうところからも今冬の気候が特異であることを感じる。

暖冬、暖冬というが、平均的な冬が平年並ということであって、それから気温が少し上にずれたり、少し下にずれたりすることは当たり前のことである。暖かい冬もあれば、寒い冬もあり、全体としてはあまり変わらないという前提で「暖冬」などといっているわけである。しかし、これだけ毎年のように暖冬が続くと、昨冬のように暖冬でない冬の方が異常に感じるようになってきてしまう。そもそも、平年値というのは30年平均であり、今現在の平年値は2000年までの30年間の平均(1971~2000年の平均)である。長い年月を経て気候が変化するとしても30年くらいはかわらないであろうという前提に基づいている。

地球温暖化というが、実際に、明瞭に極端に温暖な年が続けて現れてきたのは1990年以降である。そうすると、1971年~2000年の平均値である平年値も、前半20年と後半10年は随分と違う。これは実際に値をみてみればわかることである。

毎年、暖かい年があったり、寒い年があるというのは、気候変動という。しかし、その変動にだんだんと上昇するなどのある傾向があると、それは気候変化という。この言葉は現在は混同して使われている。有名なIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)を「気候変動に関する政府間パネル」と翻訳したあたりから、こうなっているかと思うが、IPCCのCはChangeのCで、これは本来、「変化」と訳すべきである。

まあ、それはそうと、この気候変動、温暖化でよく出てくるグラフにはいくつか問題点があることは承知しているし、CO2の濃度変化と温暖化に与える影響についてもよくわからないことがあることも承知している。ただ、いえることは、毎年毎年、日常的に周囲の環境、特に生物季節に注意していれば、変動しながらも、ある方向に急激に変化していると感じることがある。

変動は実際には複雑である。花の咲く時期をみても、寒いから全部遅くなるわけではなく、ある花は早くなり、ある花は遅くなどといったことが起きるし、まったく変化のないものもある。平均気温だけでは測れないものがある。昨冬は寒かったが、春に咲く花が異様に早いものがあったりもした。前年の気温とか、日照などといった複雑な要素がからんでいるのだろう。

気候変化は数値で見ることもできるが、実際、自然の中の変化で見ることも出来る。暑い寒いというよりも、自然物を見て感じる方がいくぶん敏感であると思うし、また、複雑でもある。今年はすでにオオイヌノフグリが咲き、ヒメオドリコソウも咲いている。去年開花を確認したのは2月に入ってからである。毎年、定点観測をしているとそういうデータもすぐにひっぱりだせる。Hana20070107

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

初詣でに思う

Hamaya20060106 今年の正月は久々にゆっくり帰省した。帰省先でも、恒例の初詣で。大晦日の紅白が終わって、「ゆく年くる年」が始まると、「さあ、いくべか」といって支度を始める。そして、歩いて5~6分の神社に初詣でにいく。帰省していく初詣では数年ぶりだった。真夜中から随分多くの人が参道に列を作っていた。

こちらに帰ってきてからも、いつものように散歩道のはずれにある神社にいった。いつものようにあがりこんで御神酒をいただいた。ずいぶん長居をした。いつものことだが、帰りには随分いい気分になっている。小さな神社だが、私がいつも散歩する散歩道の神社。いつも「お世話になります」という感謝の気持ちでお参りをする。

今年の初詣での人出は例年に比べても多く、9000万人という数字が新聞に載っていた。延べ人数だが、有名な神社仏閣の人出のおおよその数だろう。私の行くような小さな神社に初詣でにいく人は数に入っていないだろうから、ほとんどの日本人が何らかの形でお参りをしているということだろう。まわりを見ても「今年は初詣でに行かなかった」という人は少ないのではないかと思う。

時代とともに、お正月の過ごし方のスタイルは変遷すれども、お正月というのが日本人に欠かせない行事であり、初詣でというのもその中に欠かせない行事になっているのだろう。近年は交通機関が発達したこともあり、遠く有名な神社仏閣に出かけていくことも多くなったのではないか?そのことの是非はともかくとして、自分の住む土地にある神社仏閣のことを人々はどのように思って過ごしているのだろうか?とは思う。

戦後日本には「ニュータウン」という新しい文化が登場したと私は考えている。ニュータウンとは新しい街であるが、それまでの伝統や文化、あるいは村のしきたり、人々の繋がりといったしがらみから一切関係のない新しい街であり、それが人々に魅力的にうつったことだろう。そうして人々は田舎からニュータウンに移り住んできた。そこに来る人々はそれぞれまったく繋がりのなかった人々。そこに、過去のしがらみのない、夢のような世界を見た人もいたかもしれない。しかし、新しい人々は互いに干渉することもなければ、支えあうこともない社会である。本来、社会として長い年月をかけてつくられてきた、「あるべきもの」が不足し、それがいろんな歪みとなってよからぬ社会現象を生む。現代の日本の社会が抱える多くの問題を考えてみると、「ニュータウン文化」に原因の一端を見出すことも少なからずあるのではないか?

「ニュータウン文化」は、常に新しくなくてはならない文化でもある。昭和40年代頃に出来た初期のニュータウンは住民の高齢化が著しく、すでに街として成り立たなくなってきているところもある。「ニュー」でなくなった「ニュータウン」はその存在意義すらなくなってしまうのである。やがてそこはゴーストタウンと化すか、あるいは全てをリセットする。つまり、なにもかも取り壊し、新しい街へと変遷する。ニュータウンに住んできた人々の一生の生活の場もなにもかもすべてリセットしてしまうのだ。そうでなくてはやっていけないと、人々はそれを当たり前のことのように思う。現代の大量消費はなにも物質だけではないのである。

どうしてそんな世の中になってしまったのか?最初、私にはそれがよくわからなかった。随分前に、ある人からちょっとした話をきいて、それで少し納得がいったことがある。

日本では、いまだに「戦前」「戦後」という言葉が使われる。戦後生まれの私にはとても不思議であったが、それくらい「第二次世界大戦」という出来事は重大な出来事だったのだということだろう。戦後になって、人々の生活は一変した。戦時中や、それ以前のモノを全て捨てて、新しい世の中が生まれると誰もが思ったと同時に、それ以前のものはすべて「悪しきこと」「忌み嫌うべきもの」のように思うのも当然のこととしてあったのではないか?特に、戦争で全てを焼き尽くされてしまった後で、それ以前のことを思い出せといっても困難であるし、思い出したくない過去でもあろう。いまでこそ「伝統文化」といわれるものも、「古臭い」といって嫌ったことが沢山あったではないか?そうして、人々が望んだもの。それが、「ニュータウン文化」であったのではないか?

Bato20061223 散歩道の端に小さな馬頭観音がある。馬頭観音といっても、ただ「馬頭観世音」と文字が彫ってある石碑があるだけだ。だれが持ってくるのかわからないが、お供え物もほぼ絶えることなく置いてあるし、お供え物を置く台が壊れても、いつのまにか直っている。つまり、誰かがしっかりと手入れをしている。石碑をみると「天保」の文字が見えた。不思議なことに石がかけて馬の頭の形になっている。しかし、よくみると石に字を彫った後に欠けて馬の頭の形になったようでもあり、不思議だ。とにかく、このようにささやかながらも人々がお供えをし、守っているものがある。

私の散歩道周辺にもいくつかこのような石碑や祠などがある。ところが、ある日突然、お供え物がなくなり、まわりは草ボウボウになり、荒れ果てていくものもある。それは、長い歴史にピリオドを打ってしまった証である。誰も気に留めなくなり、やがて、そこにあったことすら人々は忘れてしまう。

私がいつも通る道すがらに、小さなほこらがあった。そこは小さな場所ながら常にお供え物がしてあったのだが、やがてそれはなくなり、いつのまにか屋根も傾いてきた。やがて草ボウボウになり、夏の間はそばを通っても存在すらわからない状態になる。夏のある日、何故か私はそこの写真を撮ろうと思った。そして、そばを通りかかったとき、そのあまりの悲惨な姿を見てカメラを向けることを躊躇した。それは私には重すぎた。長い年月、ささやかながらそこを守ってきた人々の気持ち、厳しい生活のなかでもお供え物を絶やさなかった人々の心。沢山の心がそこから消えようとしていた。そのことの重さを写真として切り取るには私は未熟すぎた。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

新年のご挨拶

Hiyo2006123001 昨年は、この散歩道ブログを立ち上げることができ、自分なりに、自然をみつめ、考える日々を送ることが出来ました。いつもこちらを見てくださったりコメントしてくださったりと、ありがとうございました。

昨年の末に、ようやく、自動撮影も一歩踏み出すことが出来ました。ことしはこの技術を駆使して、より深く見つめ、考えることが出来ればと思っております。

ことしもどうぞよろしくお願いいたします。

(干支にちなんだ写真ではありませんが、ご挨拶に相応しいかと思いまして...自動撮影ヒヨドリです)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »