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2006年12月17日 (日)

別れは突然やってきた

Kirikabu2006121703 先日、なんとなく胸騒ぎがしたのはこういうことだったのかもしれない。天気が悪かったり、いろんな用事があったりで、散歩道に出かけられなかった。といってもわずかに2週間ほど間があいただけだったのだが。ある夜、ふと、胸騒ぎがして、次の休みは必ず散歩道にいかねばと思ったのだ。

11月27日のブログhttp://sampomichipj.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_cccb.htmlに書いた木、私がここでいつも会話していた木が切り倒されていようとは...

考えてみると、この木は道むかって斜めに倒れかかるように生えていたために、邪魔だったのだろうと思う。この道はその奥への田んぼに作業にいくために、軽トラックが通る。そのため邪魔だったのだろうと思う。

誤解のないように言っておくが、私は木を切り倒したこと自体をどうこう言うつもりはまったくないのである。これこそ里山が里山として「生きて」いる証であると思うからだ。農作業のために、木を伐る。これは当然のことであり、もともと農地である里山が本来あるべき姿であると思うからだ。むしろ、木を伐ることで里山という自然が形成されているとはよく言われることでもある。ただ、そのことだけが一人歩きして、なんの必要もないのに無闇に伐る人々がいるということはおかしなことだと常々思ってはいるが...人の生活と自然がかかわりあいながら、そこに独特の環境が形成されてきた自然、それが里山ならば、人の生活が変われば、その自然も変わる。今、ここに暮らす人の必要性があって、この木は伐られた。だから、そのことはよい。それに、他の木も無闇に伐られているわけではない。この木だけが伐られたのであるから。

Kirikabu2006121702_1   切り株を見る。木が立っているときには幹は丸いと思っていたが、実際にはかなりいびつな形をしていたようだ。私は年輪を数えてみた。年輪と年輪の間隔は広かったり狭かったりと様々だ。広いところは意外というほどに広い。一年でこんなにも幹が太るのかと思った。年輪を一つ二つを数えてみたら、なんと私の年齢と同じであった。そうか、この木は私と同い年。私が生まれた年に芽を出し、それがこんなに大きくなっていたのだった。

ここにきても、もう私はこの木と会話することはない。しかし、やがて、この切り株から芽が出たり、この切り株にやってくる生き物がいることだろう。そして、この根元にいろんな花が咲くかもしれない。私はこれからもずっとここにきて、そんな切り株をずっと見続けようと思う。

先日、私はどうしてこの木のことをブログに書いたのだろう?それが少し不思議だった。何年も「散歩道プロジェクト」にこの場所のことを書き、数限りなくこの場所の写真を撮り、載せていたのに、とりたてて、この木そのもののことを書いたこともなかった。私にはずっと「気になる木」だったはずなのだが。

Kirikabu2006121704 道端に転がる伐られた木の残骸をしばらくじっと見ていたら、いろんなことが私の中でなんとなく繋がったような気がした。先日、この木の写真を沢山撮り、この木のことを散歩道ブログに書いたこと。この木の根元に帽子を落としたのに気付かず、ここを去ろうとして振り向いた時、夕陽のあまりの美しさに、何故かもう一度、あの木のところにいってみよう、もう少しゆっくりしていこう、と思ったこと。そして、ひきかえしたら、この木の根元に帽子を見つけて驚いたこと。帽子を拾って、この木が吹雪のように落とす大量の落ち葉をじっとみつめていたこと...

この木と最後に過ごした時間は忘れられない思い出となった。

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コメント

ー木と会話するーに撮られたあのコナラの木のことをいっているのですね。コメントの4のところまで、まるで、音楽のようにあの木といっしょになって木の葉のさざなみのようでした。
ー別れは突然やってきたー思わずこの切り株と倒された幹をみてなんども何日か前のあの木をみたりしました。なんと現実感のある現場描写だと思いました。
街の遊歩道のおおきくなった木もいっせいに切り倒されたことがあってその切り株を数えて「ここも、ここも、」といっていた自分を思い出しました。切り口はいつもなにか新しいことを
新しい力を生み出します。こうして命にふれて育つことができ
るのだなあと感じます。

投稿: 節分草 | 2006年12月19日 (火) 23時53分

そうです。以前「木と会話する」に出てきた木なのです。
「くねくね峠道」のまんなかにある木です。
伐られているのを見た時は、ちょっとビックリして、声も出ませんでした。
木に命を感じました。そこに横たわる残骸は、つい先日までそこにたっていたのだなあと。
こうして伐られる木があれば、これから芽を出し、育つ木もあることでしょう。それが命なのですね。

投稿: TAGA | 2006年12月20日 (水) 22時27分

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