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2006年12月29日 (金)

庭のヒヨドリを撮る

Hiyo2006122905s 庭にヒヨドリが毎日やってくる。いつも、同じところにとまっているのを見かける。いつもだいたい同じところにとまるので、その下には糞が沢山落ちている。毎日観察している妻が言うには、結構いろんな行動をするので、面白いらしい。時々ツガイできたりもする。私はいつも二階の窓からおそるおそる見るくらいだった。なぜなら、ヒヨドリにこちらの視線を察知されるとすぐに飛んで行ってしまうからである。鳥は空をとぶから、さすがに視力は相当に良いようだ。

ヒヨドリ以外にも我が家の庭にはいろんな鳥がやってくる。メジロ、シジュウカラ、キジバト、ツグミもやってくる。彼らはあちこちと動き回るのだが、ヒヨドリはいつも同じ場所にやってくるのだ。

先日から、なにやら怪しげな機械を製作していた私である。このブログでもそれとなく書いたりしていた。実はその機械というのは、自動撮影装置だ。

Sensor2006122901 一ヶ月ほど前から休みのたびに少しずつ製作していって、先日ようやく完成した。これは、赤外線の変化を検知するセンサーだ。物体はその物体の温度によってきまる波長の赤外線を出している。よく、テレビの実験番組などで赤外線サーモグラフィーという装置が出てくる。あれは、物体が出す赤外線の波長の違いで温度を検知しているわけだ。鳥や獣などの恒温動物は体温が周囲よりも高いので、短い波長の赤外線を出す。それを検知することが出来れば、そこに生き物がやってきたことが検知できる。検知と同時にカメラのシャッターを切ることが出来れば、自動撮影が出来るわけだ。

とりあえず部屋の中での動作確認は良好。今日は庭でテストをしようと思った。そのときに最初の被写体としてヒヨドリを選ぶことにした。なぜなら、毎日ほぼ同じ場所にやってくることがわかっているからだ。

朝起きて、一番に赤外線センサー自動撮影装置を設置してみた。もうすでにヒヨドリが来ていたが、ちょっとどいてもらって、カメラを設置させてもらった。Camera20061229

今回、レンズは愛用のSIGMA17-70mmF2.8-4.5DCという標準ズームレンズを使った。自動撮影ゆえ、望遠レンズではなくて、標準ズームで近くまで寄って写せる。このことは望遠に比べてかなりのメリットがある。望遠レンズで撮った場合、普通、背景をうまく入れることが出来ない。だから、撮った場所がどういう場所だったのかわかるように写すことは非常に難しい。だから標準で近寄って撮って背景をうまく入れたいのだが、鳥や獣は人が近づくと逃げてしまったりするので、その姿をしっかり写すことと背景も取り入れることはなかなか両立しない。

以前ここに書いた、「何を撮っているのですか?」に載せたトンボの写真。あれは標準ズームで寄れるだけ寄って撮ったので、背景の田んぼの風景が広く写って、トンボも大きく写っているのである。トンボを撮るだけなら望遠で撮れば綺麗に撮れるが、そうすると、こんな風に背景を広く入れることは出来ない。実際、このときのトンボとレンズの距離はわずかに10センチというところだ。トンボの習性を知っている人ならば、どうやって撮ったかはだいたい想像がつくだろう。

さてさて、そういうわけで、自動撮影装置をセットして、ひたすら待った。すぐにヒヨドリはやってきたが、カメラを警戒してなかなか近づこうとしない。すぐ近くの木の枝にとまってじっと様子をうかがいつつ、いったり来たりしていた。数時間後、ようやくカメラの前にやってきてくれた。撮影成功だ!飛び上がって喜びそうになるくらい嬉しかった。ヒヨドリはしばらくするとカメラにもすっかり慣れて、何度もやってきてくれた。

私は「散歩道プロジェクト」で、散歩道の生き物の姿を写真におさめたいとずっと思ってきたし、自ら毎週毎週歩き回っていろんな写真を撮ってきた。それは、そこにいる生き物のことを知らない人々に見せたいという思いでやってきた。だが、歩いて撮る写真には限界がある。そこで、一つの試みとして、こういう自動撮影装置を作ってみようと思ったのだ。散歩道の自然を自分の五感を使って感じながら、こういう技術も駆使しつつ、写真を撮っていきたいと思うのだ。

今回は、庭にいつもくるヒヨドリにモデルになってもらった。このヒヨドリは毎日くるので、その習性がだいたいわかっていた。だから、いとも簡単に撮れた。だが、どこでどうやって生活しているかわからない動物を撮ることは非常に難しいと思う。だから、少しずつ、一つずつ、かれらの生活を知ることから始めて、そして、撮影することによって、さらに知ることが出来るのだと思う。普通に歩いていただけではわからなかったことがわかるかもしれない。それは遠い道のりかもしれないが、なんとかやり遂げたい。私は何故散歩道プロジェクトを始めたのか?その原点を考えるとき、どうしてもやりたいことがそこにあるからだ。Hiyo2006122906s_2

とにかく、今日は、モデルになってくれた、このヒヨドリに感謝したい。

ありふれた鳥になってしまったヒヨドリ。畑の作物を食い荒らすといって嫌がる人もいるが、こうやってみるとなかなか凛々しくて、美しい。

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2006年12月26日 (火)

落ち葉はゴミか?(2)

先日、「落ち葉はゴミか?」というタイトルで書いた。あの大量の燃えるゴミにされた落ち葉を見たとき、どうすればいいかと考えて、まず、市原市役所のホームページから、「市長への手紙」を書いたのである。それで、市役所の方から電話を頂いて、そこで、いろんなことが判明した。それをもとに「落ち葉はゴミか?」を書いた。そして、今日、市長から直々に我が家に電話をいただいたのである。私は不在だったので、妻が市長とお話しさせていただいた。以下、妻からきいたそのときのやり取りの内容も含めて書く。

現在の市原市長は市原市の出身でもあり、「田舎育ち」と仰っていたが、幼少の頃、落ち葉の中で遊んだ経験から、やはり今の子供達にも落ち葉の中で遊んで欲しいと思う、とのことだ。だが、やはり、「落ち葉はゴミ」という人も多い。これからは、私の言うような「堆肥化」も含めて考えていきたいとのことだった。

私が直接話したわけではないので、やや不正確かもしれないが、おおよそそのような内容であった。これが実際にこれからどうなっていくか?ということもあるが、私にとっては、少し前進した思いだ。一人で声を大にしてもなんにもならないことが多いが、それでも、少しでも理解していただくことが出来るのだと思うと、大変嬉しかった。

落ち葉の処理、私が思うには、どうして落ち葉がゴミとなるか?その問題は以下にあると考える。

1.生物と生物が利用する物質の循環が一切理解出来ていない。おそらく、林業関係者であれば、落ち葉の役割も自然と理解できるであろうから、これは知識云々ということではなく、そういうことを経験として理解もできていないということだろう。まあ、庭木や花壇には化学肥料タップリでは理解しようもない。

2.環境問題というと、自分が思うところのゴミ(落ち葉もゴミと思えばゴミになる)を「見えるところから消す」ことで達成できると思っていて、その後、その物質がどう循環するか、知ったことではないというような感覚。というより、考えたことがない。

3.環境にやさしい=ゴミを分別することである、というような、思考停止とも思える行動パターン。本当に環境にやさしい生活とは何か?など、どうでもよく、世間一般が「良い」ということをすることが「良い」と思っている。

まあ、他にも色々要因はあると思うが、テレビで誰かが「これが健康に良い」といえば、すぐにスーパーに買いに行くくせに、「落ち葉を燃えるゴミにするのは環境に悪い」と私が言ってもなかなか理解してもらえない。

「落ち葉をゴミにする」このこと自体に私はこだわっているのではない。こういう行動パターンに多くの問題点が見えるから一つの例として挙げたにすぎず、世の中にはこういうことは沢山ある。いずれにしても、自分の目で見て、自分で考えて、それを行動にうつす、という基本的なことが出来ない人が沢山いることの表れ。「落ち葉をゴミにする」このことは、「落葉樹はゴミを落とす悪い木である」ということに繋がり、実際、そういう理由で木をことごとく伐ったということもあった。そのことを私が酷く非難したところ、掃除をする身にもなれといって、怒った人がいたが、それは大きな間違いである。掃除しなくてもよいところを掃除するのは無駄。さらに、それをゴミにして焼却炉まで運び燃やすのは、エネルギーの無駄。さらに、落ち葉を餌にし、分解する生物の存在も、そういう自然のサイクルも無視している愚かな行動である。それは、世の中どこもかしこもコンクリートで固めるという愚かな行動にも繋がる。

ただ、しいて言うならば、現代の街は、側溝に落ち葉がたまれば水が流れなくなり、アスファルトの上の落ち葉はスリップして危険ということもあるだろう。そういうことも全て考えた上で、例えば、

1.落ち葉を掃くべき場所

2.落ち葉をそのままにしておくべき場所

3.掃いた落ち葉を集める場所

などといった具合に区別して行動すべきだろう。それと、街づくりといった場合に、ただ、木を植えればいいということではなく、自然の循環を考えた上で、コンクリートの上に落ち葉が大量に積もるというようなことのないような街づくり、たとえば、落ち葉が落ちる場所は出来るだけ自然の土が露出するとか、側溝に落ち葉が溜まって流れが悪くなるようなことがないような工夫とか、そういうことを考えるのが知恵であり、都市計画などの専門家さんはそういうことも勉強してもらいたいものだと思うし、そういうことをマジメに考えていたら、いまの街づくりは色々問題があるのであり、それをなんの進化もさせずに、どんどん均質化した街を作ることは、なんの進歩もない愚かなことである。

そういうことがマジメに考えられていれば、こんな馬鹿な公園は作らないだろう。 いや、これはタイル業者の陰謀?タイル業者と開発する側の癒着の問題?Gaitochi20050923

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2006年12月24日 (日)

冬のアリジゴク

Arijigoku20061223 散歩道にあるアリジゴクの巣だが、先日いってみたら、上の土が崩れて巣はほとんど土に埋まっていた。かろうじて巣の形がわかるのが1つだけ。それもかなり小さい巣だった。いままで見てきて冬の間も巣の形をとどめていることが多かったような気がするが、どうなのだろう?

アリジゴクは成虫になるまで数年かかる。だから、何度か冬を越すわけだが、やはり昆虫であるから、冬は活動できずに休眠状態になるようだ。もっとも、巣の中で待ち構えていたところで、冬は餌となる昆虫もいなくなるのだから、休眠するしかないのだろう。その間に、こんな風に土砂崩れがあれば巣は消えてしまう。おそらく、巣の形が消えても、土の中にアリジゴクはいるのだろうが、休眠中なので、巣をもとに戻すことは出来ないのだろう。

では、何故土砂崩れが起きたのか?自然のことだから、理由はいろいろあろう。冬は乾燥するために、土がもろくなり、崩れやすくなるということもあるのではないか?実際、冬に歩いていると、このような小さな土砂崩れ現場をよく見かける。ここの土も乾燥して崩れてしまったのかもしれない。

先日ここを通りかかった時、不思議なことに、この上からどんどん土砂が流れてきて驚いた。自然に崩れ落ちてきているというよりは、なにやら誰かが土を押し出しているようでもあった。ある一点からだけ土が押し出されて落ちてくる。しかも、リズミカルに落ちてくる。ははあ、これは土の中に何かがいるな、と思った。モグラかもしれない。

Mogura20061223 実際、あちこちに、いわゆるモグラ塚が出来ているのをみることが出来る。モグラは冬でも活動しているようだ。もしかすると、このアリジゴクの巣の上あたりが、モグラの通り道になって、そのために、土砂崩れが起きた可能性もある。モグラは土の中の昆虫などを食べるのであり、アリジゴクを食べたかもしれない。

今、散歩道は本当に静かである。当然のことながら、昆虫はごくたまに陽だまりにハエなどを見かける程度。風が吹くと最後まで残った落ち葉がカサカサと音をたてて落ちてくる。あとは冬鳥たちの声が響いている状態で、本当に静か。ヘビやトカゲやカエルなどは土の中で冬眠しているため、姿を見ることは出来ない。しかし、その土の中でモグラがうごめいていたりと確かに生き物の気配はある。

以前は私も冬というのはピタリと静止している季節なのかと思っていたが、実際よくみると、秋から次の春にかけての連続した流れがあるのだなということを、毎年毎年感じることが出来る。静かに冬眠したり、休眠したりしながら冬を越す生き物達の中にも、わずかな動きはある。冬の散歩もまたいろんな発見があって面白い。

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2006年12月22日 (金)

落ち葉はゴミか?

Koen20061217 先日、一斉清掃デーということで、各家庭から一人、街の掃除にかりだされた。市のイベントときいていたのだが...

その清掃の終わった後に近所の公園にいってみたら驚いた。季節柄、公園に降り積もっていた落ち葉は跡形もなくなり、公園のそばには大量の落ち葉の詰まったゴミ袋。なんじゃこれは!!

あまりの馬鹿馬鹿しさに私はたいそう憤慨した。市のイベントときいていたので、市役所に言ってみたところ、今日、環境対策課の担当の方から電話があった。まず最初に言われたのは、これは市のイベントではないということ。確かに、我が市原市では「一斉清掃デー」というのはやっているが、それは年に一回、5月のみであり、今回のは町会で独自に行われたのではないか?とのことだった。まあ、それはよいとしても、その市の職員の方も首をかしげていたことがあった。それは、一斉清掃とは別に、各町会などでボランティア清掃が行われることがあるが、そこで出たゴミは市が回収することになっているので、市に届出があるはずだが、届出は一切なかったが、出たゴミをどうやって回収したんだろう?といっていた。さらに、市の方でお願いしている一斉清掃では、空き缶、空き瓶、その他のゴミを拾い、落ち葉は集めないでくれと、市の方からもお願いしているのだが、ということである。私の言っていることについては「仰るとおりだ」と言っていた。

これだけでは「仰るとおり」の意味がわからないだろうから、私が何を「仰っていた」か説明すると、土の上の落ち葉はそもそも自然に分解されてそれが木などの栄養分になるわけだし、たとえば落ち葉コンポストなどを作りそこに集めておいておけば、それが肥料にもなる。それを堆肥を活用したい農家の人や、庭に撒きたい人が自由に使えるようにしてはどうか?こうやって燃えるゴミとして出してしまっては、そのゴミを収集するためのCO2の排出だって増えるし、焼却すれば、それもCO2の排出を増やすことになる。わざわざ労力をかけて、無駄なこと、環境にやさしくないことをしている。それはいかがなものか?ということである。

今回の一斉清掃はそもそも市のイベントでもなければボランティア清掃というわけでもないという謎な上に、無駄なこと、さらに害になるというほとんど意味のないことである。しかも、きくところによると、一斉清掃に出てこない人には「罰をあたえろ」などという人もいて、村八分になるのが怖い人々はしぶしぶ従うというような、よからぬ社会現象(こういうのを大人のイジメというんだよね!)まで生じている始末。

さらに、

Gomi20061217 これは一斉清掃日のその日に撮った写真だが、ちょっと歩けばこんな光景がゴロゴロしている。どうせ一斉清掃するなら、普段みんないつも掃除している自分ちの前じゃなくて、こういうところに目を向けて、これをなんとかしようとするのならば、人々の環境に対する意識も変わるとおもうのだが...

人々の認識が変わらなければ、環境は変わらない。本当に地域環境をよくしようというのなら、一斉清掃に出てこない人に罰を与えるなどというイジメ社会を形成するのではなくて、こういう不法投棄をどうやったら防げるか、地域のみんなで方法を考えたり、少しでも片付けたり、そういうことに知恵を出すべきであろう。そのためには、まずは、身の回りで何がおきているのかをよく見るべきである。そうすれば、少なくとも、落ち葉を一生懸命掃き集めて、燃えるゴミとして袋につめて出すなどという馬鹿なことをやろうとは思わない筈だ。まあ、それでも、私のいっている意味がよくわからないのであれば、わかるように言ってあげよう。「市役所も困るようなことをやるなよ!」

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2006年12月20日 (水)

また一つ消える里山

Yama20061217 先日、偶然ここを通りかかった時、私には悪夢がよみがえってきたような気がした。十数年前に、この地にきてからというもの、ずっとこういう光景を見続けていた。最近はそれが一段落したようでもあったが、またこのようになっていく。もともと、この周辺は開発しつくされた感じであった。このあたりだけがわずかに残っていたのは知っていた。そばにわずかにのこった谷津田は、自然に親しめる公園といって宣伝しているのも知っている。しかし、そこを公園にするということは、実はこういう計画の裏返しだったのかもしれない。そこを残す、だから他は殺してもよいだろうということか。

何しろ、いまだ負債を16兆円もかかえている独立行政法人がやることである。16兆円といっても、あまりに大きすぎて想像がつかない。それが一つの独立行政法人が抱えているわけだ。それがまたこんなことをやっている。はっきりいって、民間企業ならとっくに倒産しているとは言い古された言葉である。倒産どころか、とうの昔に死んでいる。死んでブラックホール状態になって、まわりのものを吸い込みつづけてもまだ動いている状態。それをなんとかしようとあまりに無理やり存続させて(名前は変わったが)こんなことをやりつづけている。はっきり言うが、周辺には余った土地はいくらでもある。それをまず活用すべきではないか?そこが草ボウボウの状態で、何故にまた草ボウボウの土地を増やす必要がある?例のタイル張りの公園も、日陰のないアスファルトの遊歩道も全て同じ独立行政法人が作ったものである。そんなものは即刻解体して欲しいものである。

実は、このすぐそばに「あり得ない」くらいの大規模開発計画があったのだが、そこはバブル崩壊後に破綻が目に見えてしまったため(なにもバブルが崩壊しなくても、普通に考えても、あり得ないだろうというような馬鹿げた計画であったが)、開発をあきらめて土地を市に返上したところもある。まだあきらめきれない人たちもいて、何年も事業休止状態のままの場所もある。だが、ならばここはどうなのか?

まず計画ありきで、それがもともと国の計画であれば、その計画はおかしいからやめようと何故か言えない。そんなことがこういうところにありありと見える。少子化で、人口は減り始めた。宅地だって余っている。うちのまわりなど高齢化して、この先何十年かたったらゴーストタウンになってしまうのではないか?と思える。そんな状況はまったくかえりみず、高度成長時代そのままの、ニュータウン政策がいまだ続いている。長い間、そういうことが当たり前だったため、人々の目もそんな光景に慣れてしまったのか、誰も何にも文句をいわないじゃないか!それはまずいだろう。大規模自然破壊だといって、ダム建設やら海の埋め立てやらには注目する人も、こういうところにほとんど注目していないじゃないか。どこにでもありそうな里山だから、どうなってもいいのか?貴重な生き物がいるわけでなければ、大赤字だろうが、無駄に山を切り崩していいのか?

自然環境問題は人間社会の問題である。人間社会の問題は、人々の考え方や行動の問題である。そこに目を向けることが大事だろう。そこに目を向けないで、自然環境問題は語れないだろう。里山だって語れないだろう。なぜなら、それは人と自然との接点に生まれた環境、人の暮らしと自然との接点が里山だからである。何故に里山が危機的状況におかれているのか?里山にくらす生き物がおかれている現実とは?そのことを理解するためにもこういう現実をしっかり見るべきだ。私はあえて挑発する!

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2006年12月17日 (日)

別れは突然やってきた

Kirikabu2006121703 先日、なんとなく胸騒ぎがしたのはこういうことだったのかもしれない。天気が悪かったり、いろんな用事があったりで、散歩道に出かけられなかった。といってもわずかに2週間ほど間があいただけだったのだが。ある夜、ふと、胸騒ぎがして、次の休みは必ず散歩道にいかねばと思ったのだ。

11月27日のブログhttp://sampomichipj.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_cccb.htmlに書いた木、私がここでいつも会話していた木が切り倒されていようとは...

考えてみると、この木は道むかって斜めに倒れかかるように生えていたために、邪魔だったのだろうと思う。この道はその奥への田んぼに作業にいくために、軽トラックが通る。そのため邪魔だったのだろうと思う。

誤解のないように言っておくが、私は木を切り倒したこと自体をどうこう言うつもりはまったくないのである。これこそ里山が里山として「生きて」いる証であると思うからだ。農作業のために、木を伐る。これは当然のことであり、もともと農地である里山が本来あるべき姿であると思うからだ。むしろ、木を伐ることで里山という自然が形成されているとはよく言われることでもある。ただ、そのことだけが一人歩きして、なんの必要もないのに無闇に伐る人々がいるということはおかしなことだと常々思ってはいるが...人の生活と自然がかかわりあいながら、そこに独特の環境が形成されてきた自然、それが里山ならば、人の生活が変われば、その自然も変わる。今、ここに暮らす人の必要性があって、この木は伐られた。だから、そのことはよい。それに、他の木も無闇に伐られているわけではない。この木だけが伐られたのであるから。

Kirikabu2006121702_1   切り株を見る。木が立っているときには幹は丸いと思っていたが、実際にはかなりいびつな形をしていたようだ。私は年輪を数えてみた。年輪と年輪の間隔は広かったり狭かったりと様々だ。広いところは意外というほどに広い。一年でこんなにも幹が太るのかと思った。年輪を一つ二つを数えてみたら、なんと私の年齢と同じであった。そうか、この木は私と同い年。私が生まれた年に芽を出し、それがこんなに大きくなっていたのだった。

ここにきても、もう私はこの木と会話することはない。しかし、やがて、この切り株から芽が出たり、この切り株にやってくる生き物がいることだろう。そして、この根元にいろんな花が咲くかもしれない。私はこれからもずっとここにきて、そんな切り株をずっと見続けようと思う。

先日、私はどうしてこの木のことをブログに書いたのだろう?それが少し不思議だった。何年も「散歩道プロジェクト」にこの場所のことを書き、数限りなくこの場所の写真を撮り、載せていたのに、とりたてて、この木そのもののことを書いたこともなかった。私にはずっと「気になる木」だったはずなのだが。

Kirikabu2006121704 道端に転がる伐られた木の残骸をしばらくじっと見ていたら、いろんなことが私の中でなんとなく繋がったような気がした。先日、この木の写真を沢山撮り、この木のことを散歩道ブログに書いたこと。この木の根元に帽子を落としたのに気付かず、ここを去ろうとして振り向いた時、夕陽のあまりの美しさに、何故かもう一度、あの木のところにいってみよう、もう少しゆっくりしていこう、と思ったこと。そして、ひきかえしたら、この木の根元に帽子を見つけて驚いたこと。帽子を拾って、この木が吹雪のように落とす大量の落ち葉をじっとみつめていたこと...

この木と最後に過ごした時間は忘れられない思い出となった。

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2006年12月16日 (土)

格闘する私

Kosaku20061216 今日は一生懸命工作をしていた。先日の「ある野望」にむけて、着々と準備を始めているのだ。秋葉原にいったのは、部品調達のためだった。春には、コイツを使った写真をなんとか発表したいものだ。

久しぶりに電子部品と格闘した。工学部出身の私である。思えば、大学では似たような実験装置をよく作ったものだと、なんとなく懐かしく思った。でも、当時は器用な相棒がいて、私がアイデアを出すと翌日には完成しているという具合だったから、随分楽をしていたんだなといまさらながら思った。それと、大学時代は時間がたっぷりあったから、進み具合も速かったが、今は、わずかな暇をみつけながらやっているから、一つのことがなかなか完成しない。

自然を観察するというのは、五感で感じることがまず大切なことだといつも思う。そして、五感の延長線上にあるものとして、人々は道具を使う。鳥を見る人ならば、双眼鏡を持たない人はいないだろうし、小さな植物を観察する人はルーペを持ち歩くだろう。私はいつもカメラを持ち歩く。道具というのは、常に人間の能力の限界を超えた何かをするためにある。それを否定する人はいないだろう。自分の手や足や目や耳の延長線上に道具があるのである。今、私が作ろうとしている道具は私の目の延長線上にある。そして、そこで見たものを多くの人に見てもらいたいと思ってやっている。アイデアはいくつかある。それがうまくいくかどうかはやってみなくてはわからない。たぶん、色々と紆余曲折があり、失敗もあり、でも、それが少しずつ進歩させるだろうと信じている。そして、それがまた、私の五感にフィードバックされる。

今日、近所に買い物に出かけたら、また、里山が一つ失われようとしている光景を見た。このあたりでは珍しくない。はっきり言って、私が暮らすこの地は、四方八方、そういう現実に囲まれている。私の散歩道とて例外ではない。その現実を少しでもなんとかしたいと、私はまた強く心を動かされた。それが原動力である。今やっておかなければ、消えてなくなるかもしれない現実が私を突き動かす。その突き動かす力を感じることのない多くの人々の波、世の中の流れと、いつも私は心の中で格闘している。そして、現実に色んなことと格闘する。今は電子部品とも格闘している。

それにしても、今日は肩が凝ったぞ~。

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2006年12月14日 (木)

限りなく人工、限りなく均質

Akiba2006120902 先日久々に秋葉原にいった。以前はよく仕事帰りに秋葉原に寄ることもあったのだが、何年も前から職場が秋葉原からかなり遠くなったため足が遠のいていた。その間に「つくばエキスプレス」が出来たりして、秋葉原駅そのものが劇的に変化していた。数ヶ月前に数年ぶりに秋葉原を訪れたとき、駅で迷子になりそうになり、改札を出たら降りる駅を間違えたのかと思うほどだった。以前の秋葉原しか知らない人にとって、この写真が秋葉原駅前であるとは信じがたいであろう。もっとも、駅の反対側には昔ながらの秋葉原の風景も存在する。

ぱっと見て、これは都会のどこにでもある駅前の風景である。特に、新興の街であれば、こんなところは沢山ある。これはオフィス街の風景であるが、最近は住宅街でも、ぱっと見てどこだかわからない駅前風景は沢山ある。要するに、どこにいっても全部同じ。まるでファーストフードである。特徴を出すといっても、これにせいぜい奇抜なオブジェを設置してみたり、奇抜なデザインの建物を建ててみたり、そんな、あまりに無理やりに個性を出そうとして、不気味な街が出来上がる。まあ、もっとも、ノッペリと個性がないところに、無理やり個性を求めるものだから、無理やりに奇抜なことをやらねば個性もへったくれもなくなるのだろうが...

日本では、高度成長時代に、ニュータウンといって次々と街が「計画的」に作られいき、それが全国を均質化していったと思う。それはいまだに続いている部分もあるわけだが。何でもすぐに手に入り、普段の生活のために考えるエネルギーを最小限に節約しながら生きられる新しい街は、住めばそれはそれで楽なので、一度そういう生活をしてしまうと、あれやこれやとわずらわしい日常には戻れなくなる。八百屋にいって野菜を買い、肉屋で肉を、魚屋で魚を買い、酒屋で....というより、スーパーで全部、もっといくと、コンビニで24時間いつでも買える方が楽である。田舎町の隣の原野にそういう街が突如として現れ、どこからわいてくるのか人がやってくる。その人たちは、自分たちの住む街のこと以外はなんにも気にしなくて、とても快適な生活が送れるようになる。そんな新しい人々を最初は奇抜なものを見るような目で見ていた隣町の田舎の人々も、やがて、その便利でエネルギーのいらない生活に憧れるようになる。「いつかはオラの町も!」というのかどうだか知らんが、いつのまにか隣町まで均質化していく。

それはそれで、ある意味人間社会の当然の流れなのかもしれない。けれども、そういう街からの発想は危険をはらんでいるように私には思える。そういう街に加え、さらにマスコミが発達し、人々の考え方まで均質化する。まるで洗脳されているがごとき人々の考え。以前私はこういうのを「一億総ファーストフード化」といった->http://homepage2.nifty.com/7m3goh/iken02.htm

ところで、自然保護というと、「生物の多様性が...」などと言う人は多いが、多様化ということをどう考えているだろうか?といつも思う。生物の多様性が保たれるためには、生物の生息環境そのものが多様化していなくてはならない。要するに、いろんな場所があって、いろんな風土、いろんな気候、人々の生活とのかかわりも含めた多様性があってこそ、そこに適応したいろんな生き物が生きられるというものだ。多様な生き物がいればいいのではなく、多様な生き物が多様な生活をするための多様な環境が必要だということだろう。そのことを忘れてはいないか?豊かな自然というのはなにも人間の手つかずの自然が残されているということとイコールでもなければ、伝統的な風土ということともイコールでもない。均質なものの考え方でどこもかしこも同じにすることは、多様性を阻害することだ。そのことを今一度考えてみるべきだ。そうでなければ、一億総ファーストフード自然保護化になってしまう。それでいいのか?ということだ。たとえば、里山という概念は大事だが、かといって何でもかんでもひとくくりにするのもよくないと思う。ではどうすればよいのか?今一度考えてみる必要があるだろう。少なくとも「ドングリを植えれば自然が豊かになる」などといった馬鹿げた考えはやめたほうがいい。

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2006年12月12日 (火)

新巣材

Su20061210 先日、ムクの木に鳥の巣を見つけた。ムクの木だからムクドリかと思ったが、そうではなく、どうやらヒヨドリの巣の残骸と思われる。巣はかなり人通りのある場所にあった。今は葉がおちたので、こうして巣が目立つが、ここで子育てをしている時はおそらく葉が生い茂っていたため、目立たなかっただろう。

よくみると、ビニールの紐が巣材に使われている。街に近い場所であったので、このような素材が手に入りやすかったのであろう。

以前、我が家のビワの木にもヒヨドリの巣がかかっていたのを発見したことがあるが、その時もこのようにビニールの紐がふんだんに使われていた。この紐は荷造り用などに使われる紐だ。あの紐は手で簡単に引きちぎれるし、かなり柔軟なので、巣材としては適しているのだろう。じゃあ、その紐の屑を探して来いといわれても、なかなか見つけられるものでもないと思うのだが、やはり鳥は上空から見ているだけあって、よく見つけるものである。しかも、それが巣を作るのに適した素材であることを、よく知っているものだと関心する。

コンクリートだらけの都会では、普通の巣材を見つけるのも困難かと思うこともあるが、それなりに代替物を見つけるあたり、都会の生活に適応していく鳥たちのたくましさを感じる。それで、ビニールの巣から巣立った鳥は、やはり、天然素材より、ビニールの巣が心地よいと思うかもしれない。まあ、実際のところ鳥にきいてみないとわからないが、新世代の都会の鳥はそういうかもしれないよ。

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2006年12月 9日 (土)

ある野望

Yabo20061209 ある人にこの計画のことを話したら、「ついていけないかもしれない」と言われた。しかし、何故、私がそういうことを計画しているかを説明したらわかってもらえたようだ。

この写真を見て、わかる人にはわかるかもしれない。私も技術屋の端くれであるから、やるからにはしっかりと技術の研究をし、納得のいくまで追求したいと思う。時間がかかるかもしれないが。

散歩道プロジェクトを始める前は、そこに大好きな自然があり、そこを歩くこと、それを眺めること、それだけだった。せまってくる危機感のようなものを感じながら、どうにもならないもどかしさを感じていた。WEBというものを手にし、ほとんど誰にも知られていない身近な、しかしとても複雑で豊かな自然というものを、WEBを通して多くの人に知ってもらうことをやろうと、始めたのだった。それは、多くの人に知ってもらうどころか、自分自身が知ることのきっかけでもあった。ただ漠然と歩いていては知り得ないことが沢山あった。そして、多くの人に少しはここの自然を知ってもらえつつある。私のフィールド、「市原市瀬又」という場所は、ほとんど誰もしらない場所だった筈である。今、検索サイトで「市原市瀬又」とか「瀬又 谷津田」で検索してみて欲しい。

珍しい植物や動物、鳥、昆虫などを見るためにいわゆる「名所」のようなところがある。そういうところに多くの人が遠路はるばる集まる傾向がある。その人たちは何を見ているのだろうか?といつも思う。身近なところに、身近な様々な生き物がいて、その多くが今、危機に瀕しているという状況をその人たちは見ているだろうか?いつも目にしている身近な場所に生きる身近な生き物たちがどういう生活をし、どういう現実に直面しているのか?それを見たことがあるのだろうか?見ようとしたことがあるのだろうか?

今年は私の撮りためた「散歩道」写真を、写真展や地元の文化祭で多くの人に見てもらう機会があった。その時に「へえ、こんな場所があるのですか?」という反応、「これは、どこですか?」という、我が家より撮影現場に近い場所に住んでいる人からの反応があった。そういう人に、そっと撮影場所を教えると、驚かれた。これは私の意図したとおりである。身近な自然、気付いていない自然に気付いて欲しいからである。ある意味、それが「散歩道プロジェクト」の一つの目標。反面、「○○なら、××公園の方がきれいだよ」というような刺激的な(?)反応もあった。そういう人々の反応を見て、次に目指すものはこれだと思ったのである。

私はへそ曲がりなので、多くの人が「こっちだ」という方向には進みたくない。だいたい、行列に並ぶことからして嫌いなのである。そういう私の態度に反発する人もいることは知っている。だが、それは必要なことなのだ。自然を日々見て考えていると、ごく当たり前に人々が言っていること、正しいと思っていることに疑問を感じることも多々ある。今の日本、誰かがどこかで言ったこと、それが事実かどうか誰も確かめることもなく、その「誰かが言ったこと」だけが、あたかも事実であるかのように一人歩きすることが多い。そこに批判的な目を向けなければ、真実は誰も知りようがない。一人歩きする言葉にみんなして誤った方向に向かってもよいのか?だから、誰もがやらないこと、誰にも出来なかったことをやってみせて「どうだ!これが××公園にあるのか?」とか、「あなたの言っていることは本当か?では、この写真を見よ」などと言ってやりたいのである。自然を知ることは、ある意味、科学することであり、科学することの意義は、わからなかったこと、知らなかったことを知ることである。そのために技術を使うことは正しいと思う。

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2006年12月 2日 (土)

くねくね峠道

Kunetoge20061202_1  私が「くねくね峠道」と名付けた道がある。これは私が勝手にこの場所につけた名前だ。最初は、この峠道がある谷を「くねくね谷」と呼んでいた。それは、谷の斜面がくねくねと曲がっているからである。この斜面にそって道があり、複雑な地形にそって、くねくねと曲がりながら、いくつかの起伏をこえていく。これが「くねくね峠道」だ。峠といっても、その高低差はわずかに10mくらいの小さな起伏だ。

いつしか、私にとって「散歩に行く」ということと、「くねくね峠道に行く」ということは同じ意味になった。散歩に出掛けて、この「くねくね峠道」にいかない日はないからだ。もともとは、この谷は谷津田、つまり、谷には田んぼがあり、その谷奥の田んぼに行くためにつけられた道だろう。農機具を積んだ軽トラックが通ることもあり、それなりの幅がある。他の谷津田にもこのような谷奥に延びる道はあるが、それは大抵は田んぼにそった平坦な道である。ところが、ここは谷の斜面が複雑に「くねくね」と入りくんでいるために、その「くねくね」といりくんだ小さな尾根を越えて、このような峠道となったのだろう。

Kunetoge2006120201 この峠道はほぼ東西に、東から西へ伸びている。夕方、この峠にくると、峠の向こうから夕陽が射しこむ。道は両側が木に覆われているから、峠道には木々の長い影ができる。峠の頂上までくると、明るい谷の景色が広がる。

道のまわりの木はほとんどが、クヌギやコナラなどの落葉樹なので、冬になり、木々が葉を落とすと、明るい道になる。カサカサと乾いた落ち葉を踏みながら峠を越えていく。

Kunetoge0408_2やがて春がやってくると、峠を越えたあたりの斜面にあるヤマザクラが花をつけ、明るく乾いた冬の峠道に春がやってきたことを告げる。しばらくすると、淡い緑色の新芽があちこちから吹き出し、そして、まわりの藪の中では、小さな春の花たちが可憐な花を咲かせる。

Kunetoge0505 田植えの時期になると、峠道はすっかり緑になり、木々の葉が峠道に影をつくる。やがて、薄暗く湿った木のトンネル道になっていく。薄暗いトンネル道の中では、様々な花が咲く。ニガナの小さな可憐な黄色い花が道端一面に広がる。ゆらゆらと揺れる木漏れ日に、黄色いニガナがゆらゆらとゆれ、キラキラと黄金色に輝いているように見える。

そのころになると、この谷はサシバの子育ての谷となる。上をみるとピックイーと鳴きながら飛ぶサシバ。そして、田植えの終わったばかりの谷の田んぼはキラキラと輝き、シュレーゲルアオガエルの「カカカカッ、ココココッ」という声が合唱になり谷にこだまする。

初夏の頃、斜面にはヤマユリ。あたり一面がユリの清らかな香りにつつまれ、大輪の美しい花をみることができる。やがて、セミ時雨につつまれ、すっかり暗くなった峠道は生命のエネルギーがあふれる。

Ochiba20061112 いろんな季節、いろんな天候に、この峠道を歩き、私はいろんなことを感じた。ほとんど人が歩いていない峠道。一人ぼっちで、いろんなことを思い、いろんな生き物たちに出会い会話する。時々、人と出会うこともある。不思議な出会いもある。

この場所は、少しずつ変化してきた。私はずっとここを歩いて、その変化もみつめてきた。そして、これからもずっと見つめていくだろう。

今日の夕方、いつものように、この峠道にいった。峠を越えたところで、しばらくじっと木々を見つめた。パラパラと降ってくる落ち葉を見つめた。時折、風がビューッと吹くと、吹雪のように落ち葉が斜めに降ってきた。しばらく、一人そんな時間をすごし、そろそろ帰ろうかと、再び峠を越えてもどったところで、振り向いてみると、紅葉が光り輝いているのに目を奪われた。何故かまた戻って、日が暮れるまで、あともう少しその静かな時間を過ごしてみたい気になった。どういうわけか、私は峠道を引き返し、もとの場所に戻った。すると、そこには私の帽子があった。私は帽子を落としていたのだが、気付いていなかった。戻ろうとした私に「落としたよ」と、「くねくね谷」の誰かがそっと教えてくれたような気がした。

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