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2006年4月24日 (月)

自然は空間であり時間である

以前、といってもわずか数年前だが、私の愛する散歩道フィールド周辺に大規模な開発計画があった。今は休止状態である。私はこの休止状態という時間を有効に使いたいと思っているのである。以前、その時の環境影響調査報告書というものにぶちあたったことがある。「まとまりのある自然環境との調和」などという言葉を使いつつも、結局は開発のための報告書であり、その「自然との調和」という言葉は、一種のアリバイ工作のように思えた。なにより、貴重種といいつつも、私がそこで観察した種とはかけ離れているように思えたし、おかしいのは「工事区域内に貴重種があった場合....適当な移植場所に移植」などと書いてあった。

貴重種=点である。自然は空間であり、時間の流れである。これは、私はよく自然は五感で感じるものと言っているが、これは空間を感じ、時間の流れを感じるということ、すなわちそれが自然を感じるということではないか。自然を守るという時、点を守ることが大事なのではなく、空間、時間を守ることであろうが、日本ではまだその認識がほとんどないように思える。それは例えば、かつては「天然記念物」であるとか、最近の言葉でいえば「絶滅危惧種」という言葉はよく耳にするし、それを「守る」ために云々とは言えば、みな納得する。しかしながら、単なる里山、谷津田を守るといった場合、どうもピンとこないのではないか?そこに「こんな絶滅危惧種が生息する場所」といって、やっと納得する。納得したはいいが、それじゃあ「移植しよう」という話になる。それはいったいなんのためなのか?

私は自分の散歩道フィールドを歩いていて、そのなかの、本当にまわりが360度、人工物がなにもないところ、そんなところを歩いていて、物凄く心に響く瞬間がある。立ち止まって目を閉じて、まわりの音をきいたり、木々の葉の間から見える空を眺めたり、その瞬間に私が生まれるずっとずっと以前からの時間の繋がりや、生き物たちの変遷などということに自然と思いがいく。いまここで飛んでいるチョウは、かつてもっと沢山飛んでいたかもしれないし、あるいはここにはまったくいなかったかもしれない。人々はここで木を切り、薪をとり、あるいは山菜を採り、生活の糧にしていたかもしれない。ここにはもっと沢山の花が咲き誇っていたかもしれない。そこからずっと続く時の流れのなかでこの自然があり、私はその中にいるのだと。私はなんだか未来からそこにポツリとやってきたようでもある。風景はとてもゆっくり変わっていく。ただ、私はそれをほんの少ししか知らない。その空間に身を置いて、それを感じとる自分がいるのだけれど、私が感じていることはこのまわりの空間であり、今も流れるときの流れである。ただそれだけだ。だが、ただそれだけのことも「無」にし、無視して破壊するか、あるいは、「点」にだけ気をとられ、ただそれだけのことを見ることもないのか。

かつて人々がもっと身近に自然に対峙して生きていた時、それはごく当たり前の感覚だったのではないかと思う。知識ではなく、経験と知恵で自然に対峙してきた。最近はエコロジーといい、生態系云々というが、それは自然の一つの面を言っているにすぎず、生態系=自然では決してない。もっといえば、そこにある自然を見ずして生態系もエコロジーもくそもあるもんか。自然は点でも貴重種のためにあるのでも生態系のためにあるのでもなんでもなく、そこにある空間、そして時間の流れだ。以前書いたが、人間が自然を自分の都合の良いようにコントロールしようなんて浅はかすぎるし、無理なことだ。どんな形でも、そこにある自然を見て、それに正面から向き合う。それが大事だと思う。もっとも、そんなこととはまるっきり関係のない生活をしている現代人が大多数であり、そんな現代人が人の世を動かしている。それは、かつて不幸な戦争に向かって誰も疑問を持たずに突き進んだようなものを感じてしまう。私は今、エコロジーという言葉が氾濫することに、同じものを感じてしまうのだ。

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コメント

海亀さんも「天然記念物」で一応「保護」されてるんですけど
・・・何だか・・観光に利用されているっていう感じもあります・・。
よく町会議員さんが「観光の目玉」と言うんですけど
経済効果しか考えてないなぁ~
と言うより、利用して経済効果狙うのがどこが悪いって感じです。
そんなんで良いんでしょうか????
例えば「クマガイソウの里」で売り出すとかです・・・。

投稿: ふるやのもり | 2006年5月 1日 (月) 12時28分

確かにそうですね。そうなると、「観光の目玉」つまり、お金になればいいけれど、お金にならない自然はどうでもよくなってくるのですね。これが困ったものなのですよね。
以前、ちょっと書いた、白鳥は観光の目玉になるけども、それ以外の鳥はどうでもいいというような、あれは、「白鳥に餌をやろうにも、他の鳥がほとんど食べてしまって...」という新聞記事でしたが。
そうなると、クマガイソウは観光の目玉になりそうですが、そうすると、お土産にクマガイソウとか、よろしくない方向に行きそうだし。そもそも、マムシ、スズメバチ、クマ...なんていう人間に危害を加えそうなものは「害」として駆除されそうだし。多少なりとも自然のことを考えたら、「さてこれはどうしたものか?」と悩むと思うんですが、「観光の目玉」なんて言ってる人は悩みもしないでしょうね。悩むとすれば、「観光の目玉なんてとんでもない!」と異を唱える人をどうやって負かすかということくらいでしょうねえ。

投稿: TAGA | 2006年5月 1日 (月) 22時38分

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