散歩道には沢山の花が咲く。特に、春から初夏にかけては、次から次へと色んな花が咲き、自分の記憶の中にある花カレンダーを思い出し、「ああ、そろそろあれが咲くころだ」といっては花の様子が気になる。数ある中でも、ラン科の花は格別だ。
大雑把に言えば、ランはラン菌根菌という菌の助けを借りなければ発芽することが難しい。極端なものになると、菌から栄養分をもらわなければ育つことすら出来ないものもいる。
要するに、土壌の菌が元気でなければランも元気に育つことが出来ない。土壌の菌が元気であることは、ごくごく大雑把にいえば、枯葉や朽木、あるいは、昆虫、動物の死骸といったものが土に落ち、それが菌の餌になるわけであるから、そういう自然のめぐりがしっかりと生きていることが大事なのである。だから、そういう自然のめぐりの中のごく限られた部分がランの花となって開花している、そう思えるから、余計にランに魅かれる。
もっとも、自然の中の生き物は、多かれ少なかれ、目に見えない生き物も含めて、他のいろんな生き物と、複雑にからみあって生活しているのであるが、このランたちはある意味、自然の生命力のバロメータのような気がする。
しかしながら、多くの人はそんなことは知ることもない。ランといえば、なにか高級で、栽培が難しい植物と思っているくらいだ。道端に咲いていれば、高価なものが落ちていたという感覚で拾っていく人もいれば、それを持って帰って売る人。売っているのを買う人もいる。その花を咲かせている自然の力、そのすばらしさ、などというものは一切感じることもなく、単に「綺麗だ」というだけで花に接する人々だ。
実際、これらの里山の蘭たちは、特に、道端などの目立つ場所に生えていると、かなりの確率で盗掘にあうことは、見ていればわかる。葉がでただけの段階では、かなり大丈夫だが、つぼみをつけたり、花が咲くと、根こそぎなくなる可能性が高くなる。
まず間違いなく、盗掘されたものは花が終われば枯れて、それっきりになるだろう。それは、複雑な生態系に組み入れられている「生きた」土壌がなければ生きることが出来ないからだ。それを植木鉢のような閉じた場所に再現することは相当困難なことだ。
中には、一生懸命、人工栽培方法を研究している人がいて、かなり手をかければ栽培は可能なのかもしれないが、自然に生えているものを盗掘した人が、それを栽培する手段を一生懸命研究するというのは、いかがなものかとは思う。(もっとも、自然に対する理解を深めるという意味で、栽培方法を研究するというのはありだとは思うが)
一方で、このような盗掘を憎み、純粋に自然の中の花を愛する人々も沢山いる。そして、盗掘する自然破壊派との戦いも生じている。見つけても決して場所を教えない。しっかりと監視する。盗掘禁止の立て看板を立てる。生息域を立ち入り禁止にする。などなど、ありとあらゆる方法で守っている人々がいる。そうやって守らなければならない現実がある。
私も何度も悔しい思いをした。ツボミをつけているのを見つけ、そろそろ花が咲いているだろうと行ってみると、跡形もなくなっている。根こそぎ、消えている。そのたびに、本当に腹が立った。自分の子供が連れ去られて、探し回る親の気持ちだ。それは、毎年何度も味わっている。それぞれの花の季節に、必ず一度や二度は味わう。本当は、そういうことがあると、このブログでも怒りをぶちまけたくなるが、そのたびにいちいち怒っていては、体がもたないくらいだ。私は、そのたびに、どうしたら盗掘がなくなるのだろうか?と一生懸命考えるのである。
秘密にしておくこと、も、ある程度は有効かもしれない。しかし、盗掘する方も、我々が見つけたのと同じように探し回っているはずであり、また、一度、生息場所を見つけられてしまったら、もう意味はなくなる。監視したり、立て看板を立てたり、立ち入り禁止にしたり、それもある程度は役に立つだろうが、特定の場所は守られても、全てをそのようにして守ることが出来るわけではない。
盗掘が起きる原因の一つには、世間一般の「花」に対する意識の問題があろう。花屋で売られている花と、自然の中に咲く花は何がどう違うのか?きれいな花が欲しければ、花屋で買ってくればいいじゃないか。それなのに、何故、盗掘しなければならないのか。そこに現代人のおかしなおかしな自然観の問題を見る。
花を守る方も、一歩間違えば、五十歩百歩のおかしな自然観におちいってしまう。公園に綺麗な花を植えて、それを大切にするという感覚と同じ感覚ではまるでダメ。自然の力で生きているものに、選択的に力を貸すことだけにとらわれてしまう。それは、花が綺麗であればよく、他の邪魔なものは排除するということになる。極端な話し、花を守るために農薬なり殺虫剤を吹きかけるなどという馬鹿げたことすら行って平気になる。それじゃあ、畑の作物と同じ、お花畑の花と同じ。私はそんな花はどんなに綺麗でも見たくないのである。いや、そもそも綺麗だとは思えない。せっかくのものを台無しにしていることに気付くこともない人がいる。
今年、オオバノトンボソウが沢山芽を出していた。それを見て、今年は好調だと思った。いつもより、沢山の花が見られると。しかし、それは逆にいえば、彼らを目立たせてしまったのかもしれない。今日、愕然とした。
目立たない場所の1株を除いて、全て消えてなくなっていたからだ。
花を見ることは出来ても、自然を見ることが出来ない人が多すぎる。
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