2019年5月19日 (日)

アカガエルの最後の生き残りの悲しい結末

季節は一気に進んだ。緑も淡い色からすっかりと濃くなってきた。散歩道に入るとマユミの小さな花が出迎えてくれた。Mayumi2019051901

遅くに水が入り田植えが終わった田んぼはキラキラと輝いている。Tambo2019051900

よく見ると、すでにアマガエルのオタマジャクシが沢山泳いでいる。Amagaeru2019051902

単なるオタマジャクシ。だが、これを見て、これがアマガエルのオタマジャクシだとちゃんと認識できる人がどれだけいるだろうか?田んぼにはオタジャクシが泳いでる。しかしそれは、ニホンアカガエルでもアズマヒキガエルでもなく、アマガエルのオタマジャクシだ。ニホンアカガエルのオタマジャクシや、アズマヒキガエルのオタマジャクシがこの周辺ではどんな生活をしているか知っている人がどれだけいるだろうか?

アズマヒキガエルのオタマジャクシの話は先週書いた。半分は死んでしまった。半分はもう上陸した。だから、もういない。ニホンアカガエルのオタマジャクシたちは、あと一ヶ月くらいはオタマジャクシのままだ。そのあいだ、水が涸れなければ生き延びることが出来る。

Tambo2019051902

唯一残されたアカガエルのオタマジャクシの生息地に行こうとすると、ほんの一週間前とは違う風景が広がる。草がどんどん伸びて、歩くのが困難になるほどだ。その草をかき分けて進むと、最初の生息地がある。ここは田んぼわきの水路の途中にある大きな水たまりだ。Mizutamari2019051901

水はたっぷりある。これなら安心だ。水の中を見ると、先週見たときと比べて、オタマジャクシはずいぶんと減った様子だ。Akagaeru2019051902 しかし、しっかりと育っている。あと一ヶ月、無事に育ってほしいと思う。

しかし、よく見ると気がかりなことがあった。ここは水路を通って上流から水が供給されてきている場所なのだが、どうやらその上流の水路が干上がっていて、水が供給されてきていない様子だ。そうなると、このさらに下流にあるアカガエルの最後の生き残りのもう一ヶ所は水が涸れてしまっているかもしれない。このところほとんど雨が降らなかったし、気温も高く、蒸発する水も多かっただろうから水量が減っているのだろう。

とても心配だ。それでも、もしかしたら、この下流にもしっかり水があって、オタマジャクシたちがしっかり生きているかもしれないと、一抹の望みと、半々な気持ちで恐る恐るその下流の生息場所に行ってみる。

あ、、、

ダメだ。水が涸れている。愕然とする。Akagaeru2019051901

先週までオタマジャクシが泳いでいた水たまりの水が干上がっている。そしてハエが飛んでいる。ハエはオタマジャクシの死骸に集まってくることがある。

ついに、この場所で、今年、アカガエルは育つことが出来なかった。去年までは、水路から漏れる水が供給されて水が涸れることがなく、無事にカエルにまで育った場所だ。しばらく、この周辺を見て立ち尽くす。Tambo2019051903

本当に単なる平和な休耕田の風景でしかないこの場所で、アカガエルが最後の最後に命をつなぐことが出来なかった。ついに、水路の途中の水たまりの一ヶ所だけになってしまった。

記録用紙に黒い字で「5月19日死滅」と書き入れる。

そして、本当に最後の一ヶ所となってしまった水路の途中の水たまりに行って、アカガエルのオタマジャクシを眺めていたら、思わず声が出た。

「早く育ちなさいよ!みずが涸れないうちに元気に育つんだよ!」

そうして我が子のようにオタマジャクシを見つめていた。

この場所でこんなことが起きているとは誰も知らない。誰も無関心だ。だから、私はずっと見続けている。最後まで見届けたい。Akagaeru2019051903

今日は今日の悲しい結末。毎年、毎年、こんな思いをする。でも、だからこそ、毎年、毎年、見続けているのだ。

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2019年5月12日 (日)

悲しみも喜びもカエルとともに

Sampo2019051201 ゴールデンウィークが明けてすっかり緑は濃くなった。今日は涼しいが、このところ、気温の高い日も多かった。ウグイスやシジュウカラのさえずりが賑やかな中、とにかくカエルたち、すなわち、オタマジャクシの様子を見に行く。

 ことし初めてヒキガエルの産卵があった場所が2か所ある。一ヶ所は先週時点ですでに足が生えていた。Hikigaeru2019050601 上陸寸前である。こうなると数日で一斉に上陸するからたぶんもう今日は散り散りに上陸していって、お目にかかることはないだろう。ヒキガエルの成長は本当に早い。

しかし、もう一ヶ所は先週時点でまだ足が生えていなかった。Hikigaeru2019050602

私の観察では、ほぼ同じ時期に産卵している。成長の早い方は日当たりがよく、水温が高いので早く成長したのだろう。成長が遅い方は、谷からの湧き水が流れているところで水温も低く、周りが背の高い草に覆われているので日当たりも悪い。それで、成長も遅くなっているのだろう。

そして、今日、まずは成長の遅かった方のオタマジャクシを見にいった。しかし...

Hikigaeru2019051201 オタマジャクシの姿が見当たらない。

一週間前にまだ足が生える様子もなかったから、上陸してしまったとは考えにくい。

オタマジャクシが移動するということはよくあるので、少しまわりの水路を見てみることにした、すると....まさか....

Hikigaeru2019051302

それは、おびただしい数のオタマジャクシの死骸だった。これは、明らかに水が涸れて干上がってしまったことにより、死んでしまったのだ。この水路は湧き水が流れているので水が涸れないと思っていたのだが、気温の高い晴れの日が続いて、干上がってしまったのだろう。

なんと悲しいことか。数百匹のオタマジャクシが全滅した。この状態だったら、あと2週間、水が涸れずにあったのなら、彼らは無事上陸できたはずだ。

私はずっとこうやってオタマジャクシを見てきたので、こんな風景は数多く見てきた。特に、ここ10年くらいは、こうやって水が涸れて死んでしまうことの方が多くなり、そして、オタマジャクシの数がどんどん減っていくのを目の当たりにしてきた。こんなに水が豊富に流れていて安心だと思っていた場所がこんなことになるなんて、悲しい。

悲しい気持ちで、こんどはこの周辺で唯一になってしまったニホンアカガエルのオタマジャクシを見に行く。Akagaeru2019051201

こちらは、水が涸れることもなく、オタマジャクシは元気だ。胸をなでおろす。しかし、ニホンアカガエルが上陸するまではまだあと1ヶ月近くある。その間、無事でいてくれることを祈る。Tambo2019051201

ここがこの周辺で最後に残されたアカガエルの育つ場所。そんなこと、誰も知るまい。かつては、この周辺に何百というアカガエルの卵塊があり、何万というアカガエルが上陸したのだ。いまや、卵塊は10個ほど。そして、水が涸れることなく無事育つのはその半分くらいなのだ。私はシーズンになると、この周辺のヒキガエルやアカガエルの卵塊を一つ残らず見つけようと歩き回り、そして、それら、一つ一つを最後まで見届ける。それを少なくともこの10年はやってきた。だから、今、彼らがどういう状況にあるのかはとてもよくわかる。そうして、新たな卵塊を見つけては喜び、水が涸れて死んでしまうのを見ては悲しみ、無事上陸したのを見ては喜んだ。

先週、足が生えたチビカエルたちが沢山いたところにいってみた。Hikigaeru2019051303

案の定、誰もいなかった。チビたちは、今、この自然の中でたくましく生きていっていることだろう。そうして、大きく育ってまた、ここに産卵にやってくる。その日を楽しみにしている。

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2019年5月 4日 (土)

休耕田とコケリンドウ

この10年ほどで、散歩道の田んぼはどんどんと休耕田になっていった。特にここ5年くらいで急激に休耕田が増えた。Tambo2019050400 かつて、ニホンアカガエルの楽園だった田んぼが休耕になり、それでもわずかに残った水たまりや水路に産卵にきていたニホンアカガエルだったが、いまやある特定の田んぼの水が涸れない水たまりや、水路にしかいなくなった。かつて数百個のニホンアカガエルの卵塊があった田んぼから完全にニホンアカガエルの姿が消えた。そういう局地的絶滅を見てきた。

カエルだけではない。植物だって、水田に水が入ったり、畔を草刈りすることによって生息していた植物の姿が見られなくなるということもある。かつての水田は休耕になって姿を変え、自然が姿を変えていく。そういう変化をずっと感じてきた。

コケリンドウという植物がそうだ。かつて、草刈りがされた畔、田んぼや水路に水が入って湿り気がたっぷりあるところに小さな美しい花をさかせていたが、ある田んぼの畔では休耕になって数年で見られなくなった。

去年まで花が見られていた田んぼの畔。今年はまだコケリンドウを見ていない。そろそろシーズンも終わりに近づく。その場所にいくたびに目を凝らして花を探すが見つけられていない。今日も半ばあきらめ気味で、その畔をみつめていた。Tambo2019050401 やっぱりないなあ、と思って、そこを去ろうとした時、何気なく見ていた畔に薄水色のモノが見えた、もしや??

そう思って、草がぼうぼうに生い茂っている休耕田に降りてみる。すると、なんとなんと、咲いているではないか!!Kokerindo2019050401 しかも沢山!

コケリンドウは生きていたのだ。これはうれしかった。ついにこの地から消えてしまったかと思っていた植物が、しっかり命をつないでいた。

コケリンドウは本当にちっちゃな花を咲かせる。それは1センチほどのちっちゃな花だが、その色形はとても美しい。私はこの花が好きだ。

いまや千葉県レッドデータブックにも掲載されている絶滅危惧種でもある。

Kokerindo2019050402

人々の生活が自然を変える。そして、そこに生きる生き物たちの生息環境も変わる。しかし、生き物たちはたくましい。そこに生きる環境があるかぎり命をつないでいく。それは、この地に人間がやってくるはるか以前からここで命をつないできたものだからだろう。ただ、ほとんどの人がその存在にさえ気づいていない。コケリンドウなどはほんの1センチほどの小さな花を、この新緑の時期にだけつける。誰もがその存在に気づかずに、ここを通り過ぎていく。そして、気づいていないものは無いものと同様になる。気づいていない人々は、ここを綺麗に更地にしてしまい、もっと悪いことには、外国産の植物や園芸種を植えたりする。何もしらない人々は、そうして植えられた芝桜やネモフィラを見て「綺麗だね」といい、車を大渋滞させてまで見にやってくる。かつて、そこにはこんなにも美しい日本古来の植物があったことも知らずに。

私は今日、コケリンドウを再発見してとてもうれしかった。同時に、今の世の中の人々がこの美しい日本の植物の存在にさえ気づかずに通り過ぎ、何もない場所だから、ここに花を咲かせようと、間違った良心で芝桜やネモフィラを植え、さらにその鮮やかな色に騙される。そのおかげで破壊された日本古来の自然に気づかない人々。その現実が私にはとても悲しい。Kokerindo2019050403

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2019年5月 1日 (水)

秘密の花園

毎年ゴールデンウィークにはお弁当を持って一日中歩く。この時期は一年で最も多くの花が咲くので、それを一つ一つ見にいくのだ。点在している生息地を一日かけて回るのだ。もちろん、アカガエルやヒキガエルのオタマジャクシの様子も見ながらである。

キンランの群生地は深い深いやぶの中にある。背丈を超えるような笹や幼木をかき分けて進む。そうして進んでいるときに、ふと、「そういえば、このへんにカンアオイの大きな株があったな」と思い出す。そして、その株があったと思われるところに行ってみる。探すが、見つからない。Yabu2019042801

「あれ?このへんにあったはずだが....消えたか」

少し落胆しながら、さらに進む。笹の茂る急斜面をのぼっていた時、ふと後ろを振り返ったら、カンアオイの大きな株が目にはいってきた。「おお、あったあった!」

斜面を降りて、そこに向かう。カンアオイの株はさらに大きくなっていて、また、新しい芽も出て、増えていた。Kanaoi2019042801

ここはかなり深い藪の中だから、おそらく誰も知らないだろう。誰にも知られることなく育つ大きなカンアオイの株。カンアオイは冬に地味な花が根元に咲くだけだが、それがなんとも奥深い。

そこから泥んこになりながら進んで、キンランの群生地に来てみたが、花はまだだった。たぶんあと一週間くらいかな?

いつものように最後にわずかに残されたアカガエルの産卵地にいってみる。オタマジャクシはしっかりと育っていた。沢山のオタマジャクシを目にして思わず笑顔になる。「元気で育てよ!」Akagaeru2019042801

そしてそして、私のとっておきの秘密の花園を目指して歩く。

おそらくほとんどの人が知らないかもしれない道を進む。

すると、あったあった!秘密の花園。Ichirin2019042801 Miyamahakobe2019042801 Tanigikyo2019042801

ここはどういうわけか白い花が多い。イチリンソウにミヤマハコベにタニギキョウ。それぞれに美しい花を咲かせている。数年前に土が崩れたのと、最近猛威を振るうイノシシに掘り返されて少し数が減ったが、それでもしっかりと花を咲かせている。

この周囲には本当に沢山の野草が花を咲かせている。それは日本古来の植物であり、ずっと人々の生活とともにあった。そして、こんなにも多様でこんなにも美しい花をつけるのだ。

貴重なものも多く、盗掘の恐れもあるので、その全容を公開できないが、どれもこれも人々の住む里のまわりに沢山咲いているのだ。Jirobo2019042801 Ikariso2019042801 Nirinso2019042801

最近、このような日本古来の花の咲き乱れる里山という本来の姿を無視して、更地のようにしたあげく、芝桜やネモフィラなどを植えて、それを多くの人が見に来て「ああ綺麗だね」と喜んでいるのを見ると、本当に悲しくなる。さらに、こうして本来の日本の里山にしっかりと長い年月咲いてきた植物は見つかると盗掘にあってしまう。いったい人々は日本の自然をどうしようとしているのか?と思う。美しい日本の里山の自然を大切にるということは、まず、こんな日本の里山の風景をしっかり見て、そこに何があるのかを理解することが大切だろう。そして、そこに昔からあるものをずっと大切にすることが必要だろう。それを無視して、更地にして公園にしてなんの脈絡もない花を植えることがどれだけ無知なことか、罪なことか、今一度考えて欲しい。

私が大切にしたい「秘密の花園」。それは何故「秘密」なのか、何故「秘密」にしなければならないのか?そこに日本人の自然観を問いたい。

私はこの先もずっとこれらの花を見ていたい。

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2019年4月14日 (日)

散歩道のニホンアカガエルは生き延びるのか?

散歩道プロジェクトを始めた2003年から、この地に生息するニホンアカガエルの事は詳しく見てきた。いまや、千葉県レッドデータブックでカテゴリA、最重要保護生物となっており、絶滅の恐れのある種だ。Akagaeru2007022300

(写真は2007年に散歩道で撮影したニホンアカガエル)

ニホンアカガエルは2月から3月に産卵するとされている。実際のところ、千葉県では早いところでは1月の終わりから産卵し、2月ごろにピークを迎えるところが多いようだ。だが、この散歩道では2月の終わりころから産卵が始まる。産卵は、流れのない浅い水たまりで行われる。ニホンアカガエルのオタマジャクシはほとんど流れに逆らって泳ぐ力がないため、流れがあると流されてしまう。それと、そもそもニホンアカガエルの卵はこんな形である。Tamago2017040904

水の流れがあると、流されて行ってしまう。だから流れのない水たまりが重要である。

ニホンアカガエルは5月の終わり頃、手足が生えて、カエルになって上陸する。つまり、その間はオタマジャクシなわけだ。そのオタマジャクシの期間水が涸れてはいけない。水が涸れると死んでしまう。つまり、産卵のある2月頃から6月頃まで、その水たまりは水が涸れてはいけない。

だいたい、ニホンアカガエルが産卵する2月頃に水が入っている田んぼというのはほとんどなく、田んぼの一部に水が溜まっているだけというところが多い。その水たまりが田んぼにたっぷりと水が入るころまで水が涸れずにあると、生き延びることが出来る。だいたい、散歩道周辺のニホンアカガエルはそういう環境で生きてきた。

しかし、ここ数年、特にこの5年くらい、田んぼに水が入ることもなくなることが多くなった。休耕になるからだ。休耕田は草ぼうぼうになり、一年中水が張られることもない。Tambo2019041401

かつて、毎年数百の産卵があった田んぼも休耕になって何年にもなるが、こういう様子になってしまった。

それでも最初の頃は、この休耕田のわずかな水たまりに産卵があったものである。しかし、産卵された卵は全て死んでしまい、育つものがいなかった。そうして数年たつと、産卵がまったくなくなる。それは、ここに産卵にきていた親のカエルが寿命が尽きてしまったからだ。

 こういう様子を私はずっと記録してきた。

この場所のどこにいついくつ産卵があったか、そして、それは生き延びたか、それとも水が涸れて死んでしまったかをずっと記録している。

たとえば、これは2013年の記録である。Sanran2013

産卵があったものは赤い字で記録。死んでしまったものは黒い字で記録。産卵場所と卵塊の数、日付を記入している。

この頃はかなり広範囲に沢山の産卵があったことがわかる。軽く100個は超えているのだ。だが、ここから急激に変化が起きる。このあと、ほとんどの田んぼが休耕になる。そして、田んぼには水が入ることがなく、たとえ産卵されても、ほとんどが水が涸れて死んでしまうようになった。

休耕田の中のわずかに残された場所だけが、水が涸れることがなかった。そして、今年はこんな状況となった。Sanran2019

明らかに赤い字が減っているし、産卵される場所がごく限られるようになった。産卵された卵塊の数でいえば、30個ほどだ。だが、これは今日新たな産卵を見つけたことが大きく、それまではたったの7個だった。

アカガエルは2月から3月頃に産卵する。だから、そのころに水が入らない田んぼでは産卵が出来ない。というのが世間の常識である。しかし、このあたりの田んぼは4月頃に水が入ることが多い。そうすると、4月頃、ようやく水が入ると、一気に産卵するということが以前から見られていた。そして、今年、3月までに産卵された数よりも4月に産卵された数の方が圧倒的に多くなった。3月までは7個。4月に入ってから30個に増えたのだから。

今までの観察から、産卵のピークは2回ある。それは2月の終わり頃から3月にかけての一回目。そして、4月上旬から中旬にかけての2回目る。ただ、長年の観察からすると、最初からそうだったわけではないと思う。田んぼに水が豊富だった10年ほど前は、明らかに2月の終わり頃から3月の初旬にかけて産卵のピークがあった。だが、そのうち、2月の産卵は見られなくなった。私の記録では、2月に産卵された卵は、ほとんど死滅して生き延びることが出来なかったようだ。そして、3月中旬頃にピークが来るようになった。このピークは今でもみられる。ただ、一ヶ所しかなくなった。そこにしか涸れない水溜まりがないからだ。そして、4月のピーク。

今日、沢山の新しい卵塊を見て、たいそう驚いた。今日、4月14日。今年一番多くの卵塊を見た。これはたいそう驚きだった。だが、今、産卵されたものは、おそらくほとんどが生き延びることが出来るだろう。

Tamago2019041401

そして、3月に産卵があった場所、これは私は最後の生き残りと思っていたところにもあらたな産卵があった。すでに元気なオタマジャクシが泳いでいるそばに、産みたての卵があった。Tamago2019041402

この場所のニホンアカガエルがこの先、どうなっていくのか?私はずっと観察を続けていきたい。

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2019年2月16日 (土)

散歩道プロジェクト16周年

毎年、この日は大切な記念日だ。2003年の2月16日。雨の中、カメラを持って出かけた。それが「散歩道プロジェクト」の第一歩だった。そして16年目の記念日がやってきた。
去年、15周年のことをブログに「散歩道プロジェクト15周年。さあ原点に戻ろう」として書いた。散歩道プロジェクトの15年間の歩みを短くまとめている。
散歩道プロジェクトが生まれた、あの日、最初に撮った写真。
Dscf0001
大好きな散歩道があった。そして、散歩道のまわりの豊かな谷津田の自然があった。それが宅地開発によって徐々に失われていく。そのことに危機感を抱き続けて何年も過ぎた。
その日、私の中の何かが動いたのだろう。
こんなちっぽけな私にどんなことが出来るかわからないが、私の生活の少し、エネルギーのほんの一部でも、この森のために使うことが出来ればと思い、今日、このプロジェクトを発進させることにした。
と、その日の日記に書いている。そして、ごくごく簡単な地図を描いた。
Sampomap
この地図を描いた時、「爪の谷」とか「くねくね谷」とか、とっさに思いついて、名前をつけたのだが、とくに「くねくね谷」はいまや、多くの方に通じる名前になった。
とにかく、私は、この場所に何があり、何が生きていて、何が起きているか?それを自分の目で確かめ、それを記録にとり、多くの人に知ってもらおう。そう思ったのだ。
それから、カメラをぶら下げて歩く日々が始まった。やがてそれは様々な生き物との出会いと別れ、様々な人々の出会いと別れ、そして沢山の物語が生まれた。
Sampomichi2019021601
そして、今日もまた散歩道に出かけた。散歩道に入るとすぐのこの場所で、必ずシャッターを切る。それが習慣になった。もう何百回とそうしてきた。
散歩道周辺の自然はずいぶんと変化した。特に、田んぼだった場所が休耕になったのが大きい。かつてアカガエルの楽園だった田んぼは、草が生い茂っており、だんだんと、人間がここで稲作を始める前の状態に戻ってきているのかもしれないと思う。
Tambo2019021601
その変わりゆく姿をこの目で見て、記録していくことが「散歩道プロジェクト」なのだと思う。これからもずっと記録していきたい。
そろそろアカガエルの季節だ。この写真の場所が田んぼとして水が入っていたころは、多くのアカガエルがここで産卵し、そして多くのオタマジャクシが生まれカエルに育っていった。
しかし、水が涸れ、産卵は減少し、産卵があってもカエルになる前に、水が涸れて死んでしまうということが毎年繰り返され、ついに、産卵すらなくなった。アカガエルの姿を見ることすらなくなった。
散歩道周辺で唯一、アカガエルが産卵し、カエルが育つ場所がある。そこも、休耕となって久しいが、訳があって、ここは水が涸れない。
Tambo2019021602
今年、今の時点では、こんな状態。ここに去年のようにアカガエルが産卵にやってきて、カエルが育つことが出来るのだろうか?それも見ていきたいと思う。
散歩道プロジェクトの中で、2005年7月16日に撮った一枚の写真がある。
Millor20050626s
散歩道プロジェクトを始めた頃、砂漠のようだった宅地造成地は、すっかり家が立ち並び、街になった。その街とまだ街になっていない散歩道の境目のカーブミラーを撮ったものだ。
右側は鬱蒼とした草むらとその向こうに森。この場所もすっかり変わった。
Mirror2019021601
今はどちらも家が立ち並んでいる。
街が出来てからここにやってきた人は、かつての姿を知らない。16年間ずっと見てきたから、今こうして変化が見える。
これから私たちはどこに向かっていくのか?そして、この場所がこの場所の自然や生き物どうなっていくのか?それを自分の足で歩き、自分の目で見て、記録していくこと。それが「散歩道プロジェクト」だ。
これからも、私は歩き続ける。
Sampomichi2019021602

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2018年12月 2日 (日)

クロコノマチョウ

 瀬戸内で生まれ育った私にとって、クロコノマチョウという蝶は、子供のころから図鑑でしか見たことのない蝶だった。あの美しい目玉模様を図鑑などで見て、こんな蝶がいるんだなあと思っていた。千葉にやってきてその姿を初めて見たときは、驚いたものだ。Konoma20070728 一度見かけてからは、このチョウはいるところにはふつうに沢山いることがわかった。しかし、たいていは、こんな風に翅を閉じて止まっていて、翅の表にある美しい目玉模様が見えない。一度、飛んでいるところをむりやり写真をとって、なんとなく目玉模様が見える写真が撮れたことがある。Kurokonoma2016102302 この時は少しうれしかった。しかし、この目玉模様をはっきりと見るには捕獲するしかないのかなあと思っていた。
 今日、いつものようにくねくね峠にいった。Kunetoge2018120201 峠道はすっかり落ち葉の絨毯に覆われている。定点観測写真などをとっていると、時折落ち葉が雨のように音を立てて降ってくる。そんな中、乾いた落ち葉の絨毯を踏みながら歩いていたその時のことである。足元で何か黒いものが飛んだ。一瞬、落ち葉が何かの拍子に舞ったのかと思ったが、みると、そこにはクロコマノチョウがいた。
「あ、ごめん、踏まなかったかな?」
とっさに独り言を言った。
見ると、かなり翅がいたんでいて、瀕死の状態という感じだ。無理もない、もう12月だもの。翅を完全に閉じる力がないのか、翅の先端が半開きになっていて、美しい目玉模様が見えるではないか!
Kurokonoma2018120201 いつもは、近づくと素早く逃げていく蝶だが、近づいてもまったく動く気配がない。触ろうとしたら、触覚を触れたほどだ。
「生きてる??死んでる??」
とおもった次の瞬間、パタパタと最後の力を振り絞って飛ぼうとするのだが、うまく飛べない。そして、落ち葉の間に翅を開いたまま舞い降りた。Kurokonoma2018120202 美しい目玉模様がはっきりと見えた。まるで最後の力を振り絞って、目玉模様を見せてくれたかのようだった。
やがて、翅を閉じたが、ほとんど動く力がないのか、翅を半開きの状態で立ってるだけという感じだった。
何がということもないのだが、
「ありがとうね!」
私はそうつぶやきつつ、最後の姿かもしれないその姿を振り返りながらその場を去った。Kurokonoma2018120204

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2018年9月 9日 (日)

変わりゆく季節

賑やかだったセミの声も、今は、ツクツクボウシがまばらに鳴いている状態だ。まだまだ夏の暑さだが、生き物の季節は進んでいる。夏の間にセイタカアワダチソウなどが高く高く成長し、休耕田は大人の背の高さほどの草でおおわれている。Sampo2018090901 夏の間の生き物たちの勢いを感じる。
 ことしは、ほとんどの田んぼが休耕になる中、少ないながらも稲が植わった田んぼは、今、黄金色になっている。しかし、去年までと確実に違うところがある。それは電気柵だ。Tambo2018090901 このあたりには居なかったイノシシが、去年あたりから猛威を振るうようになってきた。そして、、急激に電気柵が増えた。そして、急激に休耕田が増えた。もしかしたら、電気柵が設置できなくて、稲作をあきらめ、休耕にしてしまった田んぼが多かったのかもしれない。
 休耕田のまわりは草刈りがされていないところが多く、あぜ道は完全に草に覆われている。Sampo2018090902
草は、腰の高さほどまで成長し、足元がまるで見えない。その草をかき分けながら進む。ここは多くの人が犬の散歩などをさせていたところだが、おそらく、この状態では、ここを歩く人もほとんどいないのだろう。Sampo2018090903
 そんな中、あっちでもこっちでもジョロウグモが巣を張っている。用心して歩かないと巣にひっかかる。道端を見ると、ジョロウグモがツクツクボウシを捕まえていた。Kumo2018090901
くねくね峠に向かう道も、すっかり草に覆われて、草をかき分けながら進む。Kunemichi2018090901
くねくね峠あたりは、木に覆われているからか、それほど草が生い茂っているわけではなく、普通に歩くことが出来る。ところどころに、チョッキリが落としたと思われるコナラのドングリが枝ごと落ちている。Chokkiri2018090901 チョッキリはドングリに卵を産み付けたあと、ドングリのついている枝を切り落とし地面に落とす。地面に落ちたドングリの中で幼虫が育つのだ。毎年、8月の終わりがチョッキリが落とす時期の最盛期。これは落ちてから少し時間がたっているようだ。
 それにしても、くねくね峠あたりは道にジョロウグモが沢山巣を張っているので、可能なかぎり避けて通るのだが、それでも気づかずに巣を壊してしまうと思わず「ごめんよ~」とつぶやいてしまう。これは、ここを歩き始めた15年前から変わらない私の習慣だ。
 田んぼの畔に、ツルボのピンクの花が咲き始めている。Tsurubo2018090901 どこにでもある雑草だが、このピンクの鮮やかさになんとなく心が和む。
 目の前を何やらあまり見かけたことにない蝶が飛んだ。一瞬アサギマダラかと思ったが、違う。赤い斑点がある。アカホシゴマダラだ。Akahoshi2018090901 これはもともと中国原産の外来の蝶で、誰かが放したものが増えたのだといわれる。2年ほど前からこの周辺で見かけるようになった。最初に見かけたときは驚いたが、今や、うちの庭にもやってくるほどのありふれた蝶になってしまった。この先、これは普通にどこにでもいる蝶になってしまうかもしれない。赤い斑点はどこか毒々しく感じる。
 9月になって、真夏から少しずつ秋の気配を感じるようになった。しかし、この生い茂る草の中、様々な虫たちが飛び回っていたり、鳴いていたり、生き物のエネルギーを感じる。Sampo2018090904 季節は変わっていく。いつの間にかイノシシが闊歩するようになり、アカホシゴマダラが飛び交うようになり、休耕田が急激に増えて、アカガエルの姿を見かけなくなり、ここの自然も変わっていく。それを今、こうしてずっと見つめている。

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2018年7月16日 (月)

賑やかな夏がやってきた

2018年7月14日
 いつの間にかまたこのブログの更新が止まっていた。季節は今年も着実に進んだ。Sampo2018071401 関東は6月末に梅雨明けするという例年にない早さで夏がやってきた。西日本はかつてない豪雨に見舞われ、とてつもない被害が出た。
 先日、豪雨の直後に尾道に帰省した。断水が続き、不便な生活が続いていた。人々の生活には水がとても大切なこと。そして、水は時に大きな災害をもたらすこと。あらためて気づかされた。生き物もまた、その生活が水に左右されている。水の入らなくなった休耕田では、カエルたちは育つことが出来なくなった。今年は本当にカエルの姿を見なくなった。とくにニホンアカガエルはしばらく姿を見ていない。Sampo2018071402 かつてのアカガエルの楽園だった田んぼはここ数年休耕になり、いまやセイタカアワダチソウが生い茂っている。こうして、人々の生活の変化が自然に変化を与えて、自然は少しずつ変わっていく。
 田んぼの土手に咲くノカンゾウは例年通りに咲いた。Nokanzo2018071401
くねくね峠の入り口もまた、人があまり出入りしなくなり、雑草が高く生い茂っている。Kunetoge2018071401 だが、ここは、奥に進んでいくと、雑草はあまり生えていない。木々に覆われて、暗い木のトンネル道になっているからだろうか。
峠のあたりに、例年通りにヤマユリがとても美しい花を咲かせていた。Yamayuri2018071401 大きく美しいヤマユリだが、花の時期は短く、ほんの数日で花が終わってしまう。今日のこの花は最も美しい時に出会うことが出来たのかもしれない。
Kunekune2018071401  くねくね谷も今年は田んぼに水が入らないまま、完全に休耕になってしまった。最後の最後まで水が残っていた場所では、この周辺で唯一、アカガエルが生き延びた。しかし、最後に上陸した姿を私は確認していない。もし来年も同じ状況だったとして、どうだろうか?そして、アカガエルだけではなく、アマガエルやシュレーゲルアオガエルは、今年は例年のような大合唱も聴くことがなく、シーズンが終わってしまった。彼らはどこにいくのだろうか?
 Obanotombo2018071401
オオバノトンボソウは、今年も数株見ることができた。最も多かった年よりは減ったものの、それでもこの何株かは安定してみることができる。こんな花はどうしても、盗掘の危険がある。だから、どこにあるのか詳しい場所は秘密だ。花は野に咲いていてこそ、その魅力を感じられるというものだ。
 Jako2018071401 ジャコウアゲハが目の前をひらひらと舞った。このあたりの黒っぽいアゲハは、大きなクロアゲハ、金属光沢のあるカラスアゲハ、そして、このジャコウアゲハと、オナガアゲハ、ナガサキアゲハがいる。ナガサキアゲハはもともと南方の蝶だが、ここ数年はうちの庭にも毎年やってくるようになった。
 Janome2018071401 モンシロチョウくらいの黒っぽいチョウが素早く飛び回っていたので、みると、ジャノメチョウだった。このチョウは千葉県レッドデータブックではCらんく(要保護生物)に指定されているが、これだけ休耕田が増えると、このチョウにとっては生息できる環境が増えることになるかもしれない。地味な蝶だが、私は好きな蝶でもある。毎年、この時期だけ飛ぶ蝶。この先、増えていくのかどうか。
Higurashi2018071401 セミの幼虫が道端に転がっていた。羽化するために出てきたのだろうが、羽化場所を見つけることが出来ずに息絶えてしまったのだろう。これはヒグラシのメスだ。Higurashi2018071402 拾い上げてみると、本当に美しいをしている。ヒグラシは成虫も美しいが、こうして土から出てきた幼虫も、そして、羽化の様子も本当に美しいと思う。そして、明け方や夕方に美しいけれど、どことなく物悲しい声で鳴く。
 羽化することのできなかったヒグラシの幼虫を、道端の草むらにそっと置く。やがて、他の昆虫などがきて、この体を食べ、そうして物質は長い長い年月をかけてめぐっていくのだろう。
 今日は、ニイニイゼミの甲高い声の中、アブラゼミの声も、ミンミンゼミの声も、そしてヒグラシもツクツクボウシの声も聴いた。夏本番。今年も賑やかな夏がやってきた。

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2018年5月 6日 (日)

15年目の緑の日

2018年5月4日。
 散歩道プロジェクトを始めて、15年以上の月日が過ぎた。いつの間にか、カメラをぶら下げて、ここを歩いて、いろんなものを見て、記録するというのは私の人生の中のとても大きな部分を占めるようになった。そして、その散歩道が一番輝く季節であるゴールデンウィーク中、私は必ずお弁当を持って、一日中歩くことを毎年かかさずやってきた。今年もその日がやってきた。
 今年は季節の進行が早く、ゴールデンウィークに入った時点ですでにイチリンソウ、ニリンソウなどは花が終わっていた。緑もすっかり濃くなっている。澄んだ青空とのコントラストがまぶしい。Sampo2018050401
 ここ数年で休耕田が急激に増えてきた。今年もまだ水の入らない田んぼが沢山ある。Sampo2018050402 かつてのアカガエルの楽園では、今年ついに1つも産卵が見られない場所があった。産卵があったところでも、一か所を除いて全部水が涸れて死滅してしまった。確実に環境は変化している。
 環境は人間の営みの変化によって確実に変化している。だが、それが良いことなのか悪いことなのか、私にはわからない。確かにアカガエルなどは急激に減っている。しかし、これが悪いことだとどうして言えようか。かわりに他の生き物にとっては適した環境が増えることであるかもしれない。だから、一つのことをもって、悪い環境を良い環境にしようと何か行動を起こすというのは私にはできない。私には、わからないからである。
 私自身はアカガエルについてはずっと見守ってきて、水が涸れそうになっている田んぼの卵を持ち帰り、育てて、田んぼに水が入ったあとに放流したことがある。だが、それがどういう結果をもたらしたかは、ずっと見てきた。持ち帰り、放流を行っていた田んぼはついに休耕田になった。そして、私は卵を持ち帰って育てることもやめた。そうして数年の間、水が入ることはなく放置された。その間にそこからアカガエルはいなくなったのである。しかし、その田んぼはさらに環境が変化し続けている。それがどうなるのか。もしかしたら、それは、この地に田んぼを作り始めたずっと昔から、今まで私たち人類が経験もしたことのない変化なのかもしれない。私はそれをしっかりと観察、記録していこうと思うのだ。
 Akagaeru2018050401 そんな中でも、一か所だけ、ここまで水が涸れないでアカガエルのオタマジャクシが育っている場所がある。それは、数年前から休耕田になった場所である。今年は、アカガエルのオタマジャクシが育っているのは現在この場所だけだ。私の観察では、卵塊として20個程度が生き残り、現在まで生き延びている。せいぜいたった20個でしかない。それは20匹のメスが生んだものでしかない。
 10年前と比較しても10分の1以下である。ここだけでも生き延びてくれたらと思う。本当に小さな場所だ。せいぜい10m四方くらいの広さしかないこの場所が最後のアカガエルの生き残りの場所である。Sampo2018050403 では、何故ここだけ水が涸れないのだろうか?その理由は、この田んぼの周りの水路から水が漏れているからである。水路の一部はコンクリートで固められている。そのコンクリートにひびが入り、それがそのまま放置されているため、そこを流れる水がそのひび割れから流れ出て、ここに注いでいるからだ。
 放置されているからこそ、そのひび割れ、水漏れを修復しないままになっている。だから、ここが存在し得るのだ。それを考えると奇跡である。自然に生じた奇跡で、アカガエルが生き延びる。それを私は、今、この目で見ているのだ。
 Kunetoge2018050401 くねくね峠は、すっかり暗くなり、コナラやクヌギの木がしっかりと大きな影を落とすようになった。木漏れ日と影とのコントラストがまぶしい。そして、風が吹くと、木漏れ日の形は様々に変わり、揺れ動く。
 アカガエルが生き残った場所は一ヶ所だけだが、同様に、今年、ヒキガエル(アズマヒキガエル)が生き残った場所も一ヶ所だけである。それも休耕田のほんの小さな水たまり。Sampo2018050404 延々と続く、休耕田の中に、奇跡的に残った水の涸れない小さな水たまり。ここで、なんとかヒキガエルは命をつないでいる。このほんの小さな水たまりがなくなったら、この一帯からヒキガエルは絶滅する。そのことに誰も気づいていない。
 先日、ほとんど足が生えていたヒキガエルのオタマジャクシ。あと少し、あと少し、上陸するまで水が涸れなければ、彼らは生き延びることができる。今日もおそるおそる、行ってみる。水は涸れていないか??近くにいくまで不安になる。が、水は涸れていなかった。それどころか、ヒキガエルたちは上陸を始めていた。Hikigaeru2018050401 集団でダンゴ状態になっていたオタマジャクシの中から、足が生えそろったものが、まわりに歩いてちらばっていくのが見えた。そうして、このオタマジャクシのダンゴはだんだんと小さくなり、最後はみんな散り散りになる。Hikigaeru2018050402 なんとか、上陸するまで水が涸れなかったので、今年も命をつなぐことができた。これで一安心だ。しかし、今年ヒキガエルが生き延びられたのは、ほんの小さなこの水たまりだけだ。その水たまりはヒキガエルにとってとても重要だが、そのことに気づいている人は誰一人いない。そこに気づくことができないで、自然観察もクソもないと思うのだが....
 Sampo2018050405 田植えの終わった田んぼは、風が吹くとさざ波が広がり、太陽の光をキラキラと反射してまぶしい。まぶしい光の中を歩きながら、今年もゴールデンウィーク、その一番光輝く季節がやってきたことの幸せを感じる。15年前に、ここをカメラをもって歩き始めた時から、いろんなことが始まった。私の人生の大きな場所を占めながら、ここで暮らす生き物たちとその環境をずっと見てきた。そこから多くのことを学んできたし、さまざまな喜びも悲しみも、そこから感じてきた。そして、アカガエルやヒキガエルたちなど、まるで我が子のように思い、ずっと見守ってきた。私の中には様々な物語ができてきた。そして、これからも、また来年のゴールデンウィークもそうして歩くことができれば。
 ここの自然はこれから、私になにを見せてくれるのだろう。私は、それを、自分の足で歩き、自分の目でしっかりと見ていきたいと思う。
 

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