2019年7月 7日 (日)

2019年のアカガエルの卒業

思えば、毎年2月頃から6月頃までずっとアカガエルの産卵から成長を見てきた。今年は本当に悲しいことの連続だった。あれほど毎年順調にそだっていた場所の水が涸れはてて、とても多くのアカガエルのオタマジャクシたちが死んでしまった。Akagaeru2019052601_20190707205601 干上がったオタマジャクシを見るのはつらいものだ。毎年毎年、どれだけのオタマジャクシの死を見てきただろう。しかし、この実態を見ている人はほぼゼロに等しい。そうして誰もが気づかないうちに、ニホンアカガエルはどんどん数を減らしていく。

 だが、うれしいこともあった。全て死んでしまったと思っていた田んぼのわきで、チビアカガエルを見つけた時は、驚いたと同時に、とてもうれしかった。Akagaeru2019061602_20190707210001

そして、最後の水たまりだ。

少なくとも、私が産卵から最後までずっと見届けてこれたのは、ほんの一ヶ所。小さな小さな水たまりだけだ。

先日からずっと雨。今日も朝からずっと雨が降り続く。そんな中、やはり、その水たまりのアカガエルたちがどうなったかは、一番気になることだ。そして、雨と強風の中、傘をさして水たまりに向かう。Tambo2019070701

セイタカアワダチソウはさらに伸びて、私の背丈を上回るほどになっている。雨が次第に強くなる中、ずぶぬれになりながら、草をかき分けて進み、ようやく水たまりに到達することができた。Mizutamari2019070701

ぱっと見た時、オタマジャクシの姿が見えないように思った。「みんな卒業しちゃったかな?」そんな風につぶやく。

よく見ると、わずかながら、カエルになりかけのオタマジャクシがいる。Akagaeru2019070701 

ほとんどカエルになりかけだ。たぶん、これは最も成長が遅いものだろう。見ると、数匹いた。「まだ卒業してないのか」とつぶやくそのそばで、チビアカガエルが跳ねた。

「おお、いた!」

そいつは、すぐに草陰に逃げて、潜ってしまった。

でてこないかと粘ったが、ずっと潜ったままだ。その姿はなんとか写真に撮ることができた。Akagaeru2019070702

しかし、これでは、まったくなんだかわからないではないか。でも、この水たまりから育ったアカガエルであることは間違いない。

ちゃんとした写真がとりたくて、雨が降りしきる中、しばらく粘った。他にもいないかと探し回ったが、見つけることはできなかった。

あきらめて、帰ろうかと、さらにずぶ濡れになりながら、草をかき分け戻る。

とにかく、もう大丈夫だ。私の背丈を超えるような濡れたセイタカアワダチソウをかきわけながら、

「今年はもう、ここに来ることはないな」

とつぶやく。

「また、来年ね!」

そういって水たまりを振り返り、あとにした。

しばらく歩くと、草むらからピョンと跳ねるものがいた。チビアカガエルだ。Akagaeru2019070703

おお、いたいた。元気に育つんだよ。

そういって、ずぶ濡れの私はそこから先に進むこともなく、家へと向かった。今年の私のアカガエル観察はこれで終わり。チビたちは、ここからこの自然の中でたくましく生きていくことだろう。

来年また、アカガエルの卵を見つけるところから、私とアカガエルの一年が始まるのだ。またその時まで。

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2019年6月23日 (日)

あと少しだ!生き延びろ!アカガエル

梅雨入りしてすっきりしない天気が続く。このところは、どんよりと曇った空の下、散歩に出かけることが多い。植物はどんどんと背丈を伸ばしていく。Sampo2019062301

雨が多いことは、アカガエルたちにとっては好都合だ。まだオタマジャクシのままのやつらは、しっかりと生き延びることが出来るからだ。

今年は本当にこの周辺のアカガエルたちにはきびしい年になった。ほとんどが水が涸れて死んでしまった。そんな中、先週も、チビアカガエルが上陸しているのを発見するなど、意外と彼らはたくましく生きている。

最後の生き残りだと思っていた水たまりに向かおうとすると、その手前のすっかりセイタカアワダチソウに覆われてしまった休耕田のそばで、チビアカガエルが跳ねた!Akagaeru2019062300 色が薄い綺麗なチビアカガエルだ。チビアカガエルたちは、今の時期は産卵があった水辺のそばにいるから、この近くで産卵があっただろうか?と、私の今年の産卵記録を見る。しかし、この周辺で私は産卵を確認していなかった。おそらく、どこか見落としがあったのだろう。そして、そこに産卵されたものが、今、こうして上陸しているのだろう。すっかり死んでしまったと思っていたこの周辺で、こうしてチビアカガエルを見かけると、彼らがこの厳しい環境の中でもたくましく生きているのだなということがわかる。彼らがどうやって生き延びてきたのか?この周辺のアカガエルを探しまわっている私にも見えないところで育ち生き延びるアカガエルがいることに驚く。

さて、私が最後の生き残りと思っていた水たまりに向かうことはさらに困難になっている。背丈ほどもあるセイタカアワダチソウをかきわけながら進まなければならない。Tambo2019062301 雨の後の濡れた草をかきわけて進むのでずぶぬれになる。そこを延々と進んで、目的の水たまりにたどり着く。Mizutamari2019062301

水たまりにはしっかりと水があった。中をのぞくと、かなりの勢いでオタマジャクシが泳ぎまわる。あ、まだオタマジャクシなのか?先週、後ろ足が生えているものがいたから、今週あたりは、チビアカガエルになって上陸していることを期待したのだが。それでも、かなり大きくなって、ほとんどが後ろ足が生えている。Akagaeru2019062301

なんとなく、顔がカエルっぽくなってきているようにも見える。「まだオタマジャクシなのか~、でも、少しカエルっぽくなってきたね」などと話しかける。

卵からかえった時のことを思うと、相当数は減ったが、それでも、これだけ生き延びてくれた。この先の天候を考えると、日照りが続いて水が干上がるということは考えにくい。何匹かは天敵に食べられたりもするだろうが、ここまできたら、無事上陸するものが多いだろう。そう思って胸をなでおろす。

今年も産卵からずっと見てきた。多くが水が涸れてしんでしまうなど、悲しいこともあった。それでも、ここのオタマジャクシたちは、無事カエルの姿になって上陸できそうだ。

今年も、上陸したばかりのチビアカガエルの姿を見ることができた。かつてのように、どこもかしこも踏みつけそうになるほどのアカガエルではないが、それでも、命はつながれた。そうして、また彼らが大きくなって、次の命へとつないでいくんだ。私はそれをずっと見てきた。こんな場所で人知れずいろんなことが起きている。Sampo2019062302

ほとんどが休耕田になって、ただの草むらになっていく中、ここで起きていることの一部をアカガエルの生活が教えてくれる。身近な自然の中で人間の生活が変化して、自然も変化していく。

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2019年6月16日 (日)

大雨の後のアカガエルたち

昨日は一日中雨。昼過ぎと、夜にかなり強い雨が降った。今日は雨の後の澄んだ青空。散歩道に出かけると、道は濡れて光っている。土はかなり水を含んで、ところどころぬかるんでいる。Sampo2019061601

いつものように、アカガエルの最後の生息地(といっても、先週ここ以外にアカガエルが育っているところが一ヶ所あることを発見したのだが)に向かうが、草がどんどん伸びるので、さらに進むのが困難な状況になっている。Kunetoge2019061601

近くまでいくと、大きなニホンアカガエルが目の前で跳ねた。Akagaeru2019061601

立派な大人のアカガエルだ。思わず、「何年生??」と声をだしてアカガエルにたずねてしまう。とても美しい身体。健康そうなアカガエルだ。もう10年以上、ここのアカガエルたちの成長を見てきたから、このアカガエルがオタマジャクシだった頃も私は見ているかもしれない。ここ数年は大人のアカガエルに出会うことも少なくなっていたが、今年は何故かよく見かける。うれしい。

アガガエルのオタマジャクシがいる水たまりは、さすがに昨日の大雨でたっぷりの水があった。Mizutamari2019061601

水の中をのぞくと、オタマジャクシがいた。もうすっかり、足が生えてカエルの姿になっているかと思ったが、まだ、ようやく後ろ足が生えてきたところのようだ。Otama2019061601

あと一週間くらいかな?とにかく、ここまで育ったのだから、もう大丈夫だろう。すっかり数は減ってしまったが、最後まで生き残ったオタマジャクシたちが、しっかりカエルになることだろう。少し安心した。

あとは、先週、チビアカガエルがいたところあたりはどうなっているだろうか?まだいるだろうか?と思って行ってみる。

すると、いたいた。道端をちっちゃなアカガエルがピョンピョン跳ねる。Akagaeru2019061602

おお、いたいた。

この場所は水が涸れて死んでしまったと思い込んでいた。記録を見てみたら、この周囲のアカガエルのオタマジャクシたちは、多くが水が涸れて死んだのだが、数個は、水が涸れて死んだかどうかわからないうちに、田起こしがされて、田んぼに水が入ってよくわからなくなっていたのだ。死んだという確証はないまま、たぶん死んだのだろうと思い込んでいたのだ。そんな中で、なんとか生き延びていたのだろう。

もうじき、最後のオタマジャクシたちが陸に上がる。そうすると、私の今年のアカガエル観察も一段落する。今年もなんとか生き延びた。かつて、沢山のアカガエルがいたころに比べたら、100分の1程の数だろう。だが、なんとか命をつなぐことが出来た。私はこの先も、ここのアカガエルたちをずっと見守っていきたい。

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2019年6月 9日 (日)

それでも生きていたアカガエル

梅雨入りした。雨が少なく気温が高かった5月。散歩道周辺のアカガエルのオタマジャクシたちは水が涸れてほとんどが死んだ。そんな中、一ヶ所だけ生き残った水たまり。そこのオタマジャクシたちのことが気になり、天気が悪いなか見に行く。

今の時期は草がとても成長する。最後の生き残りの水たまりに行くにも、セイタカアワダチソウなどが背丈ほどに育っていて、それをかき分けながら進む。Tambo2019060902 Tambo2019060901

最後の生き残りの水たまりは、しっかりと水があった。Mizutamari2019060901

早速水の中を覗き込むと、数はずいぶんと減ったものの、しっかりとアカガエルのオタマジャクシたちは泳いでいた。近づくと、びっくりして逃げ回る。ほとんどはまだ足が生えていないのだが、そのなかに、一匹だけ足の生えているやつがいた。Akagaeru2019060901

ここまで来ると、上陸まであと少しだ。あと1~2週間、無事に過ごせれば、カエルの姿になって陸に上がることが出来るだろう。陸に上がると陸の天敵はいるものの、とりあえず、水が涸れて死んでしまうということはない。

思わず「あとすこし、頑張れよ!!」と声をかける。

今日は天気もよくないし、ここ以外のオタマジャクシたちは、全て水が涸れて死んでしまったから。そう思って、この水たまりのオタマジャクシを見たあとは、まっすぐ家に引き返そうかと思った。だけど、なんとなく足がいつもの道に向いていた。

ボーっとしながら、いつものように歩いていたら、足元で何かが跳ねた。あれ?コオロギか?バッタか?いや違う!!

それは、上陸したばかりのチビアカガエルだった。

Akagaeru2019060903Akagaeru2019060902

これには驚いた。

「おおー、いるじゃんいるじゃん!」

などと声を出してつぶやいてしまう。

このすぐそばの田んぼは、確かに今年も産卵があったのだけど、その後、田起こしされたりして、水が涸れてしまったので、ここのアカガエルたちは全て死んでしまったと思っていた。しかし、どこかで無事に生き延びていたのだ。そのことに驚いた。

チビアカガエルは、かつてこの周辺でよくみられたように、踏みつけそうになるほどの密度でいた。ただ、面積でいえば、ほんの数m四方くらいの範囲だ。ざっと数十匹というところだろう。でも、しっかりと生き延びていたのだ。

まっすぐ帰ろうかと思ったのが、気づいたらそっちに足が向いていたというのは、このチビアカガエルたちが、私に、自分たちが無事育っていることを見て欲しいと思って、その気持ちが通じたのかもしれない。

今年はほとんどが死んでしまった。だけど、しっかり生き延びたアカガエルたちがいた。彼らが、ずっとこの地で命をつないでいけることを願う。

 

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2019年5月26日 (日)

今年のニホンアカガエルの本当に悲しい結末

先週、アナガエルの最後の生き残りの悲しい結末 に書いた通り、散歩道の今年のアカガエルのオタマジャクシたちは、一ヶ所を除いて全滅した。

それでも、そこから少し離れた場所、毎年沢山のニホンアカガエルの卵塊がある場所は水が涸れることもなく順調に育っているだろうと思っていた。そして、片道40分ほどかけてそこにいってみた。そろそろ足が生えているかもしれないと....

しかし....

そこに広がっていたのは水がすっかり涸れてしまった風景だった。Tambo2019052601

いったいこれはどうしたことだろう?

長年、この場所を見てきているが、こんなに水が涸れてしまったのを見たのは初めてだ。つい先日まで、たっぷりとした水の中をオタマジャクシが元気に泳いでいたのだが、すっかり干上がって土がひび割れている。なんてこった。

しばし茫然とする。

雨は降ったはずだ。先日はまとまった強い雨が降った。だから、水はたっぷりあるだろうと思っていた。ここ数日の真夏日の暑さと乾燥で、水が涸れてしまったのかもしれない。

さらにここから少し奥にいったところに、毎年100個ほどのニホンアカガエルの卵塊があり、一年中水が涸れることのない場所がある。そこはどうなっているだろう?そう思ってさらに進む。

その場所が見えてきた時、少し心臓が高鳴った。やばい。これはいったい。

Tambo2019052602 葦が沢山生えているその場所も、すっかり水が涸れている。あれだけ大量にいたアカガエルのオタマジャクシはどこにいったのだろう?そう思って近づいてみると、悲しい風景がそこかしこに広がっていた。

Akagaeru2019052601 干からびて死んでしまったオタマジャクシたちの死骸。そのまわりをハエが飛んでいる。こんな風景があちこちにあった。水が涸れていく時、水たまりがどんどん小さくなっていく。そうすると、その小さくなってく水たまりにオタマジャクシは集まってくる。そして、必死にもがいて、水たまりを深くしようと動くのだ。しかし、最後に水が涸れてしまうと、彼らも生きることが出来なくなる。

ここにいた、およそ数万匹のオタマジャクシたちがそうして死んでしまったのだ。その風景を見てしばし立ち尽くす。今日も真夏日の暑さ。私も汗をかきながらここにやってきた。そして澄んだ青空をしばし見つめて、その非情さに落胆する。

そんな中、選挙カーが全くどうでもいい名前を連呼しながら通りかかる。そんなことどうでもいい。というより、まったく腹立たしい限りだ。

心配なのは、最後の最後の生き残りの水たまりだ。私は急いで引き返す。

歩いて歩いて40分。恐る恐る近づく。水はある。大丈夫だ。Mizutamari2019052601

水かさは少し減っているものの、オタマジャクシが泳ぐには十分な水がある。みると、しっかりとオタマジャクシたちが泳いでいる。

Akagaeru2019052602

よかった。

私は思わずオタマジャクシたちに語りかける。

「早く大きくならなくちゃ。早く大きくなって足が生えてこなくちゃ。」

水が涸れてしまうまえに、はやくカエルになって陸に上がってほしい。

今、水のたっぷり張った田んぼでは、アマガエルのオタマジャクシたちが悠々と泳いでいる。だが、ニホンアカガエルのオタマジャクシたちは、ついに、ここにいるものだけになった。ここの水が涸れてしまうと、少なくとも私がいつも観察しているこの周辺のニホンアカガエルは今年は一匹も育たなかったということになる。かつては、踏みつけそうになるほど沢山いたニホンアカガエルが、すっかりこの地から消えようとている。そのことを私はここで目撃しているのだ。

しばらく、我が子のように愛おしいそのオタマジャクシを見つめる。そして、無事を祈りながら帰る。すると、目の前で大きな塊がピョンと跳ねた。見ると、そこには立派な大人のニホンアカガエルがいた。Akagaeru2019052603

「おお、立派だね!元気だね」

と思わずつぶやく。

そしてしばし、そのニホンアカガエルを見つめる。見つめながら、私は語りかける。「あなたたちのことを、ずっと見まもっていくからね」と。

ニホンアカガエルは見つめかえしながらも、何か、悲しい目をしているように思えた。あんなに沢山いたニホンアカガエルだが、親ガエルにあったのは本当に久しぶりだ。私はニホンアカガエルの目をみつめながら、ニホンアカガエルたちの気持ちがぐっと胸にせまってくるような気がした。

 

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2019年5月19日 (日)

アカガエルの最後の生き残りの悲しい結末

季節は一気に進んだ。緑も淡い色からすっかりと濃くなってきた。散歩道に入るとマユミの小さな花が出迎えてくれた。Mayumi2019051901

遅くに水が入り田植えが終わった田んぼはキラキラと輝いている。Tambo2019051900

よく見ると、すでにアマガエルのオタマジャクシが沢山泳いでいる。Amagaeru2019051902

単なるオタマジャクシ。だが、これを見て、これがアマガエルのオタマジャクシだとちゃんと認識できる人がどれだけいるだろうか?田んぼにはオタジャクシが泳いでる。しかしそれは、ニホンアカガエルでもアズマヒキガエルでもなく、アマガエルのオタマジャクシだ。ニホンアカガエルのオタマジャクシや、アズマヒキガエルのオタマジャクシがこの周辺ではどんな生活をしているか知っている人がどれだけいるだろうか?

アズマヒキガエルのオタマジャクシの話は先週書いた。半分は死んでしまった。半分はもう上陸した。だから、もういない。ニホンアカガエルのオタマジャクシたちは、あと一ヶ月くらいはオタマジャクシのままだ。そのあいだ、水が涸れなければ生き延びることが出来る。

Tambo2019051902

唯一残されたアカガエルのオタマジャクシの生息地に行こうとすると、ほんの一週間前とは違う風景が広がる。草がどんどん伸びて、歩くのが困難になるほどだ。その草をかき分けて進むと、最初の生息地がある。ここは田んぼわきの水路の途中にある大きな水たまりだ。Mizutamari2019051901

水はたっぷりある。これなら安心だ。水の中を見ると、先週見たときと比べて、オタマジャクシはずいぶんと減った様子だ。Akagaeru2019051902 しかし、しっかりと育っている。あと一ヶ月、無事に育ってほしいと思う。

しかし、よく見ると気がかりなことがあった。ここは水路を通って上流から水が供給されてきている場所なのだが、どうやらその上流の水路が干上がっていて、水が供給されてきていない様子だ。そうなると、このさらに下流にあるアカガエルの最後の生き残りのもう一ヶ所は水が涸れてしまっているかもしれない。このところほとんど雨が降らなかったし、気温も高く、蒸発する水も多かっただろうから水量が減っているのだろう。

とても心配だ。それでも、もしかしたら、この下流にもしっかり水があって、オタマジャクシたちがしっかり生きているかもしれないと、一抹の望みと、半々な気持ちで恐る恐るその下流の生息場所に行ってみる。

あ、、、

ダメだ。水が涸れている。愕然とする。Akagaeru2019051901

先週までオタマジャクシが泳いでいた水たまりの水が干上がっている。そしてハエが飛んでいる。ハエはオタマジャクシの死骸に集まってくることがある。

ついに、この場所で、今年、アカガエルは育つことが出来なかった。去年までは、水路から漏れる水が供給されて水が涸れることがなく、無事にカエルにまで育った場所だ。しばらく、この周辺を見て立ち尽くす。Tambo2019051903

本当に単なる平和な休耕田の風景でしかないこの場所で、アカガエルが最後の最後に命をつなぐことが出来なかった。ついに、水路の途中の水たまりの一ヶ所だけになってしまった。

記録用紙に黒い字で「5月19日死滅」と書き入れる。

そして、本当に最後の一ヶ所となってしまった水路の途中の水たまりに行って、アカガエルのオタマジャクシを眺めていたら、思わず声が出た。

「早く育ちなさいよ!みずが涸れないうちに元気に育つんだよ!」

そうして我が子のようにオタマジャクシを見つめていた。

この場所でこんなことが起きているとは誰も知らない。誰も無関心だ。だから、私はずっと見続けている。最後まで見届けたい。Akagaeru2019051903

今日は今日の悲しい結末。毎年、毎年、こんな思いをする。でも、だからこそ、毎年、毎年、見続けているのだ。

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2019年5月12日 (日)

悲しみも喜びもカエルとともに

Sampo2019051201 ゴールデンウィークが明けてすっかり緑は濃くなった。今日は涼しいが、このところ、気温の高い日も多かった。ウグイスやシジュウカラのさえずりが賑やかな中、とにかくカエルたち、すなわち、オタマジャクシの様子を見に行く。

 ことし初めてヒキガエルの産卵があった場所が2か所ある。一ヶ所は先週時点ですでに足が生えていた。Hikigaeru2019050601 上陸寸前である。こうなると数日で一斉に上陸するからたぶんもう今日は散り散りに上陸していって、お目にかかることはないだろう。ヒキガエルの成長は本当に早い。

しかし、もう一ヶ所は先週時点でまだ足が生えていなかった。Hikigaeru2019050602

私の観察では、ほぼ同じ時期に産卵している。成長の早い方は日当たりがよく、水温が高いので早く成長したのだろう。成長が遅い方は、谷からの湧き水が流れているところで水温も低く、周りが背の高い草に覆われているので日当たりも悪い。それで、成長も遅くなっているのだろう。

そして、今日、まずは成長の遅かった方のオタマジャクシを見にいった。しかし...

Hikigaeru2019051201 オタマジャクシの姿が見当たらない。

一週間前にまだ足が生える様子もなかったから、上陸してしまったとは考えにくい。

オタマジャクシが移動するということはよくあるので、少しまわりの水路を見てみることにした、すると....まさか....

Hikigaeru2019051302

それは、おびただしい数のオタマジャクシの死骸だった。これは、明らかに水が涸れて干上がってしまったことにより、死んでしまったのだ。この水路は湧き水が流れているので水が涸れないと思っていたのだが、気温の高い晴れの日が続いて、干上がってしまったのだろう。

なんと悲しいことか。数百匹のオタマジャクシが全滅した。この状態だったら、あと2週間、水が涸れずにあったのなら、彼らは無事上陸できたはずだ。

私はずっとこうやってオタマジャクシを見てきたので、こんな風景は数多く見てきた。特に、ここ10年くらいは、こうやって水が涸れて死んでしまうことの方が多くなり、そして、オタマジャクシの数がどんどん減っていくのを目の当たりにしてきた。こんなに水が豊富に流れていて安心だと思っていた場所がこんなことになるなんて、悲しい。

悲しい気持ちで、こんどはこの周辺で唯一になってしまったニホンアカガエルのオタマジャクシを見に行く。Akagaeru2019051201

こちらは、水が涸れることもなく、オタマジャクシは元気だ。胸をなでおろす。しかし、ニホンアカガエルが上陸するまではまだあと1ヶ月近くある。その間、無事でいてくれることを祈る。Tambo2019051201

ここがこの周辺で最後に残されたアカガエルの育つ場所。そんなこと、誰も知るまい。かつては、この周辺に何百というアカガエルの卵塊があり、何万というアカガエルが上陸したのだ。いまや、卵塊は10個ほど。そして、水が涸れることなく無事育つのはその半分くらいなのだ。私はシーズンになると、この周辺のヒキガエルやアカガエルの卵塊を一つ残らず見つけようと歩き回り、そして、それら、一つ一つを最後まで見届ける。それを少なくともこの10年はやってきた。だから、今、彼らがどういう状況にあるのかはとてもよくわかる。そうして、新たな卵塊を見つけては喜び、水が涸れて死んでしまうのを見ては悲しみ、無事上陸したのを見ては喜んだ。

先週、足が生えたチビカエルたちが沢山いたところにいってみた。Hikigaeru2019051303

案の定、誰もいなかった。チビたちは、今、この自然の中でたくましく生きていっていることだろう。そうして、大きく育ってまた、ここに産卵にやってくる。その日を楽しみにしている。

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2019年5月 4日 (土)

休耕田とコケリンドウ

この10年ほどで、散歩道の田んぼはどんどんと休耕田になっていった。特にここ5年くらいで急激に休耕田が増えた。Tambo2019050400 かつて、ニホンアカガエルの楽園だった田んぼが休耕になり、それでもわずかに残った水たまりや水路に産卵にきていたニホンアカガエルだったが、いまやある特定の田んぼの水が涸れない水たまりや、水路にしかいなくなった。かつて数百個のニホンアカガエルの卵塊があった田んぼから完全にニホンアカガエルの姿が消えた。そういう局地的絶滅を見てきた。

カエルだけではない。植物だって、水田に水が入ったり、畔を草刈りすることによって生息していた植物の姿が見られなくなるということもある。かつての水田は休耕になって姿を変え、自然が姿を変えていく。そういう変化をずっと感じてきた。

コケリンドウという植物がそうだ。かつて、草刈りがされた畔、田んぼや水路に水が入って湿り気がたっぷりあるところに小さな美しい花をさかせていたが、ある田んぼの畔では休耕になって数年で見られなくなった。

去年まで花が見られていた田んぼの畔。今年はまだコケリンドウを見ていない。そろそろシーズンも終わりに近づく。その場所にいくたびに目を凝らして花を探すが見つけられていない。今日も半ばあきらめ気味で、その畔をみつめていた。Tambo2019050401 やっぱりないなあ、と思って、そこを去ろうとした時、何気なく見ていた畔に薄水色のモノが見えた、もしや??

そう思って、草がぼうぼうに生い茂っている休耕田に降りてみる。すると、なんとなんと、咲いているではないか!!Kokerindo2019050401 しかも沢山!

コケリンドウは生きていたのだ。これはうれしかった。ついにこの地から消えてしまったかと思っていた植物が、しっかり命をつないでいた。

コケリンドウは本当にちっちゃな花を咲かせる。それは1センチほどのちっちゃな花だが、その色形はとても美しい。私はこの花が好きだ。

いまや千葉県レッドデータブックにも掲載されている絶滅危惧種でもある。

Kokerindo2019050402

人々の生活が自然を変える。そして、そこに生きる生き物たちの生息環境も変わる。しかし、生き物たちはたくましい。そこに生きる環境があるかぎり命をつないでいく。それは、この地に人間がやってくるはるか以前からここで命をつないできたものだからだろう。ただ、ほとんどの人がその存在にさえ気づいていない。コケリンドウなどはほんの1センチほどの小さな花を、この新緑の時期にだけつける。誰もがその存在に気づかずに、ここを通り過ぎていく。そして、気づいていないものは無いものと同様になる。気づいていない人々は、ここを綺麗に更地にしてしまい、もっと悪いことには、外国産の植物や園芸種を植えたりする。何もしらない人々は、そうして植えられた芝桜やネモフィラを見て「綺麗だね」といい、車を大渋滞させてまで見にやってくる。かつて、そこにはこんなにも美しい日本古来の植物があったことも知らずに。

私は今日、コケリンドウを再発見してとてもうれしかった。同時に、今の世の中の人々がこの美しい日本の植物の存在にさえ気づかずに通り過ぎ、何もない場所だから、ここに花を咲かせようと、間違った良心で芝桜やネモフィラを植え、さらにその鮮やかな色に騙される。そのおかげで破壊された日本古来の自然に気づかない人々。その現実が私にはとても悲しい。Kokerindo2019050403

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2019年5月 1日 (水)

秘密の花園

毎年ゴールデンウィークにはお弁当を持って一日中歩く。この時期は一年で最も多くの花が咲くので、それを一つ一つ見にいくのだ。点在している生息地を一日かけて回るのだ。もちろん、アカガエルやヒキガエルのオタマジャクシの様子も見ながらである。

キンランの群生地は深い深いやぶの中にある。背丈を超えるような笹や幼木をかき分けて進む。そうして進んでいるときに、ふと、「そういえば、このへんにカンアオイの大きな株があったな」と思い出す。そして、その株があったと思われるところに行ってみる。探すが、見つからない。Yabu2019042801

「あれ?このへんにあったはずだが....消えたか」

少し落胆しながら、さらに進む。笹の茂る急斜面をのぼっていた時、ふと後ろを振り返ったら、カンアオイの大きな株が目にはいってきた。「おお、あったあった!」

斜面を降りて、そこに向かう。カンアオイの株はさらに大きくなっていて、また、新しい芽も出て、増えていた。Kanaoi2019042801

ここはかなり深い藪の中だから、おそらく誰も知らないだろう。誰にも知られることなく育つ大きなカンアオイの株。カンアオイは冬に地味な花が根元に咲くだけだが、それがなんとも奥深い。

そこから泥んこになりながら進んで、キンランの群生地に来てみたが、花はまだだった。たぶんあと一週間くらいかな?

いつものように最後にわずかに残されたアカガエルの産卵地にいってみる。オタマジャクシはしっかりと育っていた。沢山のオタマジャクシを目にして思わず笑顔になる。「元気で育てよ!」Akagaeru2019042801

そしてそして、私のとっておきの秘密の花園を目指して歩く。

おそらくほとんどの人が知らないかもしれない道を進む。

すると、あったあった!秘密の花園。Ichirin2019042801 Miyamahakobe2019042801 Tanigikyo2019042801

ここはどういうわけか白い花が多い。イチリンソウにミヤマハコベにタニギキョウ。それぞれに美しい花を咲かせている。数年前に土が崩れたのと、最近猛威を振るうイノシシに掘り返されて少し数が減ったが、それでもしっかりと花を咲かせている。

この周囲には本当に沢山の野草が花を咲かせている。それは日本古来の植物であり、ずっと人々の生活とともにあった。そして、こんなにも多様でこんなにも美しい花をつけるのだ。

貴重なものも多く、盗掘の恐れもあるので、その全容を公開できないが、どれもこれも人々の住む里のまわりに沢山咲いているのだ。Jirobo2019042801 Ikariso2019042801 Nirinso2019042801

最近、このような日本古来の花の咲き乱れる里山という本来の姿を無視して、更地のようにしたあげく、芝桜やネモフィラなどを植えて、それを多くの人が見に来て「ああ綺麗だね」と喜んでいるのを見ると、本当に悲しくなる。さらに、こうして本来の日本の里山にしっかりと長い年月咲いてきた植物は見つかると盗掘にあってしまう。いったい人々は日本の自然をどうしようとしているのか?と思う。美しい日本の里山の自然を大切にるということは、まず、こんな日本の里山の風景をしっかり見て、そこに何があるのかを理解することが大切だろう。そして、そこに昔からあるものをずっと大切にすることが必要だろう。それを無視して、更地にして公園にしてなんの脈絡もない花を植えることがどれだけ無知なことか、罪なことか、今一度考えて欲しい。

私が大切にしたい「秘密の花園」。それは何故「秘密」なのか、何故「秘密」にしなければならないのか?そこに日本人の自然観を問いたい。

私はこの先もずっとこれらの花を見ていたい。

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2019年4月14日 (日)

散歩道のニホンアカガエルは生き延びるのか?

散歩道プロジェクトを始めた2003年から、この地に生息するニホンアカガエルの事は詳しく見てきた。いまや、千葉県レッドデータブックでカテゴリA、最重要保護生物となっており、絶滅の恐れのある種だ。Akagaeru2007022300

(写真は2007年に散歩道で撮影したニホンアカガエル)

ニホンアカガエルは2月から3月に産卵するとされている。実際のところ、千葉県では早いところでは1月の終わりから産卵し、2月ごろにピークを迎えるところが多いようだ。だが、この散歩道では2月の終わりころから産卵が始まる。産卵は、流れのない浅い水たまりで行われる。ニホンアカガエルのオタマジャクシはほとんど流れに逆らって泳ぐ力がないため、流れがあると流されてしまう。それと、そもそもニホンアカガエルの卵はこんな形である。Tamago2017040904

水の流れがあると、流されて行ってしまう。だから流れのない水たまりが重要である。

ニホンアカガエルは5月の終わり頃、手足が生えて、カエルになって上陸する。つまり、その間はオタマジャクシなわけだ。そのオタマジャクシの期間水が涸れてはいけない。水が涸れると死んでしまう。つまり、産卵のある2月頃から6月頃まで、その水たまりは水が涸れてはいけない。

だいたい、ニホンアカガエルが産卵する2月頃に水が入っている田んぼというのはほとんどなく、田んぼの一部に水が溜まっているだけというところが多い。その水たまりが田んぼにたっぷりと水が入るころまで水が涸れずにあると、生き延びることが出来る。だいたい、散歩道周辺のニホンアカガエルはそういう環境で生きてきた。

しかし、ここ数年、特にこの5年くらい、田んぼに水が入ることもなくなることが多くなった。休耕になるからだ。休耕田は草ぼうぼうになり、一年中水が張られることもない。Tambo2019041401

かつて、毎年数百の産卵があった田んぼも休耕になって何年にもなるが、こういう様子になってしまった。

それでも最初の頃は、この休耕田のわずかな水たまりに産卵があったものである。しかし、産卵された卵は全て死んでしまい、育つものがいなかった。そうして数年たつと、産卵がまったくなくなる。それは、ここに産卵にきていた親のカエルが寿命が尽きてしまったからだ。

 こういう様子を私はずっと記録してきた。

この場所のどこにいついくつ産卵があったか、そして、それは生き延びたか、それとも水が涸れて死んでしまったかをずっと記録している。

たとえば、これは2013年の記録である。Sanran2013

産卵があったものは赤い字で記録。死んでしまったものは黒い字で記録。産卵場所と卵塊の数、日付を記入している。

この頃はかなり広範囲に沢山の産卵があったことがわかる。軽く100個は超えているのだ。だが、ここから急激に変化が起きる。このあと、ほとんどの田んぼが休耕になる。そして、田んぼには水が入ることがなく、たとえ産卵されても、ほとんどが水が涸れて死んでしまうようになった。

休耕田の中のわずかに残された場所だけが、水が涸れることがなかった。そして、今年はこんな状況となった。Sanran2019

明らかに赤い字が減っているし、産卵される場所がごく限られるようになった。産卵された卵塊の数でいえば、30個ほどだ。だが、これは今日新たな産卵を見つけたことが大きく、それまではたったの7個だった。

アカガエルは2月から3月頃に産卵する。だから、そのころに水が入らない田んぼでは産卵が出来ない。というのが世間の常識である。しかし、このあたりの田んぼは4月頃に水が入ることが多い。そうすると、4月頃、ようやく水が入ると、一気に産卵するということが以前から見られていた。そして、今年、3月までに産卵された数よりも4月に産卵された数の方が圧倒的に多くなった。3月までは7個。4月に入ってから30個に増えたのだから。

今までの観察から、産卵のピークは2回ある。それは2月の終わり頃から3月にかけての一回目。そして、4月上旬から中旬にかけての2回目る。ただ、長年の観察からすると、最初からそうだったわけではないと思う。田んぼに水が豊富だった10年ほど前は、明らかに2月の終わり頃から3月の初旬にかけて産卵のピークがあった。だが、そのうち、2月の産卵は見られなくなった。私の記録では、2月に産卵された卵は、ほとんど死滅して生き延びることが出来なかったようだ。そして、3月中旬頃にピークが来るようになった。このピークは今でもみられる。ただ、一ヶ所しかなくなった。そこにしか涸れない水溜まりがないからだ。そして、4月のピーク。

今日、沢山の新しい卵塊を見て、たいそう驚いた。今日、4月14日。今年一番多くの卵塊を見た。これはたいそう驚きだった。だが、今、産卵されたものは、おそらくほとんどが生き延びることが出来るだろう。

Tamago2019041401

そして、3月に産卵があった場所、これは私は最後の生き残りと思っていたところにもあらたな産卵があった。すでに元気なオタマジャクシが泳いでいるそばに、産みたての卵があった。Tamago2019041402

この場所のニホンアカガエルがこの先、どうなっていくのか?私はずっと観察を続けていきたい。

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