2017年7月 2日 (日)

梅雨の晴れ間と夏の足音

 梅雨らしい天気が続き、昨日はほぼ一日雨。雨音をききながら家でゆっくり過ごすのも悪くないなと思い、昨日はずっと家にいた。

 そして、今日は朝から時々太陽が顔をだす。そうなると、思いっきり散歩したくなった。
Midori2017070201
緑深い散歩道に入っていくと、やはり心が躍る。今日は何を見せてくれるのだろう?
 歩いていると、大きなトンボが音もなく私を追い越して行く。コオニヤンマだ。Kooniyamma2017070201
私を道案内するかのように、追い越していってはとまり。そして、また追い越していく。
道端では、オカトラノオが白い花を咲かせていた。Okatoranoo2017070201
上を見上げると、ミツバアケビが沢山実をつけていた。Mitsubaakebi2017070201
さっきからムラサキシジミが沢山飛んでいるのが気になる。しかし、必ず翅を閉じてとまってしまうので、なかなかあの光沢のある紫色が撮れない。こういう時には、飛んでいるところにむかってあてずっぽうで連写するのがいい。そして、なんとか撮れた。Murasaki2017070201
緑が深くなった「くねくね峠」はすっかり暗くなり、対照的な木漏れ日は夏の明るさだ。Kunetoge2017060201 いつものように定点写真を撮っていると、頭上からチーーッと、ニイニイゼミの声がした。音風景が夏が近いことを感じさせる。夏の足音だ。
 チゴユリが丸い実をつけているのを見つけた。花だけではなく、実もチゴユリという名にふさわしいかわいさだ。Chigoyuri2017070201
 田んぼのほとりを歩くと、数は少ないが、チビアカガエルがピョンピョンと跳ねる。今年は本当に数が少なくなってしまった。急激に増える休耕田。水が入らない田んぼではアカガエルは生きていけない。Akagaeru2017070201
里の人の生活に密接にかかわりながら、生きてきたニホンアカガエル。人々の生活の変化とともに、アカガエルの生活も変化してゆく。
 薄暗い水路のほとりでハグロトンボがヒラヒラと飛んだ。Haguro2017070201 5~6年前の今頃、汗をたらしながら自転車で走り回っていた時、ハグロトンボが大量に舞う中を自転車で走り抜けたことを思い出す。
 まだ梅雨は続く。そして暑い暑い夏がやってくる。また、汗をたらしながら、蝉しぐれの中を歩くことだろう。夏、そうやって歩きまわったことが、この散歩道プロジェクトの原点でもあったことを思い出した。一人、色んなことを考えながら、汗をたらしながら、とにかく歩きまわった夏。それからもう20年が経過したんだなと。

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2017年6月25日 (日)

緑深い季節

 2017年6月24日(土)

 梅雨入りしてしばらくたつが、今年はまだ梅雨らしい天気にはなっていない。今日もまた、天気は良いが、明日からはしばらく雨が続きそうだ。
 散歩道はすっかり緑に覆われている。今は一年で一番緑の勢いがある時期かもしれない。少し湿った空気に緑の香りが強くただよってくる。Midori2017062401ホトトギスが飛びながら、大きく澄んだ声で「トッキョキョカキョク」と鳴く。いまの季節の音風景だ。
 ヒメコウゾが色鮮やかな実をつけている。かつて、この実の鮮やかな色に騙されて、さぞや美味しいに違いないと、一粒とって食べた時のことが忘れられない。Himekozo2017062401この見た目とはまったく異なる不味さに思わず吐き出してしまった。まあ、食べられないこともない。しかし、まったく美味しくはないのだ。この鮮やかな色から期待した味とはまったく異なるものだ。
 Tambo2017062401今年は一気に休耕田が増えた気がする。この場所は私がずっと定点観測をしている場所だ。この場所の季節の「うつろい」を捉えたいと思って撮影を続けてきたが、季節のうつろいだけではなく、年々かわる「うつろい」が映像として捉えられることだろう。撮影し始めた頃にはまったく想像できなかった変化だが、こうしてこの場所は変化していく。かつてのアカガエルの楽園は、いまやアカガエルが生きていくにはきびしい環境になった。しかし、それも自然。
 Murasaki2017062401ムラサキシジミが目の前で舞った。飛んでいても紫の鮮やかな色が見える。しかし、翅を閉じると本当に地味な蝶だ。今、ちょうど、この蝶が沢山飛ぶ季節だ。
 今年、かろうじてアカガエルがカエルまで育った場所が一つ。そこに行ってみる。去年までは毎年、歩いていて踏みつけそうになるほどの多くのチビアカガエルがいたが、今年は本当に少ない。それでも、歩いていると、目の前をピョンピョンと跳ねる。Akagaeru2017062401急激にきびしさを増す環境の中で、なんとかカエルまで育ったものがいたことは、少し安心する。しかし、今年はついに、この場所でサシバを見なかった。毎年春にやってくる猛禽のサシバを今年はここでは見ていない。これもまたこの場所の自然の変化なのだろう。そういう変化を今、私はここで感じているのだ。
Oobanotombo2017062401 オオバノトンボソウはかろうじて見つける事が出来た。これも、毎年、今年は消えてしまったかもしれないと思いながらも、なんとか見つけることが出来ている。もっとも、消えてしまった植物もいくつかあるのだが、これは地味なので、そもそも存在に気付いている人がいないかもしれない。
 Tsuribana2017062401ツリバナが沢山実をつけているのを見る。これもまた、注意深くみていないと見過ごしてしまうものかもしれない。ある程度、注意深く見ていなければ、こんな多様な自然に気付くことは出来ないのかもしれない。本当に色んなものが生きていて、不思議なものが沢山ある。見えない人には、ただの緑にしか見えない。都市の公園に植えられた緑も、この里山の緑も同じにしか見えなければ、この場所の自然の奥深さなんて知るはずもない。それを知って欲しいから、私はこうやって語り続けている。
 最近、ミドリシジミを見つけた場所で、アゲハモドキを見た。ここでアゲハモドキを見たのは初めてだ。20年近く歩いていて、初めて見つけたものがあるというのはどういうことだろう?
Agehamodoki2017061101
この場所の自然を何十年と見つめてきて、やっと見えるものがあるのだ。それが自然。それだけ、私たちには知らないことが多いということだ。ちょっとだけ見て、何かを知ったような気になってはいけない。
 歩いていると、足元にナナフシがいた。かなりおぼつかない歩き方なのでよくみると、足のうち何本かがおかしな形になっている。生育不良だろうか。Nanafusi2017062401それでも一生懸命に歩いて、私の足にしがみついてきた。「こんな道に出てきたらあぶないよ」といって、そっと道端の草むらに逃がす。
 目の前に不思議な模様の蛾が飛んできてとまる。Ga2017062401いったいこれは、どういう模様なのか?そして、どうしてこんな不思議な模様が出来るのか?その謎はいまだ誰も解くことが出来ていない。もし、その謎が解ければ、この宇宙の成り立ちが少しだけわかるかもしれない。そんなことを思う。自然は知らないことだらけだ。とても不思議な世界が道端にも沢山ころがっている。そのことに気付かないままの人々。気付かないままに、多くのものを失っていると私には思える。

木漏れ日
2カ月ほど前に木漏れ日を見ながら、思いがわき上がってきた。そして、こんな作品を作ろうと思った。そしてようやく出来た。

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2017年6月 4日 (日)

ここの自然はこの先どう変化していくのだろう

もうこの散歩道を20年以上も歩いている。「散歩道プロジェクト」を始めてからも来年で15年になる。その長い間に様々な出会いもあったし、発見もあった。それだけ歩いているのに、新たな発見はある。先日も、イチヤクソウが咲いているのを発見した。いつも歩いている道端だ。どうして今まで見つけられなかったのか?とても不思議に思う。

Ichiyakuso2017052802 イチヤクソウ自体はそれほど珍しいものでもないが、私がここで見たのは初めて。よくみると、周辺に何株か花をつけていた。
 散歩道の自然も少しずつ変化している。それは日常的にここを歩いている人でないと気付かないかもしれない変化かもしれない。しかし、大きく変化している。かつて、ニホンアカガエルの楽園だった田んぼは、今年はとうとう水が入らなかった。このまま休耕になってしまうのだろうか?Tambo2017060301かつては、数百個の卵塊がみられた田んぼだが、今年は10個程度しかなかった。それも全て水が涸れて死んでしまった。
周囲の水路にもアカガエルの卵塊があり、それは生き延びるかと思っていた。しかし、このところの日照りもあって、それも難しそうだ。Suiro2017060301水路が完全に干上がっている。もし田んぼに水が入ったなら、こんな風にはならなかっただろうと思う。
 ここのアカガエルをもう10年以上見守ってきた私としては、本当に残念な気がした。
 その後、もうひとつのアカガエルの楽園といえる田んぼにいってみた。ここは、毎年、踏みつけそうになるくらいの大量のアカガエルが上陸しているのだが、そこも、今年は半分くらいが休耕田になり、アカガエルの卵も激減した。それでも、最後まで生きながらえていたのを見ていたから、どうだろう?と思っていってみた。すると、
いた!
Akagaeru2017060401 ちゃんと、チビアカガエルが育っていた。例年に比べると、10分の1以下の数に感じる。しかし、それでもなんとかカエルにまで育つことが出来ている。数は少ないが、なんとか命はつないでいけるだろう。少し安心する。
 いまはモミジイチゴがたくさん実っている。時々それをひとくち食べながら歩く。一か所だけ、モミジイチゴではなく、カジイチゴが実っているところがある。去年、それを発見したのだが、すでにアリがたかっていて食べられなかった。行ってみたら、たべごろの実があった。アリもたかっていない。食べられる。Kajiichigo2017060401一粒つまんで食べてみた。美味しい!モミジイチゴよりも酸味が少なく、甘い。このあと、近くにあったモミジイチゴを食べてみたが、このカジイチゴを食べたあとでは、酸味が強く感じた。
 アズマヒキガエルの産卵場所にいってみる。先週の時点でほとんど上陸し終わった感じだったが、もしかしたらチビカエルに出会えるかもしれないと思い、目をこらしてみる。アズマヒキガエルのチビガエルは本当に米粒ほどに小さいのだ。それでちゃんとカエルの姿をしているのだから、驚く。親はあんなに大きいのに。一生懸命チビカエルを探すが、見つけることが出来なかった。もう散り散りに巣だっていったんだろう。そう思って残念がっている私の目の前に、キラキラ光るものがあらわれた。
Midori2017060401 ミドリシジミだ。ここで見たのは初めてだ。私に「ほら見て!」といわんばかりに目の前にとまって翅を広げている。
思わず、「うわー、マジっすか?」などと、アホなことをつぶやいてしまう。
しばらくシャッターを切りまくる。翅の裏もみせてくれないかなあ?などと思っていたら、飛び立った。飛び立って近くの草の葉にとまった。Midori2017060402本当に美しい蝶だ。
自然は本当に時々凄いものを見せてくれる。こんなに長年歩いていても、初めて見るものがあるのだ。それは、まるで、「まだこんなものがあるよ」と少しずつ小出しにして教えてくれているかのようだ。
 人の生活とともに、この場所の自然も変わっていく。この先、どんな風になっていくのだろう?この春からの色々な変化は、この場所が急激に変わりつつあることを私に教えてくれているのだろう。そして、どう変化していくか?それはまだ私にも想像出来ない。新しい発見もまだまだある。ずっとこの場所の自然を見つめ、感じていきたいと思う。

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2017年4月 9日 (日)

カエルの命を繋ぐ恵みの雨

 雨、雨、雨。特に週末は雨ばかり降っている。長年やっているニホンアカガエルの産卵記録。その記録のために、雨に濡れても、産卵の様子を見に出かける。先週も、先々週も雨の中でかけたのだった。

 ずっと姿を見せていなかったアズマヒキガエルも、近所の人が写真を撮って送ってくれたし、私も、夜、道を横切るアズマヒキガエルをみかけたので、おそらく出てきているだろう。そう思いながら、強弱をつけて降る雨の中、出かける。田んぼの畦にはツクシがずいぶんと伸びて、水路は降り続く雨のために水量が増している。Suiro2017040901水路の水は、ところどころで勢いよく流れているところもある。こんなに流れがあったら、アカガエルの卵は流されてしまうな。そんな風に思う。
 以前、私は水が涸れそうな場所に産卵されたアカガエルの卵塊をつれてかえって、育て、田んぼの水が安定したころに、産卵された近くに放していた。妻と何度かオタマジャクシを放しに来た場所。そこも毎年水が涸れて死ぬことが多かったし、先週まで産卵が見られず、ついに絶滅したかと悲しい気持ちになっていた。しかし、今日行ってみたら、なんと、沢山の卵塊があるではないか!Tamago2017040903
思わず「やったー!」と声に出して叫ぶ。この中には、うちの水槽でしばらく過ごしたヤツの産んだ卵が含まれているかもしれない。
 先週、やっと卵塊を見つけた場所にいってみたら、はやくもオタマジャクシになっていた。Otama2017040901
毎年、水が涸れている場所だったので、水が涸れてしまうんではないかと心配したが、今のところは順調だ。このまま田んぼに水がたっぷり入るまで、水が涸れなければ彼らは生き延びられる。こんなに沢山雨が降ったし、この先も雨が降りそうだから、しばらくは大丈夫だろう。
 産卵場所をあちこち見て回る。順調に産卵は進んでいる。ここ数年で水たまりがなくなった田んぼは、近くの水路に大量に卵塊があった。人が田んぼを乾燥化させる。それはアカガエルのことなど考えもしないからだろう。運よく、近くに産卵、生育に適した場所が残っていれば、そこに産卵し、そして、そこで育っていく。Tamago2017040904
こうやって、精一杯命を繋いでいる。年々環境が悪化するものの、まだ命を繋いでいける条件が整っているということだろう。
 一通り、見て回る。そのたびに、産卵記録をつけるのだが、産卵記録をつける紙が雨で濡れてグチャグチャになる。「くっそー!こんなに降りやがって!」とつぶやく。が、まてよ、この雨のおかげでアカガエルたちは元気に産卵し、そして水涸れで死ぬこともないんだな、と思い、納得する。記録用紙には、産卵を赤で、死滅したら黒で記入することにしているが、今年はまだ黒で記入したものがない。例年、赤と黒がほぼ同じくらいになるのだが。Kiroku2017040901
もうひとつ気になるのはヒキガエルだ。いつもは春分の日前後に産卵にやってくるアズマヒキガエルが、今年は先週までまったく見かけることがなかったから、どうしたものかと。そして、産卵場所にいってみたら、あったあった!それも大量に!!Tamago2017040902
これは去年よりも多いかもしれない。これがこのまま育ったら、物凄い数になりそうだ。頑張ってる!頑張ってるね!!水が涸れないで、元気に育って欲しい。ヒキガエルの姿が見れなかったのが残念だけど、卵を見てとても安心した。
それにしても、よく降るなあ。カエルにとっては命を繋ぐ恵みの雨だ。今年はカエルたちにとってどんな年になるのだろう。

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2017年4月 2日 (日)

雨の中アカガエルの卵塊を探す

2017年3月26日(日)

今日はほぼ一日ザアザア雨。先週までにニホンアカガエルの卵もアズマヒキガエルの卵も見つけられていないから、どうしても確認しにいきたかった。
ザアザア降りの中、傘をさして散歩道に行く。
かつてのアカガエルの楽園、ここは、かつては一つの田んぼに大量に卵塊があった。田んぼの水たまりがずっと涸れずにあったし、早くに田んぼに水が入っていたので、生き延びていたのだが、7~8年くらい前から、毎年、産卵された卵が、ほとんど水が涸れて死ぬということが続いた。そして、4~5年くらい前から卵塊の数が激減してきた。Akagaeru2017032600 かつては、このくらいの水たまりがあれば、そこには、数十個から数百個の卵塊を見つけることができたが、いまやゼロだ。どこを探しても卵塊はない。
この場所の卵塊が、水が涸れて死に絶えるということが続いていた頃、私は、水が涸れそうな場所の卵塊を水が涸れなさそうな場所に移動したり、あるいは、持ち帰って育て、田んぼに水が入ったころに戻すということをやっていた。そんな努力は数年続いた。しかし、やってもやってもアカガエルは死んでいき、むなしさを感じるばかりだった。いつの間にかそんな努力もしなくなっていた。
昨年も、この田んぼでまともに育ったものは本当に僅か1個か2個しかないはずだ。今年もなんとか卵があってほしい。絶滅していないでほしい。ザアザア雨の中、くまなく田んぼを見て回る。
ない。ここもない。
「ついにこの場所は絶滅したのかもしれない」
思わず、独り言を言う。
他の田んぼも見てまわる。
ない。ここもない。ない.....
そうして、靴が泥だらけになったころ、
「あったよ!」
思わず声に出して叫んだ。
Akagaeru2017032601
それは、今年私が散歩道で見つけたニホンアカガエルの卵塊第一号だ!この状態なら、産卵してから一週間は経っているだろう。本当に嬉しかった。そして、記録用紙に日付と場所と個数を書きこむ。毎年つけている記録。今年はまだ真っ白だった。もしかすると、このまま真っ白なままかと思っていた。ようやく記録出来た。
そうして、その後、あと2つ、卵塊を見つける事が出来た。Akagaeru2017032603
少し安堵した。
2017年4月1日(土)
今日もまた、雨。4月にはなったが、とても寒く、またザアザア降りの雨だ。
先週、ようやくニホンアカガエルの卵塊を見つけたとはいえ、まだ3個。かつての数からすると2ケタたりない。そして、私が一生懸命、水が涸れて死にそうになった卵を保護してきた場所にはまだ1個もない。
Sampo2017040102
この水路は、ほぼ水が涸れないので、かつて、田んぼの水が涸れそうな場所にあった卵をこの水路に移動させたこともあった。だが、それでも思うように育たないことが多かった。日照りが続くと、水の量が減り、そして干上がると死ぬ。そんなことばかり思いだす。
「やっぱりダメか」
何年も、この場所のアカガエルを見守ってきて、この時期まで卵がなかったことはない。まして、この雨。数日前にもまとまった雨が降ったというのに。
落胆しながら田んぼのまわりをまわっていたら、
「あっ!あった、あった!」
それも10個くらい、かたまりであった。
Sampo2017040103
「ちゃんと生きてたよ!」
思わずそうつぶやく。
この様子では、先日の雨の時に産卵したものと、まだ産卵から1~2日程度のものが混在している。
今日は雨だし、水がたっぷりあるが、この先どうなるだろう。昨年はこのあたりに産卵されたものはことごとく水涸れで死んでしまった。
「がんばれ~、がんばれよ~!」
結構大きな声のつぶやき。ザアザア雨の雨音にかき消されそうになる。
今日は雨。しかし、この先しばらく雨が降らなかったら、水が涸れて死んでしまうことだろう。厳しい。厳しいが、なんとか命を繋いでほしい。また、以前のように一つ、連れて帰って飼育しようか?ふと、そんな考えが頭をよぎる。

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2017年3月20日 (月)

カエルはどこへ消えた

 毎年この時期になると、ニホンアカガエルの産卵を今か今かと待つ。雨が降ったら、きっと産卵されているだろうと思って出かける。一つも見つからなかった時には落胆して帰ってくる。

 散歩道のニホンアカガエルの生息環境は年々悪化の一途をたどる。産卵数もピーク時の400~500個から激減し、昨年は100個程度。産卵があっても、ほとんどが水涸れで死んでしまうから、最後まで生き残るのは10個にも満たないと思う。
Sampo2017032001
かつてのアカガエルの楽園だった田んぼは、数年前から休耕になり、水が入らなくなり、ただの荒れ地と化した。ピーク時は200個はあった卵塊が、一気にゼロになった。昨年あたりはかろうじて周辺の水路に数個の卵塊があったが、もはやこの場所ではニホンアカガエルが絶滅寸前のところまできてしまった。
 かつて、私は、この周辺の水が涸れそうな場所にある卵塊を持ち帰り、田んぼに水が入る頃まで育ててもとの場所に放流していた。その放流の努力もむなしく、絶滅へと向かっている。
 Sampo2017032002
昨年、かろうじて産卵のあった水路をくまなく見て回る。しかし、いまだにひとつの卵塊も見つけることが出来ない。3月のこの時期まで一つの卵もなかったのは私がこの場所でニホンアカガエルの産卵を記録しはじめてから、初めてのことだ。絶滅という言葉が脳裏をよぎる。
 この周辺にニホンアカガエルが生息している場所はいくつかあり、今年もそのいくつかの場所では卵塊を発見出来たが、それも例年よりもはるかに少なく、10個に満たない。とびとびに存在するその産卵場所は、かつては繋がっていたのであろう。つまり、かつては、この周辺一帯のどこにでもニホンアカガエルの卵があっただろう。しかし、今、とびとびにしか存在しないということは、そのとびとびに存在する産卵場所以外では、ニホンアカガエルが絶滅したということだ。こうして、とびとびに存在した産卵場所の一つが今、消えようとしているのだ。
 生き物の絶滅なんてものは、なにも全て遠い昔に起きたことなのではない。今、目の前でひとつの生き物が絶滅に向かっているのを目の当たりにしているのだ。
 Sampo2017032003
そうして水路をくまなく見てまわっていたら、ヌマエビだろうか?エビが水路の中にいるのを見つけた。私はここでエビを見たのは初めてだ。この水系のどこかでひっそり生息していたのだろう。ここにはホトケドジョウなども泳いでいる。
 この一帯の水源はいくつも枝状に分岐している谷津田の奥から湧き出る水だ。谷津田の斜面林の半分、散歩道の裏側が宅地開発のため削りとられ、土中の水は排水溝から直接川に流れ込むようになった。そのため、斜面林の保水力が低下して、水が減っているのだろう。さらに、その減った水はコンクリート水路に直接流れて行くような構造の場所が沢山あるため、この周辺の水環境はさらに悪化している。要するに、土中の水分が減っているのだ。そのため、エビや魚といった水棲の生き物が生きられる場所が限られてくる。ニホンアカガエルの産卵環境の悪化もその一つだろう。
Sampo2017032004
ここ数年は、田んぼに水たまりがあっても、すぐに水が涸れてしまう。どうやら、田んぼの下の地面がスポンジのように水を吸い込んでしまうようなのだ。つまり、土中の水分が低下しているということなのではないかと思う。こういうことがアカガエルの生息を脅かしている。
 そうして田んぼもくまなく見ていたら、とても気になるものを見つけた。
Sampo2017032005
動物の足跡。これは、アライグマの足跡だ。私がこの周辺でアライグマの足跡をみたのは初めてだ。この田んぼ周辺のあちこちについていた。穴を掘ったような痕もあった。
アライグマはペットとして飼われていたものが野生化したものだ。アライグマが野生化し、カエルをはじめ、様々な生き物を食べつくす。彼らは凶暴なので、人を襲うこともあるかもしれない。アライグマは即刻駆除しなければ大変なことになる。今、この周辺でイノシシが増えて、大変な被害を及ぼすようになってきたが、それも誰かが放したものが野生化したと言われている。人々の自然に対する無頓着さ。そのために、いつの間にか、自然は酷いことになっている。そのことにもほとんどの人が気付いていない。
 Sampo2017032006
ヒキガエルの産卵場所に行ってみた。ヒキガエルの姿はない。毎年、春分の日の前後には必ず、ここでヒキガエルが産卵のためやってきて、大勢で蛙合戦を繰り広げているのが見えるのだが、今年は、まだ姿がない。2月の記録的な少雨が影響しているのかもしれないが、とても心配だ。
 カエルはいったいどこへ消えた?この先、何事もなかったかのように現れるのだろうか?私はとても心配だ。この場所の自然のこの現実に、どれだけの人が気付いているだろうか?だれも気付かないうちに、病は進行していく。

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2017年2月16日 (木)

散歩道プロジェクト14周年

Dscf0003

14年前、2003年の2月16日に撮った写真だ。この日、私の中で何かが大幅にかわったのだろう。「散歩道プロジェクト」はこの瞬間から始まった。
そして、最初に書いた記事がこちら
 私がこの地にやってきたのは、長女が生まれた年。1994年のことだ。その頃、都内から引っ越してきた私にはまるで広い広い森の中に住んでいるような感覚だった。春の田んぼではカエルの大合唱。水辺にはオタマジャクシ。夏はセミの声に囲まれ、夜はフクロウが鳴き、ホタルが飛ぶ。秋になれば、コオロギたちの声にかこまれる。しかし、それから年々、森はどんどん切りとられていき、風景はかわっていった。
 私は、休みの日には家の近くを散歩するのが好きだった。散歩といってもただ歩くだけではなく、自転車にのって出かけたりもした。一日中、そうやって自然とたわむれているのが好きだった。私は普段は都会で仕事をしていた。今、やたら長時間労働が問題になっているが、その頃は、一旦家を出たら、次にいつ家に帰ってくるかわからないような、そんな中で仕事をしていた。
 そんな生活の中で、自然とたわむれることは、私にとって生きていることを実感出来ることだった。その風景の全てが私の宝物だった。それが、少しずつ変わっていく。
 朝、通勤電車の窓から見る風景が、少しずつかわっていく。大好きな自然の風景が少しずつ何の変哲もない都会の風景になっていく。それをなんとかしたかった。でも、何もできなかった。そうして何年も過ごしてきた。
 この前日、2003年2月15日も私は散歩をしていた。何故か散歩して、風景をデジカメに収めていた。これがその時の写真の一つだ。
Dscf0006
今となっては、何故そんなことをしたのか自分でもよくわからない。
 一つ覚えているのは、その日の夜にテレビで「もののけ姫」を見たということだ。金曜ロードショーの録画だっがかもしれない。それが私の中の何かを変えた。
 それから、休みのたびにカメラを持って散歩する毎日。そうして、それは私の人生そのものになっていった。
 身近な自然をしっかりと見て、そのことを多くの人に伝えること。そうすれば、多くの人が見逃している身近な自然の価値に気付き、それが身近な自然を大切にすることに繋がればと思って始めたこと。身近な自然は、驚くほど多くのことを私に教えてくれた。そして、驚くほど多くの物語が私の中に刻まれていった。
 これからも、私は身近な自然の中を歩く。そうして、見て、感じて、伝える。それが私の「散歩道プロジェクト」というライフワークだから。

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2017年2月 5日 (日)

星降る夜に

 随分前のこと。夢の中で確かにメロディーが鳴っていた。ふと目覚めた時、これはいいメロディーだと思ったので、五線譜に書きとめておいた。それから4年ほどたった今、そのメロディーを元にしっかりと曲を作ってみた。丁度、北海道の友人が星空動画を撮っていたのが、イメージにぴったりだったので、コラボをお願いして、動画が出来た。星がまたたく冬の情景。

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2016年12月30日 (金)

2016年の締めくくりの散歩

 もともと、毎週1回のペースで更新しようとしていたこのブログだが、今年は数えるほどしか更新できなかった。しかし、私はいつものように歩き、沢山の物語が生まれた。書き残しておかないと、記憶のかなたにいってしまうのではないかという危機感を感じつつも。

 さあ、今年最後の散歩だ。北風が強く吹き、寒いが、空は雲ひとつない快晴。冬の日射しがたっぷりと降り注ぐ。そんな中、もうロウバイが花をつけ始めていた。Roubai2016123001今年は11月の終わりに季節外れの積雪があり、寒い冬になるかと思われたが、そんなに単純ではない。暖かい日もあれば寒い日もあり、そして季節は進んでいく。結果として、寒い冬だったのか、暖かかったのか、生き物の季節は少しずつそれを教えてくれるだろう。
 11月の雪ですっかり倒れてしまっていたセイタカアワダチソウたちは、その後、少しずつ頭を起こしていき、しっかりと種を飛ばしている。Seitakaawadachi2016123001その生命力に感心する。11月の雪でセイタカアワダチソウが倒れた時、まだ、種が出来ていなかったと思う。だから、来年の植物の勢力図は随分と変わるだろうと思った。しかし、セイタカアワダチソウは強かった。
 藪の中でガサッと音がして、枝の間を飛ぶ鳥がいた。ツグミだ。今年は例年になく早くツグミがやってきた。Tsugumi2016123001 11月にはもう目撃したから、随分と早い。遅い年は、年が明けてからやってくることもある。彼らは何故こんなに早くやってきたのだろう。そして、いつまでいるのだろうか?
 くねくね峠はすっかり明るくなって、冬の風景になっている。斜めに差し込む日光が、コナラやクヌギの木の長い影を作る。Kunekune2016123001くねくね峠の木々も、今年一年、雪や台風や嵐で、随分と折れたものがあった。そうして折れた枝が地面に横たわり、それはまた土にかえっていく。そしてそこに隙間が出来、新しい植物が芽を出す。そういう自然の循環が、何年、何十年という長いスパンで動いていくのは、何年もここを歩いていなければわからない。
 今日は、今年最後のお参りに八幡神社にいってみる。すでに初詣の準備か、裸電球がつりさげられている。Jinnja2016123001本当に小さな小さな神社。でも、地元にとっては大切な神社だ。多くの人がここに初詣にやってくる。私は今年は初詣にこれないので、今日お参りしておく。
 八幡神社にお参りして、ぐるっと村田川のほとりを歩く。Muratagawa2016123001今日は珍しく川面がおだやかで、青空を映している。
 そして、歩いて歩いて、杉林の中の道を通る時、斜めに差し込む太陽が、まっすぐにのびる杉の長い長い影を作る。Sampo2016123001散歩するといつも何かしらこんな美しい風景に出会える。冬は生き物が少なく静かで寂しいが、風景は日ごとに新しい美しさを見せてくれる。こういう風景に出会いたくて、こういう風景を感じたくて歩く。
 ぐるっといつものロングコースを歩き、また散歩道入口までもどってきた。太陽は傾きはじめ、一面が金色の光に包まれる。Sampo2016123002季節がめぐり、また新しい年がやってくる。ここを歩き続けて何回目だろう。今年もよく歩いた。来年もまた、沢山あるこう。そして、この場所の自然を感じよう。

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2016年11月13日 (日)

秋空は寂しい色

 昨日は市原市立市津公民館主催の市津自然散歩の観察会の日だった。私はこの自然散歩の講師をつとめてもう11年目になる。この自然散歩の観察会の前日にはいつも、第一回目の観察会から欠かさず参加してくれている近所のOさんから私のPC宛にメールが来る。「明日は○○時集合でよろしくお願いします」と。そして、私の車にOさんを乗せて、公民館まで行くのだ。

 一昨日、いつものようにOさんからのメールを期待してPCを立ち上げる。しかし、メールが届いていない。どうしたんだろう?と思った。私が見落としているのかもしれないと、過去のメールなどを一生懸命に探す。今思えば、少し不安に思ったのだが、とにかく明日の朝、連絡してみようと思い、そのまま寝た。
 朝、出かける支度がおおよそ終わったので、Oさんの家に電話をしてみようと受話器に手をかけたその時、ゴミ出しにいっていた妻がドタバタとあわてて帰ってきた。

 「ちょっとまって!」

 私は何事かと妻の顔を見た。

 「Oさん、亡くなったって!」

 私は一瞬言葉を失った。

 ゴミ出しに行った時、妻は珍しく近所の知り合いにゴミ集積所で会った。「最近どう?忙しいの?」と何気ない世間話のつもりで話しかけたのだ。すると、「そういえば、ご存じないかもしれないけど、先日向かいのOさんが亡くなってね...」「えっ??」
妻は、私がOさんと出かけようとしていること。連絡がないから電話してみようと思っていることを思い出し、大慌てで家に帰ってきたのだ。

Oさんの家とはほんの目と鼻の先のご近所だったが、通りが一本違っていることもあり、昔はまるで付き合いがなかった。私が「散歩道プロジェクト」のホームページを立ち上げて、この市原市瀬又の自然をホームページで発信しはじめて、丁度一年くらいした頃、Oさんが私の「散歩道プロジェクト」のホームページを見つけて、メールを送ってきてくれたのがそもそもの始まりだった。その時のことは、「近所の人と」 いうタイトルで散歩道日記にかかれている。それから、時々連絡をとりあって、たまに一緒に歩いたり、散歩道の情報交換をするようになった。
 その後しばらくして、私が市津公民館で観察会をするようになったとき、Oさんはとても喜んでくれた。そして、第一回目からかかさずに参加してくれていた。講演のために沢山の荷物を公民館に運び込む時、いつも手伝ってくれた。本当にいつもニコニコしていて、柔和な方だった。

 夕方、妻と一緒にOさんのご自宅にお悔やみに訪問した。奥様が色々お話ししてくれた。11月4日の夜、夕飯を食べていて急に具合が悪くなり、救急車を呼んだ。しかし、救急車の中ですでに心臓が停止してしまい、そのままだったと。本当に急だった。一週間ほど前には、何かのイベントで物凄く長い距離を歩かれたのだとか、本当に直前までお元気だった。思い起こせば、私は、7月の観察会の後、自宅近くまで一緒に歩いて帰ってきて、「じゃあ、次は11月ですね」といって別れたのが最後の会話だったと思う。
 奥様としばらくお話しして、「さあ、それでは帰ります」と席を立った後、私は涙が止まらなくなった。玄関先でのご挨拶も声にならず、涙があふれてきた。Oさんの家から私の家まで歩いて帰る間、ずっと涙があふれていた。見上げると、満月に近い月が明るく照らしていた。帰ってきて、しばらく、私は自分の部屋で泣いた。

 今日、いつものように散歩に出かけた。そういえばここをOさんと歩いたな、とか、ここでOさんとフクロウを見かけたんだよな、とか、いろんなことが思い出される。向こうから歩いてくる人がOさんに見えて、ちょっとドキッとする。すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶する。しかし、Oさんではない。今日はよく晴れた。秋空が少し寂しい色に見えた。
Oさん、いままでありがとう。
Oさんも愛したこの散歩道の風景や生き物たち。私はこれからもずっと歩き、ずっと見つめつづける。
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